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2016/6/23

臨床からみる寄り添いのケア

6月23日、今年度3回目の「生と死を見つめる集い」が開催されました。今回は、淑徳大学短期大学部教授で看護師の藤澤雅子先生をお招きし、「臨床からみる寄り添いのケア」というテーマでご講演いただきました。



藤澤先生は大学で教鞭を取ってもいらっしゃいますが、ゼミの中で、学生たちに「自分の大切なものを10個挙げて」と質問しました。すると、家族、友人、お金、スマホ、お菓子、テレビ、アルバイト...など、たくさんの答えが出てきます。その後さらに、「その中から要らないものを1つずつ消していって」と付け加えると、全員が「家族」を残したそうです。その一方で、今の学生たちを見ていると、家族間の会話が少ないと感じることも多いようです。特に、重大なことほど、子どもは親に伝えない傾向にあり、大切な家族であるからこそ、心配をかけたくない、悲しませたくないという思いが生じ、余計に話しづらくなっていくのだといいます。
藤澤先生は20代で難病を発症し、現在は癌も患っていらっしゃいます。初めて自分の病気を知ったとき、先生自身も家族には言えなかったそうです。病気を患うと、自分の病気だけでなく、病気のことを家族に言えない苦しみが生じます。しかし、患者さんは、家族には言えない苦しみも、他人である看護師には話すことができるのだそうです。先生は、ご自身の身を持ってそのことを理解されました。病気を抱える患者の側、患者に寄り添う看護師の側、両側面を併せ持つ藤澤先生だからこそ語ることのできる「ケア」の本来の姿についてご講演いただきました。

藤澤先生は、看護師として多くの患者さんと関わるなかで、たくさんのことを学ばれたそうです。そのなかで、「寄り添う」とは、人と正面から向き合うことであると気づかれたそうです。言い換えれば、本気で相手と向き合うということです。それは、ただ単に患者さんに付き添い身の回りの世話をするというのではなく、どんなときでも患者さんの心に寄り添っているということです。看護師にとって、関わった回数や時間ではなく、どれだけ患者さんのことを考え、心を深く寄せたのか、そのことが最も大切であるといいます。
そして、そうした寄り添いのケアには相互性があると先生はおっしゃいました。「ケア」とは、一方的に何かしてあげることではなく、お互いにケアし合っていることが本来の姿であるそうです。それは、お母さんが赤ちゃんを抱いているときの感覚と似ているようです。抱かれている赤ちゃんも心地よく、抱いているお母さんも心地よいという感覚です。これはお母さんが本気で赤ちゃんと向き合っているからこそ、そういった感覚になるのだと思います。藤澤先生は、本気で患者さんと向き合っていると、患者さんが心地よくなっているとき、本当に自分まで心地よくなるという感覚を幾度となく味わってきたそうです。

藤澤先生には、看護士の立場、そして病気を抱える患者の立場の両面から「寄り添いのケア」についてお話いただきました。病気を抱えると、何気ない医療者の一言によって生きる意欲を喪失することもあります。その一方で、気持ちを受け止めてくれる人、心に寄り添ってくれる人がいることで、計り知れない安心感や喜びに包まれます。「寄り添いのケア」とは、方法論ではなく、姿勢が大切なのだと先生は強調されました。
藤澤先生はご自身が病気を患いながらも、強い覚悟をもって現役で看護師を務めていらっしゃいます。講演の最後には「どんなときでも患者に寄り添える看護師でいたい」とおっしゃり、お話を締めくくられました。参加者のみなさんからは、自分の最期は藤澤先生のような方に看取ってもらいたいという声がたくさん上がりました。藤澤先生の優しい語り口も含め、とても温かい有意義な集いとなりました。


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