仏教者の活動紹介

カルト宗教から若者を守る

(ぴっぱら2015年7-8月号掲載)

第39回正力賞受賞者の活動 ―日蓮宗大明寺住職 楠山泰道さん―

kusuyama taido.jpg迫力のあるお坊さん。それが、楠山泰道さんの第一印象だ。がっちりとした身体に鋭いまなざし、よく響く低音の声。しかし、話すうちにその印象は柔らかに変わっていく。オウム真理教などのカルト宗教問題に取り組み、多くの若者を脱会へと導いた「異色の」お坊さんは、住職を務める日蓮宗大明寺に附属する幼稚園の、優しい園長先生でもある。

海を望む風光明媚な地として、首都圏から多くの観光客が訪れる神奈川県の三浦半島。そのほぼ中央部に位置する衣笠地区に、大明寺はある。もともと、三浦半島を中心に33か寺の末寺を擁していたとされる大明寺。現在でも、半島一と言われる広大な伽藍を有している。

その境内に設置されているのは、楠山さんが宗門の協力を得て、有志とともに立ち上げた青少年のための相談所「青少年こころの相談室」である。ここで楠山さんは、臨床心理士らとともに毎週土曜日、不登校やひきこもり、カルト宗教問題などに悩む青少年やその家族に対して面談を行っている。ひっきりなしに相談が寄せられることから、面談日以外にも電話の対応をしたり、親のための勉強会を開催したりと多忙な毎日だ。

●若者の問題行動

楠山さんが大明寺の住職となったのは、今から15年ほど前のこと。それまでは実家のお寺である日蓮宗妙伝寺の副住職を務めながら、地元の高校で教師をしてきた。時は1970年代。非行や家庭内暴力、校内暴力などが社会問題となっていた。血気盛んな若者が多い反面、自分に自信が持てなかったり、こころの安定を求めていたりする者も多いことに、楠山さんは気づいた。「そうか、この子たちは暴れたりすることでしか、自分を表現できないんだ......」。

そこで楠山さんは、妙伝寺に彼らを招き入れ、彼らの居場所をつくることにした。家に帰りたくないのか、長い時間お寺にたむろして、夜になると自宅に帰っていく若者たち。夜遅くまで騒ぐことがあったりと、近所の評判はあまりよくなかったそうだが、彼らの想いを受け止めることに努めた。その甲斐あってか、評判のワルと呼ばれた若者であっても、次第にこころを許すようになっていったという。

「はじめは非行の問題が多かったけれど、1980年代頃から、ひきこもる若者が増えてきた」と、楠山さん。非行とひきこもりは正反対のように見えるが、根にあるものは共通していて、人間関係、とくに家族との葛藤が根底にあることも少なくない。加えて、宗教に関する相談も、この頃から多く寄せられるようになった。

1980年代と言えば、オウム真理教や統一教会などのカルト宗教が信者を増やそうと活発化した時期だ。「息子が宗教団体に入り浸るようになり帰ってこない」「やめさせたいが、子どもがまったく話に応じない」など、楠山さんのところにも、家族からの深刻な相談が相次いだ。

●人生を狂わせるカルト宗教

この問題に楠山さんは、危機感を共有する医師や弁護士、研究者、ジャーナリストらとともに情報交換をしながら対応に当たった。「カルト」に対する予防と啓発を行う、現在の「脱カルト協会」も、楠山さんたちが立ち上げたものだ。

オウム真理教信者の脱会は、まさに修羅場の連続だったと、楠山さんは振り返る。坂本堤弁護士一家の事件に象徴されるように、邪魔者はVXガスや爆弾テロなどで次々と狙われていく。大きな事件とならないまでも、仲間がずいぶんと危ない目にあったという。自分が狙われるのは仕方がないにしても、勤務する高校にテロが仕掛けられたりして生徒たちが被害にあうことを、当時、何より恐れていたと、楠山さんは語る。

1995年の、オウム真理教の強制捜査の後にも、楠山さんは未成年で保護された信者、公文書偽造や家宅侵入などで逮捕された信者らのカウンセリングを請け負った。

「カウンセリングの一番のポイントは、プライドを傷つけないこと。修行をして本気で世の中を救おうとしていたのだから。まずはそれを認めてあげて、その上で矛盾点を指摘していく。教義に疑問を持ち始めたら、そこが脱会への第一歩」と、楠山さん。

それでも、マインドコントロールを解くのには短い人で3か月、長い人は20年以上もの時間がかかるという。人の一生を狂わせるカルト宗教は、宗教を名乗っていたとしても、とても宗教と呼べる代物ではない。

●信者を生み出す背景とは

乱れた世の中を正し、人を救済したい――と、良いことをしていると信じて疑わないカルト宗教の信者たち。親や先生に認められることを目標に生きてきて、しかし、自分というものを見つけることができずに漂流していた彼らは、自分自身の課題と向き合わずに済む幻想の目標を植え付けられてしまったのだろう。「現実に立ち向かわず、傷付かないで済む分、ある意味カルト宗教の中で生きるほうがよほど楽」と、楠山さんは指摘する。

それでは、どうしてそうした若者が生み出されてしまうのか。「厳格で、遊びのない家庭、きまじめな家庭はあぶない。子どもは親の期待に応えようとする『良い子』になるが、自分を証明する術や考える力が育ちにくい」と、楠山さんは説明する。オウム真理教にも、まじめで高学歴の若者が多く入信していたことが思い出される。

ほかにも、社会的な要因として、子どもたちの人と関わる経験が希薄となったことも大きいそうだ。「昔に比べて外で遊ぶことも、近所の子ども同士で遊ぶことも減ってきている。そうした群れに入ると、ケンカしたり競争したり、我慢しなくてはならなかったりする場面が必ず出てくる。その葛藤と小さな挫折感が、自分を知り、自分自身を確立させる材料となったものだけれど、小さい頃にそれがないと、競争に負けるのを怖がり、挫折を極端に恐れる若者になってしまう」。

かつて盛んだった暴走族が今なぜ減っているかというと、悪い子が減ったからではなく、人との関わりが苦手な子が増えて、仲間とつるむこと自体が難しくなっているからだという。

「自分自身を発見できない」という彼らに足りないものは、安心して人間関係の訓練をすることのできる受け皿となる場だ。

楠山さんは彼らのために伝統芸能「纏」の保存会を主催して、不登校などの若者に、遊びの中で仲間と関わる経験を提供している。元、非行少年もいれば、元、信者もいて、巣立った後も、自分たちが経験してきたことを後輩に伝えてくれている。「自分たちのようになるな」と「自分たちのようにもなれるよ」とが、交差する場だ。今後はさらに地域の中でこうした受け皿を増やし、苦しむ人をつくらないための「予防の場」としていけたらと考えている。

●現実の中で生きた修行を

人との関わりを避ける傾向があるのは、仏教界も同じである。一部の僧侶にとって、僧侶の役割が単なる職業と化してしまっている現在、相談を受けるなどという「面倒くさいこと」はしたくないのが本音だろう。自身が危険にさらされるかもしれない「カルト」の相談であれば、なおさらだ。

宗教を名乗る団体によって、苦しんでいる人が多く生み出されている状況があっても、伝統仏教界の関心は決して高くない。

「宗教を名乗るものがおかしなことをしたのなら、宗教者がそれに対して違うと言わなければ、一体誰が言うのでしょうか。宗教は人を救うものでなければならないし、人を幸せにするものでなくてはならない。人を救うには、いのちをかけなければならないのです」

万人にできることではないかもしれない。しかし現実社会での修行の中にこそ、得難い真理が隠されている――。お寺も若者と同様に、今こそ〝先輩〞に学ぶ必要がありそうだ。

若者が集い羽を休めるお寺―円成寺「NPO法人チュラサンガ」― お寺は島の元気の源!