仏教者の活動紹介

市民と寺院の協働の中で ―フィールド・ソサイエティー―

(ぴっぱら2004年7月号掲載)

緑あふれる寺とともに

いつでも観光客でにぎわう京都市街。しかし、その喧騒を少し離れれば、千年の往昔から京の街を守ってきた緑の山々に触れることができる。
京の夏を彩る大文字の送り火で有名な大文字山もまた、平安の昔から京の都を見守ってきた。その裾野に連なる山々の中にある寺院のひとつが、法然院だ。浄土系の由来を持つ寺院ながら、砂壇や石庭、竹林を抜けて伸びる参道など、さながら禅寺のような落ち着いたたたずまいが印象的な古刹である。春には椿が咲き誇り、夏には蛙の声が響く。秋には紅葉、冬には雪景色。日頃忘れてしまう何かを思い出させてくれる時間と空間が、そこにはある。
「あの池に、おたまじゃくしがいるでしょう。春頃には蛙の卵が、池の上に伸びた木の枝からたくさんぶらさがっていたんですよ。下に池があることを計算した上で産むんですね。 こちらにある木は椿です。椿は散るとき、花ごと落ちるので縁起が悪いと敬遠されたりしますが、この椿は散り椿といって、桜のように花びらが一枚ずつ散るんです」
境内の自然に漫然と見とれていると、久山喜久雄さんがそう教えてくれた。久山さんの一言で、美しい絵のように感じていた景色が豊かな奥行きを持ち、全く違ったものに見えた。

自然に生かされている

久山さんは、法然院の境内や山の豊かな自然を場として自然体験や環境教育を行う「フィールドソサイエティ―」の代表を務める。中でも、子どもたちを対象にした「森の子クラブ」では、毎月の例会を始め、合宿の中での体験活動などを15年近く行ってきた。
大学で働く傍ら、自然観察員として京都の山々で活動してきた久山さん。京都市街にほど近い法然院の境内林も、活動フィールドの一つだった。その中で得たことを法然院住職の梶田真章さんに報告し、境内の自然の豊かさを伝えていく中で、しだいに交流が生まれていく。
梶田さんは、寺院の持つ資源を活用し、地域に寺院を開放したいという願いのもと、寺院をコンサートやシンポジウムなどに積極的に提供してきていた。そんな梶田さんの思いと、法然院の境内林の豊かさを人々に伝え、守りたいという久山さんの願いが重なり、1985年、法然院を場として「法然院森の教室」が始まる。檀信徒に限らず一般の人を対象に、自然や環境問題について現場での知識を持つ人などを講師に招くこの講演会が、「フィールドソサイエティー」の原点となった。
1989年、子どもたちを対象にした「森の子クラブ」を開始。いわば、"日曜学校の自然体験版"とも言うべきこの活動では、「森はともだち」をテーマにした1年間の活動の中で、子どもたちに身の周りの自然に親しみ、いのちのつながりを実感する機会を提供している。
その後、1993年、「自然に生かされている」ことを伝える場として法然院の境内の一画に「共生き堂」(通称:法然院森のセンター)が開館する。活動の拠点が定まったことから、「森の教室」や「森の子クラブ」の活動を行う市民団体として、「フィールドソサイエティー」が発足した。
現在、隔月で行われている「法然院森の教室」・毎月の例会と夏の合宿が人気の「森の子クラブ」の他、子どもから大人まで参加して陶芸や押し花などを体験できる「オープンルーム」や、自然観察会などさまざまな催しが開催されている。およそ400名の賛助会員による会費や、行政などからのさまざまな補助金を元手に行われるこれらの活動は、今や多くの小学校から子どもたちが授業の一環として次々に見学に来るほど、地域に根付いたものとなっている。

市民と寺院の協働の中で

「寺院」を場として「市民」が活動を企画・運営する、というのが法然院とフィールドソサイエティーの関係だ。全青協が近年「寺子屋NPOプログラム」として提唱している「市民と寺院の協働」「寺院を地域に開放する」という取り組みを、20年前から実践してきているのだ。京都という土地柄、地域と寺院との距離が遠くないとはいうものの、決して平坦な道のりではなかっただろう。
「檀家のみなさんが理解してくださったことも大きいですし、何よりも住職の『お寺は地域に開かれるべき』という信念のおかげです」久山さんはそう強調する。
日曜学校や講演会など、地域に向けた活動を行っている寺院は各地に多く存在する。しかし、その運営は住職や寺族の負担に拠っているというケースがほとんどではないだろうか。そういった、熱意だけで仏事と活動の二束のわらじをはきこなしてきた人にとっては、寺院関係者ではない久山さんにすべてを任せるという梶田住職の決断は、生半可なものではないと思われるに違いない。
実際、活動や企画・運営に際して、梶田さんが直接関わることはほとんどないようだ。当初は、「お寺の日曜学校」らしく、会の節目に「住職のお話」があったそうだが、「フィールドソサイエティー」として活動が広範になってきてからは、下世話な表現をすれば「金は出すが口は出さない」といった状態で協働関係が保たれている。
「フィールドソサイエティー」としての活動が地域に定着してきた今、この活動が法然院という「寺院」の一部だと意識している参加者は少ない。それでも、「寺院」というバックボーンの存在が、活動への信頼感や安心感を与えていることは間違いない。

観察から行動へ

法然院だけでなく、京都の街を囲む山々の多くが、寺院の境内として守り伝えられてきた。しかし、それらの山々の中には、人手が足りず自然のままの状態であるものが少なくない。
「『手付かずの自然』というと聞こえはいいですが、全く人の手が入らないと、かえって自然環境のためによくない場合もあるんです」と久山さんは教えてくれた。昔話の中で、おじいさんが山へ芝刈りに行くのは、自分の生活のためだけでなく、山のためでもあったということなのだろう。
今後、「森の子クラブ」の活動の中で子どもたちに伝えていきたいのも、そういった「森づくり」という視点なのだと久山さんは言う。自然を「観察する」ことから一歩進めて、実際に自然環境のために「行動する」ところへと視野を広げるための啓蒙活動に力を入れていく予定だそうだ。
自然環境を学ぶことは、いのちのつながり・縁起を学ぶことに他ならない。法然院・フィールドソサイエティーという場においてそれは、「自然環境」というフィールドでいのちのつながりを伝えるだけではなく、「社会」というフィールドで寺院と地域・市民のつながりを人々に伝えることにも結びついている。どちらのフィールドでも、「観察」から「行動」へと人々の意識がシフトしていけば、今とは違った未来が開けてくるに違いない。(内)

(ぴっぱら2004年7月号掲載)
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