仏教者の活動紹介

お寺は島の元気の源! ー観乗寺土曜会ー

(ぴっぱら2015年9-10月号掲載)

観乗寺土曜会 影絵劇団もぐら座

「ほら、見てみて。うちの島、仏さまの横顔に見えるでしょう」
 車は海岸線をくねくねと走り続ける。これでもう、いくつの橋を渡っただろうか。そう言われて見上げると、窓の外に、緑の優しい稜線に縁取られた仏さまの横顔が、ふわりと浮かび上がって見えた。
 雲仙天草国立公園にも指定されている熊本県の天草地方。ここでは有明海、八代海などに囲まれた大小120もの島々が独特の美しい景観を生み出している。天草四郎の生誕地であり、キリシタンにまつわる史跡も多いこの地域は、海産物の宝庫としても知られ、年間を通じて多くの観光客を集めている。
 九州本土に近い天草上島の東南には、周囲約12km、人口1500人ほどの小さな島、樋島がある。樋島の「樋」は雨樋の「とい」に通じ、島々のなかでも水が豊富に湧いたとされることから、その名が付けられた。樋島は50年ほど前に架橋されて以来、九州本土からも車で行き来できるようになったが、それまでは人の移動や物の運搬は船を使わなくてはならない、文字通りの離島だったという。
「私が嫁いで来た頃には、娯楽がほとんどない島でした。時折、巡回の芝居小屋が来ていましたが、それらが唯一の楽しみのようなものです。だから、お寺で子どものために日曜学校を始めたのですが、ふたを開けてみれば大人も大勢やって来まして、毎回、お堂がいっぱいになるほどでした」
 樋島にある浄土真宗本願寺派観乗寺の前坊守、藤田雅子さんはそう言って目を細めた。慶長9年に建立されたという観乗寺は、樋島をはじめ周囲の島々に多くの門徒を抱える、この地域随一の古刹である。島内には細い路地が張り巡らされ、そのあいだを縫うようにして進むと、どことなく南国の気配がただよう、観乗寺の白い山門へとたどり着く。

● 夜のお寺に子どもたちの声が
 雅子さんは1952年、嫁いですぐにお寺の日曜学校「観乗寺土曜会」を開始した。以来60年以上とぎれることなく、現在ではご子息である藤田英道住職と坊守の智代さんとともに、子どもたちに仏教情操を育むための活動を続けている。今年で85歳を迎える雅子さんだが、その闊達さと社交性は周囲の誰もが認めるところ。月に2回、夜7時から行われている「土曜会」でも、変わることなく指導役を務めている。
2015-9mogura2.JPG お寺の日曜学校といえば朝から行われるというイメージが強いが、観乗寺ではなぜ、夜なのだろうか。
「当時の子どもたちは、日中は幼いきょうだいの面倒をみたり、畑を手伝ったりととても忙しかったんです。それで、子どもたちに土曜の夜はどう? と聞いたら、『そんならよかよ!』なんて言われて----」と、雅子さんは笑いながら往時を語った。
 当初は、毎週子どもたちが通ってきていたという「土曜会」。観乗寺の法務を手伝っていたお坊さんたちにも協力してもらい、童話やゲーム、幻燈会(スライドに語りをつけた上映会)など、趣向を凝らした催しで子どもたちを楽しませた。「何をやっても、昔の子どもたちは興味津々。みんな眼がキラキラ輝いていましたねぇ。お寺も忙しかったけれど、それは、やりがいがありました」と雅子さん。
 もちろん、毎回合掌してお経をお称えすることは欠かせない。背筋を伸ばして手を合わせる年上の子どもの仕草を、小さい子どもたちがまねしていく。雅子さんは、「最初はまねでも、形からでもいい。子どもには、たとえ遊びながらでも教えが染み渡っていくものです。まずは宗教的な環境を整えてあげることが大切なのです」と説明する。
 藤田住職も、もちろん幼い頃からの「土曜会」会員である。同級生もみな、お寺に通ってきており、島民の多くが「土曜会」の卒業生だ。しかし、中学を卒業すると多くは関西方面などに就職するため、島を離れてしまったそうだ。
 島に大きな産業があろうはずもない。若者が島外に出て就職したり、進学したりする流れが、この頃からいまに至るまで続いている。そうして、かつてはお堂を埋め尽くした「土曜会」の子どもたちも、過疎が進み、少しずつ減っていくことになる。
 京都の龍谷大学で学んだ藤田住職は、卒業するとまもなく島へ戻り、学生時代に人形劇サークルで知り合った智代さんをお寺に迎える。学生の頃から子ども会を巡るなど、児童教化に取り組んできたお二人にとって子どもの扱いは慣れたものだった。「土曜会」でも、得意の人形劇を子どもたちに見せていたそうだ。

●「もぐら座」の結成
 そのうち、「せっかくだから影絵劇を子どもたちにやらせてみよう」ということになった。練習を始めたところ、これが、なかなかの出来である。記念すべき初回の公演は、1998年、知人の台本をアレンジした民話調の作品「カッパの笛」だった。
 卒業記念公演ということで、6年生だけが出演したこの作品は、観に来た親も小学校の先生たちも、本格的な仕上がりに目を丸くしたという。以降、新しい作品に取り組むも、照明に、音楽にと回を重ねるごとに完成度が上がっていく。そうして結成されたのが「土曜会」内の影絵劇ユニット、「影絵劇団もぐら座」である。
 もぐらは「土竜」と書く。土曜会の土と、観乗寺のある龍ヶ岳町の竜をとっての命名だった。「もぐら座」は地域でも評判となり、近隣のお寺や老人ホーム、小学校などからも公演の依頼が来ている。
2015-9mogura3.JPG 毎年、卒業記念公演は3月に行われる。そのため、1月から3月頃にかけては、高学年の希望者のみが週に5日間お寺に通い、みっちりと練習を重ねている。「はじめは不安そうだった子どもたちも意欲的になり、仲間と意見を交わしながら、だんだんと作品づくりを主導していくようになります。そうした成長を目の当たりにできることが本当に嬉しいですね」と、藤田住職と智代さんは微笑む。
「もぐら座」の練習の後に、お二人はなんと毎日のように子どもたちをワゴン車に乗せて送迎している。
「正直言うと、やはりたいへんです。でも、送迎の時間は、実はとても貴重な時間なんです。『あいつはあの子が好きばい』、なんて秘密も教えてくれるし、二人きりになれば、そっと悩みを打ち明けてくれたりもします。普段は知らない、子どもたちの素顔が見えるんです」

● 教化・文化の中心にはお寺が
 とめどなく語られるエピソードからは、智代さんの、子どもたちへの愛情の深さを伺い知ることができる。藤田住職も、「そうだ、そろそろまた成人した卒業生を飲みに連れて行かねばならんね」と、隣で相づちを打ちながら白い歯を見せた。
 お寺に来る子どもたち一人ひとりに向き合い、慈しむ菩提心が、その子を通じて家族にも伝わり、ひいては、地域の教化へとつながっていくのだろう。こんなお寺が近くにあれば......と、子どもを持つ親なら思わずうらやましくなってしまいそうだ。
2015-9mogura1.JPG お盆の時期には、境内をたくさんの盆ちょうちんで飾る観乗寺だが、昨年からは、屋台やビアガーデンで人々を迎える催し「盆(ボン)ソワール」も始めた。お酒を飲む場所もコンビニエンスストアもないというこの島で、皆に楽しんでもらえたらという、藤田住職のアイディアが形となったものだ。
「お寺の畳が傷むのはみんなが集まる証拠。そうでないならば、そのお寺はおかしい」とは、前住職の言葉だったという。二世代にわたる力強い教化への情熱は世代を経てなお受け継がれ、多くの島の人のこころを、これからも明るく照らし続けるに違いない。

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