仏教者の活動紹介

難病と闘う子どもたちとともに ―魚籃寺「おさかなの家」―

(ぴっぱら2003年12月号掲載)

都心の住宅地に

地下鉄白金高輪駅から地上に出ると、そこは「シロガネーゼ」という言葉まで生んだ東京の高級住宅地だ。都心再開発の波を受け、ここにも高層マンションの建設工事の音が響いているものの、交差点を一歩曲がれば、高級住宅地の面目躍如たる大邸宅や百貨店系列の高級スーパーが立ち並ぶ坂道が続く。
そんな蕫高級住宅地﨟というイメージからは少し意外なことに、この辺りには寺院が多い。街並みと溶け合うように、いくつもの寺院が軒を連ねている。
地名で言えば高輪と三田を区切るように続く坂道にも、邸宅と寺院が並ぶ。この坂道を魚籃坂と言う。坂の中腹にある魚籃寺からついた名だ。魚籃とは魚を入れる魚篭のこと。ちょっと風変わりなこの寺号は、ご本尊「魚籃観世音菩薩」に由来する。かつて中国の地に美しい乙女の姿となって現れ、魚を人々に売り歩き仏法を広めたという観音さまで、大漁祈願や魚貝供養、またその美しさから女性の信仰も篤いという。

高度先端医療の陰で

そんなご本尊に見守られた魚籃寺の境内の一角に、小さな二階建ての建物がある。ごく普通の一軒家のようだが、玄関の扉の上には「おさかなの家」の文字。ここは、ファミリーハウスと呼ばれる、難病と闘う子どもとその家族のための施設なのだ。
小児がん等の難病にかかり、高度先端医療を受けるため、地方や海外から東京など大都市の病院にやって来る子どもたちがいる。しかし、ほとんどの病院は完全看護制で、入院する子どもに付き添っていたくても家族は病室に宿泊できない。そこで家族(主に母親)は、病院近くのホテルやアパートで暮らしながら子どものもとに通うことになる。だが、どんな犠牲も子どもの命には代えられないと思ってはいても、闘病が長引けば、自宅と病院との二重生活は、精神的にも経済的にも重い負担となって家族にのしかかる。その負担がきっかけとなって、家族の心が離れてしまうことさえ、決して珍しくない。
そんな家族のためにあるのがファミリーハウスだ。患児と家族の滞在施設として、大病院に通いやすい立地にボランティアにより運営されるもので、海外でも「ドナルド・マクドナルド・ハウス」などが知られている。 「おさかなの家」の母体であるNPOファミリーハウス(http://www.familyhouse.or.jp/)の場合、一泊1000円(患児は無料)で家具の揃った個室に宿泊でき、共同の台所で自炊ができる。洗濯機などの家電や食器も揃う。利用者はNPOに申し込み、料金もオーナーを通してNPOに支払う。リネンのクリーニングも定期的に行われ、難病と闘う子どもと家族を「第二の我が家」として物心双方から支える。
ここ「おさかなの家」のオーナーとして利用者を支えているのが、浄土宗魚籃寺住職の山田智之さんだ。 「僕は最初に利用者がいらしたときに案内するだけで、何もしていません。見ているだけですよ」と言うものの、布団を干し、クリーニングや日用品に心を配る山田さんの姿は、家族を見守る大黒柱のようだった。

「ほとけさまが役立てろと・・」

魚籃寺に「おさかなの家」ができたのは約10年前。境内の一部の家屋を買い戻したのがきっかけだった。「さまざまな事情から、ずいぶん安く買い戻せたんです。それで、賃貸に出したりして収益をあげるより、何か人のために役立てなさいとほとけさまがおっしゃってるのかな、という気がしました。その時思い出したのが、1年ほど前に新聞で読んだ記事なんです」
それがファミリーハウスに関する記事だった。うろ覚えの内容を頼りに「がん患者の支援ならここでわかるだろう」と、とにかく東京・築地の国立がんセンター中央病院を訪ねてみれば、婦長いわく「それは私どもがやっています」。ファミリーハウスの必要性を東京で最初に訴えた会はこの病院から生まれたのだという。
そんな縁にも導かれて開設を決意。建物の改装をし、1994年3月、オープンにこぎつけた。
一昨年夏には、古くなった建物を改築して3室から5室に部屋数を増やした。それを機に、当初はNPOから受け取っていた家賃も、光熱費等以外無償にしたという。
「私が利用料金を預かるので、寺が収入を得ているように思われることもありますが、それは全くありません。むしろ、どうしても少しは持ち出しが出てしまいます。でも、同じことをしてくれるところが増えてほしいので、人から聞かれればいつも『寺の負担はゼロです』と言っています(笑)」

檀信徒とともに/人々とともに

開設当初、壇信徒の間に「せっかく取り戻した土地をそんなことに使うのは・・」という声もあったという。しかし住職の真摯な姿に次第に理解が得られていく。お供えも菓子折ではなく、お米や洗剤などファミリーハウスで役立つものを出してくれるようになった。
「お布施をした、という気持ちにプラスして、『実際に役立った』と思ってもらえるようですね。寺だけでなく、大勢の協力で成り立っていると感じています」
再建の際には、檀信徒全員が運営委員になってくれた。ボランティアとして協力してくれている人もいる。
再建の費用には新たに墓地を分譲した代金を充てたが、山田さん自ら、銀座や渋谷などの街頭で托鉢も行ったという。「募金」ではなく、「托鉢」だ。
「自分自身のけじめというか、踏ん切りをつけるという目的のほうが強かったですね」 
意外に若い人のほうが協力してくれたという。
「若い子は必ず一度通り過ぎますね(笑)。通り過ぎてから相談して、戻ってきて寄進してくれるんです」

ともに助け合いながら

「おさかなの家」を利用するのは、国立がんセンターや慶應義塾大学病院・慈恵医大付属病院など、都内の病院に入院・通院している子どもとその母親が中心だ。港区三田という立地はどこに通うにも便利で、中には交通費節約のため、自転車で通う人もいると言う。
母親たちの多くが、ここに来た当初は、顔をあげることもできないほどの心境にある。しかし、2~3日もここで過ごすうちに、「どうしてうちの子だけが・・」という思いに沈んでいたのが、「自分だけじゃない」と思えるようになり、笑顔も出るようになってくるのだという。「他の利用者と一緒に食事を作ったり、互いに悩みを話しあい、情報交換をすることで得られる安心感が、何よりの薬なのでしょう」と山田さんは言う。
「私もお母さんたちの話を聞いたりしますが、聞かれない限り宗教的な話はしません。それでも、7~8割のお母さんが、出かける前や帰った時、本堂に手を合わせていかれるようです。『墓地があるから(死を想起させて)イヤだ』という声も聞きませんね。お寺ということでの安心感のほうがあるのでしょう」
今後、目指すものを山田さんに問うと、
「次の代(の住職)にも続いていけばいいと思いますが、もっといいのは、便利な施設がどんどん増えてこの『おさかなの家』の利用者がいなくなることですね」と笑う。
「難病の子どものための施設ですから衛生面などには気を遣いますが、子どもが元気になって帰っていく時が何より嬉しいです。やっててよかったと思いますよ」
「私はファミリーハウスというご縁をいただいたので、それを大切にしたいと思っています。お寺や神社・教会には人手と土地が揃っていますから、1軒でも同じような縁と出会ってくれれば、と願っているんです」
乙女の姿で仏法を伝えた観音さまの寺に、いたわりあう母たちが集う。母たちの嘆きの声を聞いた観音さまが、山田さんをファミリーハウスへと導いてくださったからこその光景に違いない。
東京都港区三田四ー八ー三十四 三田山魚籃寺

(ぴっぱら2003年12月号掲載)
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