仏教者の活動紹介

地域子ども会・日曜学校とともに50年

(ぴっぱら2011年11-12月号掲載)

第35回正力賞受賞者の活動 ―浄土真宗本願寺派真行寺前坊守 禿川瑛子さん―

福岡県にある人口1万2千人の町、香春()町。香る春、というなんとも美しい名が印象的だが、北九州市の南に隣接するこの町はその名のとおり、周辺を香春岳をはじめとする美しい緑の山々に囲まれている。またこの一帯は、かつては炭鉱の町としても栄えていた。その作品が今年、ユネスコの世界記憶遺産にも認定された、元炭鉱夫の山本作兵衛の画文をはじめ、文化財、民謡などにその歴史を垣間見ることができる。

「私が母のお腹にいるころから、父と母は子どもたちを集めて日曜学校を開いていました。炭鉱に勤めていた人たちの子どもは、みんな日曜学校に通っていたんですよ」

そう語るのは、香春町にある浄土真宗本願寺派真行寺()の前()禿(とく)(がわ)瑛子さんである。禿川さんは、香春から少し離れた今の飯塚市にあるお寺の出身。そして、真行寺に嫁いだのは今から50年以上前のことだ。禿川さんは地域の子ども会、そして習字教室も兼ねた日曜学校を長きにわたり主宰してきた。幼いころから日曜学校の情景がごく身近にあったという禿川さんだが、地域の子ども会指導者となったきっかけは、嫁いで数年のある日、2人のご門徒が小学校教諭でもある禿川さんを尋ねてきたことだった。

「子どもたちが、自然に仏さまの前で手を合わせるようになったらどんなによいでしょう。地域の子ども会を作りたいので、ぜひ力を貸して下さい」

子ども会活動が推奨され、各地で発足していた頃の出来事である。それはすばらしいことですもの、そう言われたら断れませんよね、と禿川さんは笑う。こうして昭和36年、地区の子ども会「五徳子供会」が、真行寺を拠点として誕生した。

●2つの会の指導者として

子ども会の開催は月に一度。しかし、それだけには留まらなかった。子ども会の指導者となってまもなく、「お習字を習いたいけど、教室が遠いの」と、ある子どもが言っているのを禿川さんは耳にする。当時は車を持っている家はごくまれで、遠くの町まで子どもが習い事に通うのは大変なこと。それならば、お寺でお習字を教えよう、そう考えた禿川さんは、地域の子ども会と並行して習字教室を開くことにした。

多い時には40人もの子どもが、毎週真行寺に集った。ご本尊様に手を合わせ、おつとめをしたのち、お習字に取り組む。そして、その後は楽しい遊びの時間が待っている。

お寺の習字教室はその後、禿川さんが教職を退いた昭和57年から、改めて真行寺日曜学校としてスタートし、現在に至っている。日曜学校となっても、おつとめをしてお習字を習い、みんなで遊ぶ......と、プログラムは変わらない。子どもたちは、子ども会と日曜学校両方に通い、それ以外の日にも遊びに来るため、真行寺では子どもの声は絶えることがない。

「最近では、子どもたちも塾や習い事で忙しいようです。また、子どもが地域から減ってきましたので、参加者は少なくなりましたね。でも、昔も今も、子どもたちはお寺で遊ぶのが大好き。『ここにくるとホッとする』という子も多いのです」

日曜学校では、裏山から切った竹を材料にする竹笛や竹馬づくり、そして、マッチやピンポン玉、風船などを使って競争をする「室内オリンピック」など、身近な材料を活用しながら遊びを楽しむ。

竹を使った工作などは、主に禿川さんのご子息で現住職の秀水さんが担当する。また、仏教賛歌を歌う時には、禿川さんと坊守の彰子さんが指導するそうだ。お寺を守りながら、禿川さんは寺族、そしてご門徒や地域の人と力をあわせて子どもたちを見守ってきた。

●お寺のあるべき姿とは

お寺に来れば、お寺の人がいつもいて、何か声をかけてくれる......。何でもないことのようだが、そんな環境は、子どものこころに大きな安心感を与えているのではないだろうか。人は、他者からその存在を認められ、肯定されることを喜びとする。自分がそうしてもらえるということは、他者にも同じように優しいまなざしを向けることにつながるだろう。

「お寺のよいところは、のびのびさせてあげられること」と語るのは秀水さん。「こうしなさい、ああしなさいとは、家や学校でよく言われていますよね。しかしお寺では、たとえば履物が乱れていたら、『散らかっているのと、きれいになっているのとでは、どっちがいい?どっちが気持ちいい?』とみんなに問います。子どもたちは、それだけですぐに気づくし、よくわかるものです」

お寺に通うことは、子どもたちにとっていいことづくめのように思える。しかし、昨今では少々事情が異なるようだ。

「今は、『お寺に行かんでいい』という親御さんもいます。子どもは、お寺に来たがっているのですが......。そうした親御さんは、よそから来た方が多いですね。きっとお寺になじみがないのでしょう。だから、できるだけお寺のことを知っていただけるように、行事や催しを工夫しています」

かつては遠足やお泊り会など、日曜学校の行事には必ず親の姿があった。親の方が、お寺では家庭や学校で学べないことを子どもたちが教われると、喜んで子どもを送り出していた。

今は、世の中全体が個人主義になってきているのかも知れませんね、と禿川さんは語る。社会が豊かになるに従い、何事もお互いさまと、地域で助け合う機会は減っている。

かつては農業に従事する人が多かった香春も、昭和40年代頃から両親ともに勤めに出る家庭が増えたという。これまで手作りのおやつを手渡されていた子どもたちは、学校から帰ると、おやつ代としてお金を置いていかれるようになった。

何となく荒っぽいような、すさんだような雰囲気の子どもたちを見かけるようになったのは、その頃からではないかという、禿川さんの言葉が印象的だ。

触れ合う時間が短くとも、親が思いを込めて向き合えば、子どもは愛情を確認することができる。しかし地縁が失われ、時間の流れがあまりにも速い現代では、親にこころの余裕がなくなった時、なかなかSOSを発することができないのだろう。お寺は子どもたち、そしてその家族の憩いの場でありたい。真行寺の願いは50年間変わることがない。

●ただ、子どものことを思うだけ

今では、日曜学校を休止するお寺も多い。ましてや、新しく始めようというお寺は本当に少ない。

「子どもも減ったし、やめてしまおうかな、と考えているお寺には『一度やめたら終わりですよ』と言いたい。今はなかなか子どもが集まらない時代ですから。ひとりでもいい、少なくてもいい、手を合わせることのできる子どもを育てたい、そういう信念が肝要です。子どものことを考えると、『やらずにはいられない』という気持ちで取り組むのが大切ではないでしょうか」

また、子どもが集えばお寺は当然のごとく汚れがちに。それが気になる、というお寺もあるだろう。

「そんなことは考えたことがなかった」と禿川さんは言う。「お寺はもともとご門徒さんのものだし、プライベートに入られたくない、などと言っていたら何もできません。あめ玉ひとつでも、子どもは笑顔になります。お寺は難しく考えず取り組んでいけばよいのでは」と、禿川さんはお寺にエールを送る。

50年もの間、子どもたちのこころに仏さまの種を植え続けた禿川さん。子ども会の開設当初、真行寺に通っていた子どもはもう60代になる。その孫が、今は日曜学校に元気に通ってきている。

禿川さんは、大人になったかつての教え子に、「何十年経っても、先生に教わったことは忘れられない」「あの時こんな風にほめてもらって嬉しかった」と言葉をかけられる時、長年やってきてよかったとの思いをかみしめるという。仏教教化とは何か、という問いに明確な答えはない。しかしその成果は、確実にここ、真行寺にあるようだ。

悩みに寄り添い、自死を防ぐ こころを育む「夢の世界」 ―妙休寺「影絵劇さわらび」―