仏教者の活動紹介

子どもに温かいまなざしを ー岩槻大師 彌勒密寺ー

(ぴっぱら2021年9-10月号掲載)

 さいたま市岩槻区にある彌勒密寺は真言宗智山派の寺で、「岩槻大師」として親しまれている。創建されたのは、弘法大師・空海さまの誕生と同じ774年と古い。境内には、とくに眼病に霊験あらたかという薬師堂や、交通安全祈祷殿などがある。それらの間には山野草が生い茂り、訪れる人を和ませている。ユキモチソウ、オモダカ、黒ユリ、クンシラン......。色とりどりの花が咲く。
 地下仏殿には「四国八十八カ所お遍路道場」がある。各霊場寺院の砂を詰めた布袋が床に置いてあり、「南無大師遍照金剛」と唱えながら、その袋を順に踏んで歩く。これによって実際にお遍路をしたのと同じ功徳が得られるという。
この岩槻大師にはもう一つ、「子どもたちを大事にする寺」という顔がある。

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◆半世紀続く1泊合宿

 まず挙げられるのは、1971年から半世紀にわたり続いている「夏の日の子ども会1泊合宿」だ。小中学生が写経をしたり境内の掃除をしたりし、そして一緒に遊び、食事を共にする。初期のころは120人を超える子どもを預かったこともある。いまは50~60人くらいだ。布団のたたみ方や食事の後片づけなど、日常生活の基本も学ぶ。靴やスリッパのそろえ方も指導される。そうするうちに、ちゃんと挨拶できなかった子も「おはようございます!」と腹の底から声を出せるようになる。
 住職の上村正剛さんの実家は埼玉県鳩ケ谷市のお寺だった。近所の子どもたちがいつもやって来て、木登りやビー玉などで遊んでいた。上村さんはこう話す。
 「残念なことに多くの寺が門を閉ざすようになり、子どもたちの声が聞かれなくなりました。だからこの寺は、子どもたちで賑わうようにしたい。ときには大人に叱られながらも、お寺で遊んだという思い出をつくってやりたいんですよ。次の世代を担う子どもたちには何か宗教的なものに触れてもらったほうがいいですから」
 日帰りではなく、1泊合宿ということにこだわる。お寺に泊まった思い出は「怖かったなあ」「暗いところだった」といった記憶とともに、何十年と残るはずだ。そうやってお寺が身近になることが大事だという。
 ただ、笑いながら「大変なんですよ」と話す。小学校低学年の子のなかには夜泣きしたり、おねしょしたりする子もいる。それでも、子どものうちに「知恵」を身に付けてほしいという思いがある。「人間というのはどうしても、言われたことをただやるだけになりがちですが、その先として『ほかにどんな方法があるだろう』といったことを考えるようになってもらいたいんです」

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◆「みんな堂々と生きなさい」

 上村さんはかつて、少年補導共助員を務めていた。警察と連携し、地域ぐるみで非行防止に取り組む活動だ。地元のメンバー約15人と週1度、非行少年が集まりそうな場所をパトロールしていた。「学校の成績はどうしようもなく悪い子たちですよ。いわゆる落ちこぼれ。親から見放された子もいました」

 そんなツッパリの子どもたちに、「夏休みに寺に来てみないか? 勉強を見てあげるから」と誘った。5、6人が素直にやって来たので、1週間ほど寺に泊めた。とりあえず国語の勉強をしよう、と語りかけた。教材として新聞を与え、たとえばスポーツ面にある「野球」という字を書かせる。しかし、子どもたちはその漢字が書けない。新聞を見ながらでいいからと促し、何とか書かせる。そして大きく丸印を付け、「100点」と書いてあげる。彼らにとっては初めての100点だ。
 「喜びを感じたと思いますよ。それは言葉にならない自信になるんです。答えを見ながら書くんだからインチキかもしれないけど、書いたことは書いたわけですから、丸を付けてあげる。そして通信簿みたいなのを作って、『あいさつができた』『朝、ちゃんと起きた』とか、何でもほめてあげる。オール100点です」
 その時の子どもたちはすでに大人になり、結婚したり、子どもがいたりする。彼らはいまでも寺にやって来る。上村さんは「ありがたいことだと思います」と話す。
 「年齢こそ離れていますが、同じ時代に出会った者同士ですから差別しちゃいけない。だれでもこの世に必要だから生きているわけです。頭が悪くても、頭が悪いなりに命を授かっている。零点ばかり取っているからといって、ひがみ根性で生きる必要はありません。どの人もみな尊い。それが私の根底にある揺るぎないものです。『みんな堂々と生かされた命を精一杯生きなさい』と伝えたい。二度とない人生なんだ。みんな幸せに生きなきゃいけないんですよ」

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◆亡くなった子たちへの思い

 子どもを大事にする温かさは、いま生きている子に対してだけではない。幼いうちに亡くなった子や、命を授かりながらもこの世を見ることなく亡くなった水子にも向けられる。この寺では水子にも戒名を付ける。水子供養地蔵もある。そのことは自然と知れ渡り、「じつは......」という相談が来るという。
 「やって来る女性はみんないい子ですよ。供養したいと思っていること自体、立派です。流産したのなら、それを子どもに話しなさいと伝えます。たとえば子どもが2人いるのなら、亡くなった子は親の愛情の3分の1をもらうはずだった。だから、2人の子はそれぞれ3分の1の半分を受け取ることになるんだよ、と」
 この世を去った子たちの供養をするために、毎年5月5日には「みたま雛まつり」をおこなっている。第1回は1982年。初めのころは3月3日に実施していたが、いまは子どもの日に合わせている。亡くなった子どもたちの戒名を書いたものを並べ、参加者全員でお経を唱えたり、歌を歌ったりする。本堂には雛段や兜などを飾る。
 「お雛さまなどを見ることができなかった子たちに『ここにこうしてちゃんと飾ったよ』と話しかける気持ちです」
 岩槻は「人形の街」だ。江戸時代に雛まつりの行事が広まり、岩槻は大正時代から本格的な人形の産地となった。この寺のみたま雛まつりにはそうした背景もある。
 この5月5日には参道に巨大な鯉のぼりが置かれ、その胎内を子どもたちがくぐる。母親の胎内に入って、生まれ直すことの疑似体験でもある。子どもたちはゆったりとした気持ちになって、鯉のぼりに願いごとを書き記す。
 一方、寺では檀信徒とともにつくる月刊誌「若槻大師」を発刊していて、500号を超えた。もともとはお釈迦さまの教えを分かりやすく伝えようと、「ハガキ伝道」から始まった。詩の形式にした一口詩法話などを載せている。
 また、コロナ禍では疫病の消滅を祈念する「仏説却温黄神呪経」の教本を配布した。
 「これはお釈迦さまのワクチンなんです。『何としても救う』『疫病で苦しむ人たちとともに歩む』。そう考えたお釈迦さまが示されたものだから、それを信じる。私は何か問題が起きると、お釈迦さまはこういうときにどうされただろう、お大師さまはどうされただろうと考えます。私はそういう追体験をしたいと思って行動しているのです」
 上村さんがここに赴任したとき27歳で、寺は荒れ放題だった。住職として何をすべきか悩み、最初に始めたのがハガキ伝道だった。それから半世紀が過ぎ、上村さんがまいた種は大きな花を咲かせた。

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お寺をコミュニティの生まれる場に ー見樹院・寿光院ー