寺子屋ふぁみりあ

2016.07.21

本当のしあわせ

 5月12日より今年度の「寺子屋ふぁみりあ」が始まりました。初回は浄土真宗本願寺派布教使にして「自死・自殺に向き合う僧侶の会」元代表の柳川眞理子先生をお迎えしました柳川先生は僧侶でありながら、二人のお子さんを育てる母親でもあります。今回のご講演では、僧侶としての立場だけでなく、母親としての立場から、ご自身の経験を交えて「本当のしあわせ」というタイトルでご講演いただきました。

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柳川先生には、今回で三年連続ご講演いただいています。そこで、冒頭では、柳川先生の感じる「寺子屋ふぁみりあ」の意義をお話くださいました。先生は、「寺子屋ふぁみりあは、ここに来た一人ひとりが幸せになって帰る場所」であるといいます。「もちろん、お子さんを助けたいと思う気持ちは大切ですが、寺子屋ふぁみりあに参加することによって、生きていることに感謝し、いのちの尊さを実感し、自分自身が幸せになることが重要である」とおっしゃいます。

 

先生は、「どういう人が幸せだと思いますか?」と投げかけました。幸せな人とは、裕福な人でしょうか?健康な人でしょうか?結婚している人でしょうか?出来の良い子どもを持つ人でしょうか?...。しかし、これらはすべて私たち人間が勝手に思う"幸せの条件"に過ぎません。そして、「これらの条件がすべて満たされていれば幸せなのか、そのことを考えるのが仏教」であるといいます。

 お釈迦様は出家する以前、人間の考える幸せの条件をすべて満たしていました。王子として裕福な家庭に生まれ、地位も名誉も備え、美しい奥さんと子どもにも恵まれました。しかし、お釈迦様はそれらをすべて捨てて、出家されました。なぜなら、それらの幸せの条件はいずれ消えてしまいます。お釈迦様はいずれ消えゆく幸せの条件をすべて捨て、"いのち"を見つめ直してみようと決意し、出家されました。私たちも、幸せの条件ばかりを求めるのではなく、"いのち"を見つめることが重要なのだとアドバイスいただきました。

 

 私たちはつい、「これさえあれば幸せになれる」と思ってしまいます。そう思っているうちは、本当のしあわせを味わうことはできません。幸せとは、「探すものではなく、気づくもの」であるそうです。幸せとは、ないものから探すのではなく、今私たちが持っているものの中から見つけるものなのです。そして、幸せな人とは、幸せの条件を備えた人ではなく、「些細なことでも、幸せを感じる力がある人」だと先生はおっしゃいました。

 

また、先生は二種類の"ものさし"のお話をされました。「人間のものさし」と「仏さまのものさし」です。「人間のものさし」とは、自分の都合の良いように目盛りが伸びたり縮んだりします。それに対し、「仏さまのものさし」は、決して伸び縮みすることなく、「いつでもそのままでいい」と見守って下さいます。人間のものさしは、さまざまな条件によって、あらゆるものを測り、比較してしまいます。一方で、仏さまのものさしには目盛りがなく、すなわち、条件がまったくありません。幸せの条件に捉われ、他人の幸せを比較するのではなく、仏さまのものさしを使って、ありのままに受け入れ、今を生きる自分自身の中から見つられるものが本当の幸せなのだと思います。

最後に、先生は「自らの"いのち"に感謝して、自らの限られた命を終えることができたとき、幸せに生きたと言える」とおっしゃり、講演を締めくくられました。

 

新年度を迎え、「寺子屋ふぁみりあ」も新しくスタートを切りました。「寺子屋ふぁみりあ」は、同じ悩みを持つ仲間が集まり、仏さまを感じながらお互いが"家族のように"支え合っていく場であります。今年度も、新たな"ふぁみりあ"とともに、仏さまに見守られながら、"いのち"を見つめ、"いのち"に感謝し、自分自身の中にある「本当の幸せ」を見つけてまいりたいと思います。

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