寺子屋ふぁみりあ

2016.11.10

人生に、道はあるのでしょうか?

9月1日、今年度5回目の寺子屋ふぁみりあが開催されました。今回は浄土真宗東本願寺派・西蓮寺住職の艸香雄道(くさかゆうどう)師をお迎えし、「人生に、道はあるのでしょうか?」というテーマでお話いただきました。

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艸香師は冒頭で、「仏教とは自分自身を見つめること」とおっしゃいました。師は以前、「私たちは、自分の意志や自分だけの力で生きているように思うけれど、はたして本当にそうだろうか?」と考え、実は自分自身が一番自分のことを見えていないということに気づかれたそうです。そしてその後、「煩悩や欲望により、さまざまなことに"とらわれている私"に気づき、"とらわれている私"から離れ、本当の意味で自由になること」が仏教の目標であると認識されました。

「私」というものについて考えてみると、「過去への恐怖」・「未来への不安」・「他人の眼・世間体」・「占い」など、「私」をとりまくさまざまな問題に心を悩ませ、たくさんのことにとらわれてしまっています。師は"とらわれた私"を生きているままでは、"私が本当に生きる"ということではないとおっしゃいます。師は、"私が本当に生きる"とは、"輝いたいのちを生きる"ことであるといいます。そして、輝いたいのちを生きるためには、"今"という瞬間を一生懸命生きるしかないと述べられました。

 

私たちが輝いて生きること、それこそが阿弥陀様の願いです。師によれば、阿弥陀様は私たちに対し、「長く生きてもいいよ、短く生きてもいいよ、健康に生きてもいいよ、病気で生きてもいいよ、みんなで生きてもいいよ、一人で生きてもいいよ、どんな風に生きてもあなたのいのちを輝かせたい」と願ってくださっています。師のお話によって、私たちは、阿弥陀様に守られながら、安心して、"ありのままの私"を自由に生きていけばいいと感じることができました。

 

今回のテーマは「人生に、道はあるのでしょうか?」です。これについて艸香師は、「人生の道は切り開いていくものではない。今一瞬を輝いて生きる。そうしていれば、自分が生きてきたところが道となっている」とおっしゃいました。

艸香師のお話を聴き、今日一日を大切にすることの大切さを再確認することができました。今日一日、私が幸せでありますように。

生活の中の自分 元当事者のお話
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