東日本大震災支援

2011.05.09

「つながり」こそが回復へのキーワード ―震災によるトラウマのケア―

精神科医 水島広子

震災時には、人の心は強い衝撃を受けます。対処することができないほど大きな衝撃を受けたときにできる心の傷のことを「トラウマ(心的外傷)」と言います。「全く予期していなかったときに」(無防備)、「命に関わるような出来事を体験し」(内容の怖ろしさ)、「自らはその前に全く無力であった」(コントロール不能)という震災の特徴は、まさにトラウマにつながりやすいものです。

私たちは通常、小さな衝撃に対してはその都度態勢を立て直しながら暮らしています。「態勢を立て直す」ということは、人生に対して「まあ、何とかなるだろう」という感覚を取り戻すということです。

この「まあ、何とかなるだろう」という感覚は、「自分と世界への信頼感」と言うこともできます。それは、健康な日常生活を送る上で必要なものです。「まあ、自分は何とかできるだろう」(自分への信頼感)、「まあ、今までも大丈夫だったのだから、これからも大丈夫だろう」(世界への信頼感)、という感覚が、私たちの日常生活を可能にしているのです。

衝撃を受けると、この「自分と世界への信頼感」が一時的に損なわれます。「これからどうなるのだろう」「自分は大丈夫なのだろうか」と不安になったり、「もう絶対無理だ」「事態が改善することなどあり得ない」などと圧倒されてしまったりするのです。

ある程度までの衝撃であれば、日常生活の中で回復していきます。しかし、衝撃が強すぎると、全くの「非日常」に入ってしまいます。震災の場合、圧倒的に損なわれるのは「世界への信頼感」です。こんなに怖ろしいことが起こる世界で生きていくことなどできない、と感じられてしまうのです。

家を失い、親しい人を失い、当たり前の生活がなくなってしまうという環境の激変も、「非日常」性を強めます。震災後に避難所生活を余儀なくされる方が典型的ですが、震災後には当たり前の自分の生活をすることもできなくなりますので、自分がとても無力に感じられ、「自分への信頼感」も損なわれてしまいます。危険な世界の中に、無力な自分が孤立無援に取り残されている、という感覚の持続が、「トラウマ」の特徴です。

◆よく見られるトラウマ反応

非常に衝撃的な出来事を体験した後には、多くの人にトラウマ反応が起こります。これは病的なものではなく、むしろ自然な反応で、二度と傷つかないように身を守るという意味も持つものです。よく見られる反応としては、以下の3つのタイプがあります。

(1)トラウマの再体験

意図していないときに、トラウマ体験の記憶がよみがえってくる反応です。トラウマ体験についての苦痛な記憶が勝手に頭に浮かんできたり(思い出そうとしているわけでもないのに勝手に思い出されるので、「侵入的」と呼ばれることがあります)、トラウマ体験の夢を見たり(子どもの場合はもっと一般的な悪夢となることもあります)、トラウマ体験を思い出させるものに接したときに強い心理的苦痛や身体の反応が起こったりします。「フラッシュバック」と呼ばれているものは、「想起」どころか、今まさに体験しているような感覚になることです。

子どもの場合、体験した衝撃的なシーンを、遊びの中で繰り返し再現する、という形で「トラウマの再体験」が現れる場合もあります。「そんな怖ろしい遊びをしないで」と言いたくなるかもしれませんが、これは「再体験」反応の一つであり、本人が好んでやっていることではないのです。

(2)回避・麻痺

トラウマ体験を思い出すことによる苦しさから逃れようとして起こる反応です。衝撃的な出来事を思い出させるものを避けたり、全体的にボーッとなったり、出来事の重要な側面を思い出せない、というようなこともあります。これがより広い領域に及ぶと、他の人から疎遠になっている感じがしたり、それまで楽しめていたことを楽しいと思えなくなったりして、生活が全般にひきこもり気味になります。

(3)過覚醒

再び傷つくことを避けるために、警戒的になり、全般にピリピリする反応です。不眠になったり、集中するのが難しくなったり、怒りっぽくなったり、ちょっとしたことで過剰に驚いたりするようになります。その他、身体の反応(頭痛、胃腸の不調、過呼吸、動悸など)や抑うつが見られることも多いです。

これらは「症状」ではなく「反応」です。ほとんどの場合、それらの強度や頻度は時間経過と共に自然に減少していきます。しかし、これらの反応が著しいために日常生活に支障を来すような状態が1か月以上続くと、PTSD(心的外傷後ストレス障害)と診断される可能性もあり、専門家への相談が妥当となります。

衝撃的な出来事の後の反応が、PTSDという病気として持続していくかどうかを予測する最大の要因は、身近な人による支え(ソーシャルサポート)の有無であることが解析結果から示されています。精神的に孤立してしまうと、「自分と世界への信頼感」を取り戻す機会が失われ、トラウマ反応の悪循環にとらわれていくのだと考えられます。

なお、子どものトラウマ反応も大人の反応と構造は同じなのですが、大人のトラウマとは違う形で現れることもあり、どちらかと言うと、大人よりも「トラウマ」ということがわかりにくいと思います。とても怖がって、トラウマを受けたことがすぐにわかる子どももいますが、むしろ、けろっとして見えることも多く、「しっかりしている」などと評価されていることもあります。子どもは大人よりもトラウマを受けやすいことが知られていますが、安心できる環境を与えれば回復も早いことが知られています。

小さな子どもの場合には、いろいろな気持ちを認識したり言葉で表現したりすることができないので、行動の変化として現れることが一般的です。たとえば、落ち着いて授業を受けられなくなる、勉強に集中できなくなる、すぐに喧嘩をするようになる、いじめをするようになる、反抗的になる、という形で現れます。「赤ちゃん返り」もよく見られる現象です。

◆トラウマからの回復=「つながり」の回復

「トラウマ」と言うと、まるで消せない傷がついているかのような印象を持つ人がいるかもしれませんが、そのような固定的なものではなく、「自分と世界への信頼感」から離断されてしまった状態だと考えると実用的です。つまり、回復は可能で、それは信頼感へのつながりを取り戻すということであり、トラウマの性質によっては一生続くプロセスになりますが、常に前進していくものなのです。

震災の場合、世界への絶対的な信頼感を取り戻すことは事実上不可能でしょう。もう二度と地震が起こらないなどと言うことは誰にもできませんし、頻繁に続く余震は、まさに世界の「危険性」を知らせてくるものです。

それでも、人は震災によるトラウマを乗り越えていきます。それは、人から支えられ人の温かさを感じる中で、また、自分の力を再び感じる中で起こってくる回復です。回復のキーワードは「つながり」であると言えます。それまでの自分とのつながり、人とのつながりがトラウマからの回復を支えるのです。

ケアをする際には、支えられているという信頼感を与えると同時に、再び自分の力を感じられるようにすること(有力化=エンパワーメント)を意識する必要があります。たとえば、何かをするときに「いつもはどのようにやっていましたか」と尋ねてその通りのやり方でやってもらう、というだけでも、それまでの自分とのつながりを取り戻す助けとなりますし、自分の力を感じる機会につながります。

トラウマ体験をした人たちと接する際に、何よりも心がける必要があるのは、「評価を下さないこと」です。トラウマ体験をした人たちは、「かわいそうな人」と思われることによってさらに傷つく場合が多いですし、「がんばって」と言われて苦しくなることもあります。

トラウマからの回復は、すべてが精一杯です。そこに「がんばって」と言われると、「がんばりが足りない」という評価にも聞こえてしまうのです。「ありのままに寄り添う」というのが適切な姿で、必要とされることを、穏やかに安定感をもってこなすことが、往々にして最も好まれる姿勢になります。「心のケアをします」という姿勢を強調してしまうと、まるで「心のケアが必要な人」というレッテルを貼られているように感じられてしまうこともあります。

支援する側がトラウマ反応などを頭に入れておきたいのは、評価を下すためではなく、評価を回避するためです。このような状況にある人には、このような反応が起こって当然なのだ、ということを知っておかないと、「この人は大丈夫だろうか」と心配になったり、「楽になってもらおうとして」不適切な助言をしてしまったりしがちになるからです。

「評価を下さない」ということは、二次被害(トラウマ体験後の人とのやりとりの中でさらにトラウマを受けること)を避けるためであると同時に、トラウマからの回復の中で最も重視すべき「本人のプロセスの尊重」という意味もあります。同じ震災を体験しても、回復のプロセスは人それぞれです。自分なりの回復のプロセスを踏んで初めて、「自分への信頼感」を取り戻すことができます。

プロセスの尊重は、さまざまな形で意識する必要があります。たとえば、トラウマからの回復において人からの支えはとても重要ですが、それぞれの人に合った形での支え方を見つけていく必要があります。話を聴いてもらいたいという人もいれば、少し距離をおいて見守ってほしいという人もいるでしょう。子どもの場合、安心できる環境で、ただ一緒に遊ぶことが最適な支え方であることも多いものです。

トラウマ体験について「語らせる」ことも避けるべきです。自分が望んでいないタイミングでトラウマ体験に直面させられることは、再びトラウマを受けるような結果にもなりかねません。本人が話したいときに、話したいことだけを話せる環境はとても大切です。

もちろん、必要であれば専門家への相談を勧めることはかまいませんし、むしろお願いしたいことです。その際、評価を下すような姿勢を避けるために、「睡眠だけでもとれると少しは身体が楽になるのではないか」など、目に見えることで、本人も明らかに苦しんでいる問題に焦点を当てるとよいでしょう。

◆特に震災によるトラウマで配慮が必要なこと

震災の場合、自らが怖ろしい体験をしたと同時に、身近な人たちを亡くしている人たちも少なくありません。大切な人を失ったときには、必ず悲しみのプロセスを踏むのですが、トラウマと関連した死別の場合、その記憶のよみがえりなど、侵入的な症状を伴う悲しみの反応が起こりがちとなり、苦しみを増します。いつまでたっても「死を避けることはできなかったのだろうか」「最後はどんなふうだったのだろうか」などというところにとらわれてしまい、悲しみのプロセスが進みにくくなることもあります。また、行方不明など、「死別に向き合う」という機会が持てないと、悲しみのプロセスも踏みにくくなります。トラウマに関連した死別反応で苦しんでいる人には、専門家による援助につなげることが望ましいです。

震災で親を失った子どもの場合には、さらなる配慮が必要です。安心と信頼をもって成長できる環境の整備と、トラウマのケア、親との死別に対する悲しみのプロセスのすべてに配慮する必要があります。どれほどしっかりして見える子どもでも、また、どれほどけろりとして見える子どもでも、これらのすべてを必要としているということを忘れないようにしたいものです。

いずれの土台となるのも、「ありのままを受け入れてくれる、信頼できる大人」の存在です。ここでも重要なのは、「評価を下さない」ということです。「親を失ったかわいそうな子ども」として見てしまうと、その子が本当に必要としていることに気づきにくくなってしまいます。悲惨な体験をした子どもであっても、発達途上の一人の子どもであることには変わりありません。遊びや、友人関係の悩みや異性への関心など、成長の過程で誰もが経験する「当たり前のこと」をその子なりの形で経験してもらう余地がどれほど作れるか、ということも、子どもをケアする上で重要なことです。そうやって発達の段階を踏んでいくことは、「自分への信頼感」につながっていき、大人になった後も心の健康を支えていきます。

子どもがトラウマ反応や悲しみのプロセスについて表現するときは、ありのままを聴き、「こういうときはそういう気持ちになるよね」と、人間として当然のものであることを温かく伝えてあげると安心につながるでしょう。もちろん必要であれば専門家に相談してください。

本稿の内容についてより詳しく知りたい方は、拙著「対人関係療法でなおすトラウマ・PTSD」(創元社)、「トラウマの現実に向き合う―ジャッジメントを手放すということ」(岩崎学術出版社)をご参照ください。また、被災者支援に関わる方の燃え尽き防止には、「怖れを手放す アティテューディナル・ヒーリング入門ワークショップ」(星和書店)も役に立つと思います。

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