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2023/04/12

2023年度 臨床仏教研究所公開研究会を開催いたしました。

 4月12日、全青協では、臨床仏教研究所の公開研究会「スウェーデンにおける〝いのちのケア〟の実践―キリスト教司祭による『禅』をベースとしたケアのあり方」を開催しました。  
 講師のグスタフ・エリクソンさんは、スウェーデンでルーテル教会の司祭をしており、病院や刑務所、軍隊などで宗教をベースとしたこころのケアにあたる「チャプレン」でもあります。  
 エリクソンさんは二十歳頃、初めて来日して日本の仏教「禅」に触れて以来、坐禅や瞑想を欠かさない禅の実践者となりました。キリスト者でありながら禅行を大切にする、そのインターフェースな(異なるものが繋がり合う)あり方は、どのような経緯をもって培われてきたのでしょうか。

◆仏教との出会い  

 スウェーデンのごく一般的な家庭で育ったというエリクソンさん。生後すぐにキリスト教の洗礼を受けましたが、成長する中で、キリスト教に帰依しているという実感はあまり持てませんでした。  
 転機が訪れたのは、ティーンエイジャーになった頃。自分とは一体、どのような存在なのかという実存的な悩みを抱え、仏教やヒンドゥー教の経典を読む日々を送りました。仏教僧になろうと決心し、ネパールに行ったこともありますが、挫折し、縁あって日本を訪れることになったのです。  
 日本では、曹洞宗の僧侶、西嶋愚道さんとの出会いがありました。西嶋さんのもとで坐禅を組み、禅道を学ぶことで、まるで初めて自分の家に戻ることができたような感覚を得たと、エリクソンさんは語ります。  
 スウェーデンに戻ってからも、禅の修行を実践しました。折々に来日して師僧に教えを請い、また自分の国へ戻るという日々。それは、西嶋さんが2012年に亡くなるまで続きました。  
 禅の修行を通じて自身を見つめ続ける中で、生まれた時からそばにあったキリスト教にも再び関心を抱くようになりました。勉強を重ね、晴れてキリスト教の牧師となったエリクソンさんは、チャプレンとしての第一歩を踏み出したのです。  
 エリクソンさんはチャプレンについて、また、チャプレンとして大切にしていることについて、自身の経験を交えながら次のように説明しました。


◆チャプレンの語源とは  

 チャプレンという言葉は、中世のラテン語を由来としています。そして、ある伝説に基づいています。  
 はるか昔、4世紀の頃、聖マルティヌスという後にキリスト教の聖人となる人がいました。彼がローマ帝国で軍隊の兵士をしていた時、ある冬の日に、道端で寒さに震える物乞いに出会いました。気の毒に思った聖マルティヌスは、自分のマントを半分に引き裂き、その物乞いに与えたのです。  
 その夜、聖マルティヌスは夢を見ました。道端で出会った物乞いは、実はイエス・キリストであったのです。このことをきっかけに、彼は洗礼を受けることになったといいます。  
 この、「半分のマント」を表す言葉(cappa)が、チャプレンの語源であると言われているのです。私たちチャプレンは、相手に寄り添い、相手にとって最も望ましい奉仕の方法を考えます。私は教会から派遣されている存在ですが、もし異なる宗教的なサービスが必要ということであれば、要望に応じて提供するのです。  
 さて、私がチャプレンにとって大切だと思っている要素は何か、それは内容の頭文字、「STREAM」で表すことができます。それぞれ紹介していきましょう。  
 まず、最初の「S」は、「Stop Running,Sit Down,Be Still」、つまり、自分が立ち止まって、相手と共に腰掛けることが大切だということです。  
 次に「T」は、「Take a Rest from Objectification」、すなわち、正しくあろうとすることや、分類化しようとすることをやめてみよう、という意味です。  
 これは、私が禅堂にいたときの経験で気づいたことでもあります。若い頃、禅の修行中だった私は、その場でどのようにふるまったらよいかがわかりませんでした。たとえば、手はどの方向に向けたら正解なのかというようなことに迷い、緊張していました。そんな時、ふと向こう側を見ると、別の修行者が私に大きな笑顔を向けてくれていたのです。   
 そのおかげで私は、ここではただ「そこにある」ことこそが必要なのであり、お互いの間に良きものを見る、そのことだけで十分なのだと感じることができました。キリスト教においては、神の祝福の中で誰かの顔を見るということは、その人の中に「善を見る」ということです。チャプレンの現場でも、お互いにそれが感じられることは、素晴らしいことだと思っています。

◆つながりや友情の大切さ  

 次に「R」とは、「Remember Interbeing」、「E」は「Embrace Emptiness」です。共に在ることを忘れるなということ、そして、無常を受け入れようということです。この2つは、いわばコインの表と裏、表裏一体とも言えます。   
 私の子どもが幼い頃、湯船にお湯をためていると、流れて行くお湯を一生懸命につかまえようとしていたことがありました。それを見て、ああ、私は人生でまさにこれと同じことをしていると思ったものです。  
 人生は連続しているのですから、何かに執着しても、切り取ることもつかまえることもできないのです。だからこそ、誰かと共にいる、共にあるその瞬間を貴重なこととしてとらえることが大切なのではないでしょうか。  
 そして「A」は、「Allow Surrender」です。これは、?キリスト教においてとても重要な概念です。自分こそが中心であるという考え方を改め、自分より偉大な、大いなるものが中心であり、自分自身を誰かのため、何かのために使ってもらうということです。  
 しかし、先ほど聖マルティヌスの話をしましたが、物乞いに与えたマントはあくまで半分だけだったということを覚えていますか? つまり、他者だけではなく、自分自身も大切にする必要があるのです。そのことを忘れてはいけません。  
 最後に「M」、「Move Forward as a Friend」は、このプレゼンテーションを総括する概念とも言えます。つまり、友人としてともに歩むということです。病院や刑務所などの場で、チャプレンと対象者という、2人の弱い人間同士が出会うわけですが、時に、友情が生まれる瞬間があるのです。
 たとえば、私が自死防止のホットラインで、自死念慮を抱えた若者とチャットでの対話をしていた時のことです。長い時間、対話しても結論が見えず、どうにもならないという雰囲気になっていましたが、ある時点で、自分たちのスペルのミスがひどい有り様だったことに気づきました。そうしたらお互いに何だかおかしくなって、しまいには笑い始めてしまったのです。  
 彼がこの夜、自分のいのちを絶つことはなかっただろうと確信しています。つながりや友情は、時に大きな力となるのです。

◆こころの平和を目指して  

最後にエリクソンさんは、「すべての宗教がそれぞれの垣根を越えて対話を行い、より友情に満ちた世界となることを願う」と述べました。私たちは、互いに異なる存在でありながらも、Interbeing、つまり関わり合い、分かち難く繋がり合う存在です。争いのない平和な世の中にしていくために、私たちは宗教を抱く身として、こうした真理を若い世代に伝えていく責務があるのだと感じました。



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