寺子屋ふぁみりあ

2011.08.30

孤から独へ

8月の「寺子屋ふぁみりあ」は、千葉敬愛短期大学講師で、浄土真宗本願寺派僧侶の松尾忠正先生を講師にお迎えして、「孤から独への転換支援」と題し、長年中学校教師として教鞭をとられたご経験をベースに、お話しいただきました。

以下は講演の要旨です。

私は中学校の教師をしてまいりましたが、いろいろとやんちゃな子ども達の面倒をみることが多かったです。中には不登校の生徒も、もちろんいました。
私達もそうですけれども、不登校やひきこもりの青年達の多くは、孤独感を味わうことが少なくありません。でも、「孤独」の「孤」と「独」を分割してみると、意味合いが全然違ったものになってきます。「孤」という漢字からは、何か寒々とした感じを受けますね。けれども「独」という漢字からは、格好の良い印 象を受けます。今日は、この辺りの話をさせていただこうと思います。

まず私が感じる第一の疑問としては、はたして不登校児は、本当に減っているのかということです。文部科学省は、不登校児の数を11万数千人と推計し、減少傾向にあると発表していますが、これは数合わせと言えないでしょうか。最近は、不登校対策教室などができ、そのような子ども達は出席扱いになって います。また、保健室登校も、出席者にカウントされます。
それからフリースクールに通学している子ども達もいます。最近はこのような所も出席扱いとなりますが、何か特別な施設を作りさえすれば、それで良いのでしょうか。現在は、「特別支援教育」を行う「特別支援学校」が設置されていますが、単に別の場所を作って教員を配置することだけが本当に良いことなのでしょうか。これが第二の疑問です。

それではこれから、私の教員経験とリンクさせながら、不登校の問題はどう変遷を遂げてきたのかを見ていきましょう。

私は1968年に新規採用されましたが、当時の教師は、まさに指導者でした。生徒全員にうまい話をして、眠くならないようにさせるのが教師の力量でしたし、登校拒否児は、無理をしてでも引っ張り出すのが当然でした。
その後1980年代に、校内暴力などで学校がものすごく荒れて、当時の文部省は、「もうちょっと、子どもの話を聴きましょう」「受け容れなさい」と指導したのですが、現場の教師達は、そう簡単に変われるものではありません。教師は発信する側であり、当時アメリカの学校で普通に配置されていたカウンセラーは 受容する側ですが、教師にカウンセラーの役割をやらせるのは酷というものでしょう。
1990年代は、経済の世界では「失われた十年」と言われていますが、この言葉は教育用語としても使われています。わが国の教育は、個性を重視し、「生活科」を導入しました。
そして2000年代は不登校児増加のピークですが、90年代の「ゆとり教育」の批判のもと、基礎学力を向上させる掛け声が急速に増してきます。そしてこれが不登校児の増加とリンクしています。昔の不登校児は親が共働きだったり、特殊な家庭環境が多かったのですが、2000年代以降は、どこの家庭でも不登校 は起こるという認識に変わりました。

不登校児の増えた背景としては、もともと日本は同一性を要求するムードが高い国ですが、2000年代に入って、「行きたくなければ行かなくてもいいのでは」と考える親御さんも増え、社会的な圧力が取れたことがまず一点として挙げられます。
もう一つの理由としては、バブルの崩壊で、一生懸命勉強しても就職できない学生が増えたこと、すなわち若者の雇用問題とも関係があります。雇用に対する不安が増加し、若者達の、目標観の喪失もあるでしょう。

それでは、支援のあり方について考えてみましょう。私の経験から申し上げると、不登校状態から抜け出した子ども達に対しては、こちらからはほとんど何もしませんでした。親御さんは、お子さんを心配顔で見ないほうがいいでしょう。そして自分が一番楽しいことをやってみてはどうでしょうか。私は中学校長時代、一日も登校しなかったある生徒を卒業させましたが、私がやったことと言えば、家に来てもらって一緒に料理をしたくらいです。その後彼女は大学へ進学し、現在は社会人です。手を変え品を変え、干渉した子どもの方が、あまりうまくいきませんでした。
私は「ななめ後ろの関係」と呼んでいますが、「気持が楽になる関係」を作る効果は、大変大きいです。空気の呪縛から抜け出すきっかけになります。

それでは、ななめ後ろの関係を作る見守り役にとって、大変重要なことを申し上げます。まず、あまりしゃべり過ぎないこと。あれこれと質問をし過ぎないことです。そして見守り役は、少し家族の輪から外れている人がいいですね。たとえば叔父さんや叔母さんなど、第三者的に見られる人など。さらに、家庭 内暴力などの時にも、冷静な対応ができることが必要です。
このような見守り役を探すことが、不登校から抜け出すのにすごく重要なポイントですし、ひきこもりでも同様に感じます。

<参考文献>
斎藤環「ひきこもりから見た未来」
高岡健「不登校・ひきこもりを生きる」

こころの拠りどころ 発達障害とひきこもり
前のページヘ 活動しようのトップへ