寺子屋ふぁみりあ

2011.06.29

肩の荷をおろす時

ひきこもりの子どもを抱える親御さんのセミナー「寺子屋ふぁみりあ」も、2011年度を迎え、新たにバージョンアップ!会場は昨年度の浅草寺福祉会館から、築地本願寺へと移り、新年度がスタート致しました。このセミナーを通して、「これなら私でもできるかも」と思う方が一人でも増えてほしいですし、また有益な情報を、皆で共有できる場にしていければとも考えております。

和田重良先生

今年度第1回目の「ふぁみりあ」は、6月29日水曜日に、33名のご家族が集まりました。講師は、NPO法人くだかけ会代表で、くだかけ生活舎を主宰されている、和田重良先生です。和田先生は、神奈川県山北町を足場に、子ども達の生活教育運動を展開されています。生活舎での共同生活(人生科や農作業中心)の実践を通し、青少年や家庭生活に様々なメッセージを送っている、生活実践家でいらっしゃいます。先生は今年3月の公開セミナーにおいてもシンポジストを務められましたが、その際のアンケートにおいて、先生のお話をもっとじっくり聞きたいという声が多数だったため、今回講師としてお招きいたしました。

午後1時、築地本願寺・聞法ホールにて、お経「讃仏偈(さんぶつげ)」をお唱えした後、講演「肩の荷をおろす時」の開始です。
以下は講演の要旨です。

神奈川県山北町で「くだかけ会」を運営して、ひきこもりの支援を行っています。猪や鹿など、動物や自然環境に恵まれた山の中にあります。山にいると、様々な人がやって来ます。時には、電話で話しただけの長期引きこもりの青年が、いきなり来ていることもありました。親御さんは最初、子どものことで悩んでいるので、暗い顔をしていらっしゃる方がほとんどですね。でもそんな暗い顔をしている人たちが、だんだん明るくなってくれればいいなと思ってやっています。

また、現代はまず否定から入りますが、それでは絶対に人は育っていきません。自分が至らない人間だから、至らない者同士で補い合っている、助け合っている。そんなイメージを実感することが重要だと考えて、共同生活をしています。この二十数年間で、数百人を預かってきました。

私たちの活動の軸となるテーマは、「14歳」です。この14歳というのは面白いポイントで、人生におけるトラックの、第1コーナーと言ってもいいでしょう。人間は14歳ごろから、はっきりと「自分」というテーマを持ちます。人からどう見られているか。自分らしく生きるにはどうすればいいか。自分って何だろうか。例えば髪の毛の色を染めてみたり、異性の年齢や容姿を意識したりなどの行動にも現れます。すなわち自分とは、「欲望」の表現でできています。欲望は、悩みや苦しみの元ですが、でも欲望がなければ生きていくことはできませんね。

そして例えば14歳で、不登校や非行など、ものすごい人生の重荷を背負う子もいます。30代のひきこもり当事者であっても、14歳頃のつまずきを、未だ引きずっているようにも見受けられます。14歳で担いできた荷物を、僕の所に置いていってほしいという思いで活動してきました。

それでは、重荷とはなんでしょうか。重荷とは、教育と、人生の幸せ観とのギャップです。教育、特に学校教育の現場においては、すぐに評価され、できないことを探しがちです。けれども人生においては、失敗したっていいのです。失敗は大した問題じゃありません。答えのない宿題を持つことは人生において大変重要なことですが、学校教育においては答えをすぐに出さなければなりません。故に親や学校の評価に息苦しさを感じて潰された子が、居場所を求めて、私たちやお寺のような所にやってくるわけです。

教育の中ですごく欠落しているもの、それは理想を思い描くことです。「私」の生活の理想を書いてみて下さい。特にひきこもりの子どもを持つお母さんは、夫と子どもの世界に埋没して、自分の理想を描けない人が多いのです。だから自分の理想を持ってほしい。

また、14歳になると、今までの自己拡大欲求が行き詰まり、隣の人も喜べなければ自分も喜べない、すなわち「自他共存」を身につけて、人間として大人になる、「自分育て」をしていくのです。ここで「欲望」が「満足」に向かうのですが、すぐ次のものがほしくなる「小満足」では、商業主義に利用されて常に不安がつきまといます。満足が持続する「大満足」ならば、命の満足感につながり、くだかけ会では大満足につながる活動、つまり食事や洗濯、掃除などを通した、実感を大切にする活動を行っているのです。

ひきこもりからの脱出(2) こころの拠りどころ
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