あおぞら奨学基金

2016.09.28

東日本大震災から5年半―子どもたちの支援のあり方を考える

 東日本大震災から丸5年を迎えました。被災地では、今なお経済的な格差が大きくなっており、学齢期にある子どもたちにも多面的な支援が必要な状況に置かれています。全青協では2012年度より関連2団体と共に、被災地の高校生を支援するために「あおぞら奨学基金」を立ち上げ、就学が困難な状況にある生徒に奨学金を給付してきました。震災から5年を経た今、大学生となった元奨学生二人にインタヴューしました。

----まずは、お二人が5年前の3月11日にどのような状況あったのかについてお尋ねしたいと思います。

Aさん:私は中学2年生でした。地震が来た時は一人で留守番をしていました。しばらくして母が帰って来て、近くの中学に車で避難しようということになりました。しかし、途中で津波が迫って来たので、近くにあったファミレスの屋根の上に避難して一晩夜を明かしました。雪が降っていました。
 翌朝になってまだ腰まで水があったのですが、水の中を歩いて友人の鉄筋の家に住んでいる友人の家に避難しました。水が引くまでに2~3日かかりました。

Bさん:私は中学3年生で、卒業式の前日に地震と津波が来ました。母と一緒に先生にプレゼントする花を買いに行って、車を出ようとした時に水が来ました。危ないと思って、買い物を諦めて自宅へ戻り弟を乗せて、近くの小学校に避難して水が引くまで二日間過ごしました。

----心や体の調子はどうでしたか?

Aさん:私自身が怖がりなので、余震があると怖くて怖くて、しばらくはすぐに家族で高台に避難するようにしていました。気持ちが落ちつかずに、夜もゆっくり眠ることができませんでした。1年ぐらいはそのような状況が続きました。

Bさん:うちは母親が心配性なので、余震があると兄が運転して車で高台に避難していました。私自身も冷静を装ってはいましたが、心のうちはとても心配でした。また同じようなことが起こるのではないかという不安がしばらく続きました。

Aさん:ストレスで口内炎がたくさんできてしまったので、市役所の中にできた臨時の医療施設へ行って薬をもらって塗っていました。数カ月してひいおばあちゃんが、ストレスが原因なのか亡くなってしまいました。

----経済的な理由で進学をあきらめたようなお友だちはいますか?

Aさん:消防士になりたい同級生がいて、大学へ進学して卒業してから消防士になるつもりだったのですが、母子家庭で経済的に厳しくて進学できずにそのまま消防士になった子がいます。

Bさん:部活をやっていた同級生が、遠征などのお金が払えなくて部活を辞めた子が一人います。制服やバックも用意できず、ジャージできている同級生などもいました。本当は進学をしたかったのだけれども、あきらめてすぐに公務員になりました。

----将来のことを考えるようになるまでどのくらい時間がかかりましたか?

Aさん:震災から2年目を迎えるころから両親の仕事も再開できるようになり、なんとか生活するには困らなくなりました。そのころになると、私もなんとか大学へ進学出来るのかもしれないという希望が持てるようになり、頑張って勉強しようと思えるようになりました。

Bさん:私は中学2年で受験生だったので、震災の年の夏休み明けぐらいからは受験のことを考えるようになりました。

----奨学金は月に1万円でしたが、具体的にどの様に使用しましたか?

Aさん:大学へ入学したいと思っていたので、中学生の頃から英会話を習っていたのですが、震災後は習う気がしなくなって教室に通っていませんでした。高校2年生の冬になる頃から、大学へ入学したいと思うようになり、NPOでやっているスカイプの英会話を習うようになり、3年生になってからは塾にも通うようになりました。奨学金はそれらの授業料に使わせてもらいました。
 それから部活の道着も買わせてもらいました。

Bさん:私は主に部活の遠征費用と模擬試験の費用に当てさせていただきました。

----わずか1万円の奨学金ですが少しは役に立ちましたか?

Aさん:とても役に立ったと思います。1万円がもしなかったら、何かをやってみようとする気持ちすら起こらなかったと思います。NPOが運営する英会話の授業も1万円があったから受けることができました。生活するのに精一杯だったので、経済的にも心にも余裕がないので夢を持つことができませんでした。

Bさん:1万円の使い道は色々とありましたし、奨学金をいただいていることで、自分を支えてくれている人がいるんだ、自分は一人ではないんだと思える気持ちが湧いてきて、自分自身も頑張らなくてはと思えるようになりました。そういう面でもとても有難かったです。

----奨学金以外ではどのような支援があればよかったと感じていますか?

Aさん:一番必要だと思ったのは学習支援です。塾ほどまではいかなくても、こころの相談を聞いてもらいながら勉強も教えてもらえたら良かったなあと思います。その場がとても楽しみになったような気がします。学習支援という形でこころのケアをしてもらえたらありがたいです。

Bさん:スクールカウンセラーも来るのですが、ほとんど相談する子はいません。予約を取らないといけないみたいだし。

Aさん:担任の先生が一番相談しやすいのですが、それも先生によりますね。プライドがとても高い先生もいて、そういう先生には相談しづらいです。

Bさん:スクールカウンセラーの方に相談の仕方もよくわからないし。必ず担任の先生が間に入ってくるので......。

Aさん:カウンセラーに話すと担任の先生に伝わってしまうような......。

----とても良いヒントをもらいました。これからの支援活動に活かしていきたいと思います。
  お二人は大学を卒業したら地元に戻りたいと思いますか?

Aさん:私は英語が好きなので、中学校の英語の先生になりたいと思っています。若いうちは、一度は東京へとかへ出てみて、いろいろな生徒に触れ合ってみたいと思います。でも最後は地元が住みやすいしいい街だから戻ってきたいと思います。担任の先生によって生徒も変わるということを感じているので、先生兼カウンセラーのような存在になれればと思っています。

Bさん:私は理学療法士を目指しています。生まれ育った地元で、お世話になってきたので少しでも貢献できればと思っています。自分が部活で怪我をすることがあって、怪我の苦しみや治る喜びを実感したので、一人でも多くの人の身体を治して喜んでもらいたいと思っています。

----現在、あおぞら奨学基金は高校卒業時までの供与型になっています。大学生や専門学校生を対象にした奨学金制度がすべきかどうか迷っているのですが、卒業後の供与型の奨学金の必要性についてどのように感じますか?

Aさん:私はあまり人を当てにするのは良くないような気がします。苦しいのは自分だけではないので、少しは自分で頑張る努力をしないといけないのではと思います。そう考えると高校までで良いのではと思います。

Bさん:私は今、貸与型の奨学金を借りています。親からはあなたが就職した後に自分で返すんだよと言われています。貸与型でも有り難いのですが、借りれば借りるほど借金が増えてしまうので、返さなければならない不安というのは強くあります。

----今日は勇気を持ってこの場に出席していただき有り難うございました。お二人の5年間の経験と経験にもとづく貴重なご意見を活かしながら、あおぞら奨学基金としての今後の支援活動を組み立てていきたいと思います。

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