仏教者の活動紹介

子ども本来の力をとり戻す ―るんびに苑―

(ぴっぱら2004年8月号掲載)

緑の山々に抱かれて

京都市街から北へ2時間弱。JR山陰本線山家駅から川を渡ってしばらく行くと、柔らかな起伏を見せて連なった緑の山々に抱き込まれるようにしてたたずむ建物が見えてくる。白い屋根に緑の柱が目に優しいこの建物が、社会福祉法人るんびに苑が運営する施設「るんびに学園 綾部こどもの里」だ。
ここは、家庭や学校でのストレスなどから心が不安定になった子どもたちが、短期間ともに生活をする中で、心の落ち着きを取り戻せるようにするための施設だ。正式には「情緒障害児短期治療施設(情短施設)」と言い、厚労省の資料によれば平成14年度末現在で全国に19カ所が運営されている。るんびに苑は昨年開園したばかりなので、この数字には含まれていない、もっとも新しく設立された施設のひとつである。
施設の重苦しい肩書とは裏腹に、入所している子どもたちは元気で明るい。彼らの多くは、心の傷や家庭環境などの影響から、何らかの気になる行動を示すようになったために、京都府の児童相談所を通して紹介されてきている。しかし、大きな声で挨拶してくれる彼らからは、そんな影はとうてい感じられない。
「彼らと作業をしていると、『そんな重い荷物は俺が持つよ』と気軽に手を出してくれるんです。人それぞれの「違い」をわかる力を彼らは持ってるんです」と語るのは、理事長の藤大慶さんだ。年配者をさりげなく気遣うことのできる彼らの優しさに、誇らしげな笑顔を見せた。

「忘れられた寺」から

藤さんはもともと、大阪府茨木市にある浄土真宗本願寺派・西福寺の僧侶だ。ベッドタウン化が進み、団地やマンションが立ち並ぶ街の郊外にある。そんな新興住宅地としての土地柄か、藤さんが入寺した当初は、「地元でも忘れられたような寺でした」。人の訪れないことに耐えかねて、何か人の役に立つようなことを、と始めたのが「悩み事相談」だ。かつてラジオのDJをしていた際に、番組の中でカウンセリングのようなことをしていた経験が役に立った。
「といっても、お金もないですし、電話帳に小さな広告を出しただけでした。それでも電話が次第にかかってくるようになりましてね」
最初の電話は、子どもの家庭内暴力に苦しむ母親からの相談だったという。他に、「飼っていたカナリヤが死んでしまったのでお葬式をしてくれませんか」という可愛い声からの電話や、葬儀やお布施についてなどの相談もあるものの、全体のおよそ8割が子どもに関する相談だったという。
「相談を聞いていると、家庭から子どもを一度引き離さないといけないと感じることが多くありました。お寺で引き取ろうかと思ったことも何度もあります。でも実際には、お寺も手狭だし......と躊躇してしまうんですね」
そんな思いを抱いていた頃、藤さんの息子が中学に入学する。地元でも有名な「荒れた中学」だった。そこで、子どもたちが荒れる前の予防策として、藤さんは地元の自治会と協力して、地元の子ども全員が参加する子ども会「るんびに日曜学校」をお寺で始める。
しかし、中高生には藤さんの思いはなかなか届かない。深夜になっても、街の片隅でたむろする姿が多く見受けられた。そんな彼らに藤さんは、「何してるんだ? 早く帰りなよ」と声をかけて回った。
「深夜出歩いたりするのは、いわゆる不良ばかりとは限りません。まじめな子でも、一緒にしないと友だちをなくすから、と悪いことをする子はいましたよ」
何か子どもたちが夢中になれることがあれば、と考えていた藤さんの目にとまったのが、息子が習っていた和太鼓だった。お寺で和太鼓を習う「るんびに太鼓」が開設された。以来、子どもたちと楽しみながらほとけのおしえを感じ、子ども自身がまっすぐに生きる力をよみがえらせる場として、地域に根付いた活動となっていく。

「情短施設」との出会い

「るんびに太鼓」の活動の中で、藤さんはさまざまな子どもたちと出会った。親が離婚した子や自殺してしまった子、家庭や学校でのストレスに苦しむ子......。心の傷を抱えながら太鼓を叩きにくる彼らの話に耳を傾け、時には深夜でも駆けつけて子どものケアをする藤さん。子どものために粉骨砕身する中で、お寺で「悩み事相談」を始めた頃の思いがよみがえってきた。
「家庭や周囲の環境から一時的にでも子どもを引き離す場がなければ、いつまでも同じことの繰り返しだ......」
そこで、毎年1週間ほど子どもたちと自然の中で合宿生活を送る「短期るんびに苑」を開設。しかし数年後、会場として借りていた廃校が利用できなくなってしまう。
急きょ場所探しに奔走する中で、太鼓に来ていた子どもの一人が高槻市の情短施設にいたことから、情短施設の存在を知った。藤さんの求めるかたちそのままの施設のありかたに出会って、年1度の合宿のための場所探しが、いつしか情短施設開設のための活動になっていく。やがて藤さんの熱意と活動を理解した綾部市での開設が決まり、大勢の支援者に助けられながら、2003年の開園にこぎつけた。

子ども本来の力をとり戻す

「周囲がまじめにやっていれば、自分ひとりだけふてくされているのは難しい。同じように、大人が一生懸命にやっていれば、子どもはそうめちゃくちゃなことはしませんよ。言葉は補う程度で、後は行動です。お釈迦さまがしていたことも、そういうことじゃないでしょうか」
凶悪な犯罪を起こす子どもばかりが印象的な昨今、子ども自身のちからを信じる藤さんの言葉は、どこか新鮮だ。しかしその言葉には、「るんびに苑」の案内にもあるように、「子どもが本来もっている力を発揮できるよう」にと信じて活動を続けてきた藤さんならではの説得力が感じられた。
子どもが本来のちからを取り戻し、同じ「いのち」であることを感じ取ることのできる感性を育てること。それこそが、お寺で電話を受けていた頃から藤さんがめざしてきたことだ。そしてそれはまた、「昔から仏教の力でされてきたことです。そしてこれからも、仏教者だからこそできること」なのだと藤さんは力強く語ってくれた。
今後、ひきこもりの青年たちが社会に出るための中間施設をつくることで、青年たちと学園の子どもたちが「家族」を体験する機会と場をつくりたいと考えているそうだ。「指導できる若い人がいれば、グループホームもいいですね」と語る藤さん。布教や教化などという気負いは感じられなくても、その活動の原点は仏教であり、お釈迦さまであって、その思いはきっと子どもたちにも伝わっているに違いない。「るんびに苑」はその名の通り、新しい仏教のあり方を生み出しているのかもしれない。(内)

(ぴっぱら2004年8月号掲載)
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