仏教者の活動紹介

大自然の中で心の回復を ―フリースクール「空」―

(ぴっぱら2003年9月号掲載)

生死を見つめてきた旭川

北海道のほぼ中央部、大雪山系を東に望む旭川市は、人口36万人を数える道内2番目の大きな都市です。明治初期に開かれたこの町は、屯田兵村として、また陸軍第七師団の軍都として、明治・大正・昭和を通じて栄えてきました。今日でも旭川駅から旧駐屯地に続く道は、師団通りと呼ばれ、当時の名残をとどめています。
一方でこの町は、宗教を題材とした多くの作品を残した二人の著名な作家を世に送り出しています。一人は、明治40年に軍医を父として生まれた井上靖です。井上は「天平の甍」をはじめ、仏教を題材としたさまざまな作品を執筆しました。もう一人は、キリスト者として知られる三浦綾子です。三浦もこの町で生まれ育ち、「塩狩峠」など旭川近郊を舞台とした多くの宗教的作品を生み出しました。
この二人がなぜ生涯を掛けて宗教的な作品を書き続けたのか、その理由は、旭川という町が常に戦い(死)と背中合わせに歴史を刻んできたからではないかと思います。日露戦争、日清戦争、そして第二次世界大戦と、三度の大きな戦いを経験した旭川の町が、二人の作家に人の生と死の本質について、常に問いを発し続けてきたのでしょう。その問いに答えるべく二人は数多くの宗教的作品を残したのではないかと思うのです。

お寺のフリースクール

さて、今回訪問したフリースクール「空」は、その旭川市の東端に位置する東旭川町にあります。周囲には山と畑が広がり、スキー場や動物園などもある市民の憩いのスポットです。とはいえ、ウィークデイには人はまばらで、すれ違う車もほとんどありません。豊かな自然に囲まれ、子どもたちがこころを育む場としては、うってつけの立地条件といえるでしょう。
「空」を運営するのは、成田山大聖寺住職の伊藤晃全さん。伊藤さんは昭和53年から本寺のある隣接の上川町で教育委員を務めてきました。その就任当初から、しだいに小中学校へ通わない(通えない)不登校の子どもたちが増え始め、その数は年々うなぎのぼりになったといいます。
「これはたいへんなことになった。日本は世界のリーダーになる国なのに、こんなことでは先行きが不安だ」と、強い危機感を抱いたそうです。平成に入ると、不登校の子どもたちの数はさらに増えていきます。考えあぐねた伊藤さんは、平成5年に、「できることから始めよう」と、フリースクールの設立を決意します。そして、地域の学校の先生たちに、折を見ては構想を語るようになりました。
平成6年には、さっそく中古の建物がついた1500坪ほどの土地を取得します。元の所有者は新宗教の教団で、移転のため地元の倉庫会社に転売をしようとしていたところでした。伊藤さんは倉庫会社と直談判をして、なんとか譲り受けられるようになりました。そしてこの場所を本寺の別院とし、建物をフリースクール用に修復し始めます。
平成10年に入ってほぼ準備が整うと、伊藤さんは地元の小・中学校を退職した教員に声を掛け、フリースクールへの協力を要請します。教育委員会で知り合った5人の校長経験者を含む教育経験豊富な元教員12人が、ほぼボランティアに近い形で協力を約束してくれました。
そして、平成12年5月、6名の中学生を迎えて、いよいよフリースクール「空」はスタートしました。

社会のセーフティーネット

平成11年時点で、北海道内の不登校児童生徒の数は、4000人にのぼっていました。そのうち、フリースクールなどに通っているのは、わずかに140人に過ぎませんでした。先ごろ平成14年度の学校基本調査の結果が公表されましたが、昨年度、道内では小学生840名、中学生3339名、合計4179名の小中学生が不登校状態にあったと報告されています。
つまり、近年文科省が学校カウンセラーの配置や、適応指導教室の充実などの対応を進めてきたのにもかかわらす、3年を経た時点でも不登校の子どもたちの数は、ほとんど変わっていないということになります。
このことは、学校行政の限界が浮き彫りになっていると見ることもでき、フリースクールなどの代替教育の場の必要性が高まっているということを示しているのではないでしょうか。戦後進められてきた高度成長、大量消費社会対応型の教育体系が転換を迫られているように思われます。
このような状況の中で、伊藤さんが私財を投げうってフリースクールの設立に臨んだ意義は、とても大きなものがあります。子どもも、大人も、お年寄りも、時代の変革期にあって、多くのいのちが社会の中で苦悶しています。行政のセーフティーネットは、あまりにも網の目が大きすぎ、今の時代の社会には不適応なものとなりつつあります。それを補うのが、地域社会であり、その核のひとつであるお寺の役割は重要です。
かつて全国に1万以上もあったといわれる寺子屋を北海道の地で復活させようとする伊藤さんの活動は、仏教界だけでなく、今後の社会政策のひとつのモデルとなるものです。

子どもたちの自立を願って

「空」は毎週、月・水・金曜日の午前10時から午後2時まで開校し、授業の内容は、絵画や書道など子どもたちが自己表現しやすい芸術系を中心に、スポーツや実習園での農作業などを加えた体験型の学習方法をとっています。
また、敷地の背後に広がる旭山でのバードウォッチングや植物観察、動物園でのさまざまないのちとのふれあい体験など、野外授業も積極的に取り入れています。
「子どもたちの自立を願う観点からカリキュラムの編成をしました」と、伊藤さんは説明をしてくれました。大人が教えるのではなく、子どもたちが体験を通じて、自分自身を育み、自立していくことを目的としているようです。
1年間の費用は、入会金が1万円、運営費が月々1万円、このほかに教材費の実費がかかります。他のフリースクールの授業料が、月額3~5万円程度であるという状況を考えると、破格の値段といえるでしょう。
「はじめは不安げだった子どもたちも、学校で味わえない体験学習を通じて少しずつこころを開いてくれました。指導する側もはじめての経験だったので、いろいろと失敗もありましたが、それでも子どもたちの成長が見ることができてとてもうれしかったです」と、伊藤さんは振り返ります。
それぞれ中学校に復学したり、高校に進学していったそうです。
「卒業していった子どもたちが、やがて指導する立場として戻ってきてくれるようなことがあるのではないかと楽しみにしています。不登校の子どもたちの気持ちは、やはり経験者でなければ分からないところもありますからね」
楽しみがひとつ増えた伊藤さんの更なる目標は、フリースクールに併設して高齢者のデイケアー・サービスの施設を開設することだといいます。
「核家族化が進む現代では、子どもたちとお年寄りがふれあう機会がとても少なくなっています。年齢を超えて互いが交流を持てるようになれば、とても良い効果がそこに生まれると思うんですよ」と語る伊藤さん。
言葉の端々から伝わってきたのは、「人間大好き」という、あふれるような思いでした。(神)

(ぴっぱら2003年9月号掲載)
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