平和を学び・考え・願う 青年仏教者の集い

2003.03.14

「子弟教育を考える」フォーラム

いまなぜ「子弟教育」か

かつて、寺院は教育・医療・福祉・芸術文化など、さまざまな形で社会的な役割を実践する場でした。近代に入り、それらの機能は寺の外へと分業化・専門化し、いまや、寺院に残されたのは葬式・法事という宗教儀礼の役割のみとなっています。この寺院のありかたを継続させてきたのが、江戸時代以来の檀家制度です。

しかし、昨今、宗教にとらわれない葬儀が珍しくなくなり、寺院に残されていた宗教儀礼の場としての役割も薄らぎつつあります。しかも超少子化社会に入り、寺院を支えてきた檀家・門徒の数も減少していくのです。

役割の喪失と、絶対的な数の減少。この二点だけを見ても、今後、寺院をとりまく環境が厳しさを増していくことは疑いありません。

そんな厳しい時代にあって、新しい寺院を担っていくのは、たいてい「家業」として寺を継いだ若い僧侶たちです。彼らの多くは、仏教者としての自己を確立する機会もないまま、漠然と寺院運営に携わっていくように思われます。しかし、時代は変わりつつあるのです。現状の子弟教育のありかたで、厳しくなる時代の変化に対応できる後継者が本当に育成できるでしょうか。

今回のフォーラムでは、そんな子弟教育の現状を踏まえながら、21世紀の子弟教育のあり方について考えました。

パネルディスカッションには、花園大学前学長の河野太通師・池上本門寺学頭で日蓮宗前伝道局長の市川智康師・龍谷大学助教授の普賢保之師・智山伝法院教授の鈴木晋怜師を迎え、子弟教育の現状と問題点をご指摘いただきました。その後、全青協が提唱する「子弟教育プログラム21」をご紹介し、武蔵野大学仏教文化研究所の石上和敬師も加えたパネリストの方々に、子弟教育の未来についてご討議をいただきました。

パネルディスカッション

最初に、子弟教育の現状をそれぞれの立場からご指摘いただき、またどのような問題点があるのかを各先生から発題していただきました。

大学教育の実際

河野太通師 河野先生は、宗門系大学教育のありかたについて語られました。

もともと、専門道場に入る前の教育機関という側面があった宗門系大学も、経営的な面から他学部の新設などに着手するようになってきており、次第に宗門大学としての個性が薄まりつつあります。そのため、大学卒業後、専門道場で「行学一如」を目指して指導しても、「学」の基礎が不足していて内容についていけない僧侶もいる現状を指摘しました。

また、「個人の意欲がなければ、制度を改革しても始まらない」として、「意欲を高めるためには、個々の寺院や道場だけでなく、より全体的な視点からの問題解決が必要である」と、仏教界・日本社会全体にまで視野を広げる必要を指摘しました。

宗門教育の現状

市川智康師 市川先生は、前伝道局長という立場から、日蓮宗の教育システムをご説明くださいました。日蓮宗では、小学生から中学生が1週間修行する「沙弥校」・高校卒業後に参加する4泊5日の「僧堂林」・そして住職となるため35日間の修行をする「信行道場」の3種類が主な教育の場となっています。

このうち、一番教育成果があるのは「沙弥校」だと市川先生は言います。最初は5分もするとそわそわしていた子ども達が、一週間後には1時間じっと坐って、立派な法要を勤めるようになるのだそうです。そんな経験から、早い時期の教育の利点を指摘されました。

教師のあり方

普源保之師 普賢先生は、浄土真宗の立場から、子弟教育をする側の現状と問題点を指摘しました。

浄土真宗系の寺院では、世襲で寺を継承していくため、教師は父であったり祖父であったりします。そのため、僧侶という生き方に自らが本当に魅力や情熱を感じているかどうか、生活の中でそのまま子弟である子どもに伝わってしまうのです。法に生かされた、僧侶としての生き方をしているかどうかを子弟が常に間近で見ていることを考えるとき、教育する僧侶の側のありかたこそが問われてくるのでは、と教師側に視点を向けた問題提起をされました。

世襲制という現実

鈴木晋怜師 鈴木先生は、普賢先生の話を受けて、真宗に限らず仏教界全体で世襲化が進んでいることをまず指摘されました。真言宗智山派でも、20代の教師(住職資格のある僧侶)の9割が寺院出身者であるという調査結果を紹介した上で、世襲制のメリットとデメリットを提示しました。

メリットとしては、寺院が安定して継続していくこと、そして幼い頃から壇信徒との関係があるので、信頼関係が作りやすいこと。デメリットとしては、「一番出来の悪い息子に継がせようかな」と語ったある僧侶のエピソードを紹介しながら、寺院の閉塞化と私物化、そして「デモシカ坊主」とでも言うべき僧侶の質の低下を指摘しました。

師と弟子の意欲

各先生が共通して指摘したのが、子弟や教師の「意欲」と、「宗門のあり方」でした。

「『親』と『僧侶』の二つの顔を見せざるを得ない世襲寺院の中では、僧侶としての教育よりも、自己の内省などを促し、『人』としての教育を重視したほうがよいのでは」とする鈴木師。教育する大人側の情熱の必要性を強調しながら、「大人が決め付けるのではなく、若い人の声を聞いて受け入れていくことで、自然に意欲が生まれていく」と言う普賢師。また、寺庭婦人教育を宗派で始める予定であることを語り、子弟をとりまく大人側のあり方の重要性を指摘する市川師。そして、「以心説法」という言葉を引きながら、「親と僧侶と二つの顔をもたざるを得ないなら、そこで悩んでいる姿をも見せるべきだ」と語る河野師。

子弟だけでなく親や教師の情熱やあり方に論点が集中していた点が、一般社会でも教育する教師や親の資質が問われているのと共通するように思われ、印象的でした。

宗門の「限界」

石上和敬師 最後に、宗門に求めることを司会者に問われ、「今までは現状で何とかなってきたので危機感がない。このままでは次の世代には立ち行かなくなる」(鈴木師)「地方などには意欲のある人がいて、それを汲み上げるのが宗門の役割。トップダウンでは行き詰まる」(普賢師)と、宗門の現状に厳しい批判が相次ぎました。また、「宗派が何とかするべきだ、という発想が問題」(市川師)「各宗派の横の連携を作り、意欲的な活動などの情報をもっと伝えていくべき。その点で全青協に期待する」(河野師)など、現状の宗門の枠にとどまらずに視野を広げていく必要が指摘されました。

子弟教育プログラム21

全青協では、今回のフォーラムに際し、「子弟教育プログラム21」を企画・提案しています。これは、年数回・各1週間程度のスクーリングを含め、1年間かけて新しい時代に対応できる僧侶を指導・育成するためのプログラムです。

ステップⅠでは、心理学的な手法を取り入れた自己理解のためのワークショップなどを通して、僧侶という生き方を選択することへの宗教的な動機付けを行います。ステップⅡでは、関係書籍の購読・レポート作成などによる教養の育成や、企業などでの研修による現場体験を行います。その後、ステップⅢでは実際に教化活動を企画し、実践するところまで指導していきます。

次年度の応用カリキュラムでは、寺院運営やカウンセリング、あるいはソーシャルワークなど、個々の関心や適性に応じてより専門的な技術を獲得することを目指します。その後は、全青協で別途推進している「寺子屋NPOプログラム」などを通して、より地域と連携した開かれた寺院を運営できるようサポートしていく予定です。まず今年度中に、2泊3日の体験コースを実施することを検討しています。(註:仏教アントレプレナー養成講座として11月下旬に開催)

フォーラムでは、このプログラムを大正大学助教授の弓山達也氏にプレゼンテーションしていただきました。実際に一人の青年が発心し、指導を受けて寺院に入っていくまでの流れをスライドで紹介し、参加者に新しい子弟教育の形をイメージしてもらいました。

フリーディスカッション

その後、参加者からの質問を、総合司会を務めた武蔵野大学仏教文化研究所の石上和敬師とプレゼンテーションをした弓山氏も交えたパネリストに討議していただきました。

「『意欲』ということが話題になっているが、それは『信心』なのでは?」という質問には、「いずれにせよ、その『信心』を子弟に起こさせるには、やはり教師や大人の『信心』が問われてくる」という鈴木師、「寺という環境の中で感じることがあるはず」という石上和敬師など、周囲の環境という点が指摘されました。

また、「ブランド品で着飾るような僧侶についてはどう思われるか」という問いには、僧侶が中心となった参加者からは一様に苦笑がもれていました。この質問に弓山氏は、「仏教系大学に入って、派手な素行の僧侶を見る中で仏教のイメージが下がった」という学生のアンケート結果を、関係者として自省をこめながら紹介しました。また、鈴木師はそのような素行の僧侶が全てではなく、実際には苦しい経済状態の寺院がほとんどであることに言明しつつ、「『お寺の常識は世間の非常識』と言われないように」社会との接点を重視する必要を強調しました。

他にも多くの質問が出て、充実した時間となりました。多くの話題に共通していたのが、やはり教育・指導する立場の「大人」のあり方でした。これは仏教界に限らず、一般社会でも言われていることですが、師弟という関係が重んじられる仏教界では、師である大人のありかたがより問われるのは必然なのかもしれません。

質問の中で、師僧としての心構えを問われた河野先生は、「以心説法」と答えられました。身を以って、自分の生き様を正直に見せ、至らぬ自分に悩む様も見せる中で、一緒に悩み、向上していくことに尽きる、と。

どんな立派な師であっても、あるいは立派であればこそ、不完全な自らに気づき、迷うのでしょう。そこで、ともに法に生きる「僧伽」の一員として子弟に相対していくこと。そんな、仏教者としての勇気と自信を大人が持つことがまず必要なのだろうと痛感させられるフォーラムとなりました。

心の教育に出会う旅 ―もう一人の自分との対話を通じて― 結集!2003――9・11から三周忌 万灯法要
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