仏教者の活動紹介

「おにぎりを渡し、絆をむすぶ」 ―社会慈業委員会「ひとさじの会」―

(ぴっぱら2010年3-4月号掲載)

おにぎりを渡し、絆をむすぶ

「次、炊けたよ?」「お願いします!」明るく照らされたテントの下で、大きな声があがった。ほかほかのごはんは次々と大きなバットに移され、そこに手際よく、ふりかけやお醤油が混ぜ入れられる。女性も男性も三角巾姿、そして寒空の下、坊主頭の僧侶たちはニット帽姿が目立つ。
湯気のたつごはんの味見をさせてもらうと、お醤油の風味とごまの香ばしさが口に広がった。「せっかく食べてもらうからには、やっぱりおいしくないとね」とメンバーが笑う。
東京・浅草の北部に、山谷と呼ばれる地域がある。ここは大阪の釜が崎、横浜の寿町と並んで、日雇い労働者向けの簡易宿泊所が集中する、いわゆる「3大ドヤ」だ。この地域にほど近い浄土宗寺院を会場として、第一・第三月曜日の月に2回、おにぎりを作り、浅草周辺の路上で生活をしている人たちに手渡していくという活動が始まっている。
活動を行っているのは、通称「ひとさじの会」のメンバー。浄土宗・正覺院に所属する原 尚午さんや光照院の副住職、吉水岳彦さんら、浄土宗の若手僧侶7名を中心に、昨年秋から本格的に始動した。
会場となる寺院の境内は、都市寺院の宿命か、中型の車を2台も停めたらいっぱいになってしまうほどの広さ。炊き出しの日には、午後3時くらいから人が集まりはじめる。
アウトドア用の軽量テントと長机を境内にセットし、夜間におよぶ作業のためライトを吊るす。ここに、僧侶をはじめ一般のボランティアやNPO関係者、壇信徒など、毎回20人ほどが集う。玄関先には?主役?の3升炊き炊飯器が誇らしげに並び、盛んに湯気を上げていた。

宗祖の教えを肌で学ぶ

原さんと吉水さんは、路上生活者の自立支援を行う団体との出会いをきっかけに、そうした人たちの葬送や、お墓の問題に関わることとなった。
お二人は、身寄りのない方も人間らしく弔われ、仲間と一緒に安心して眠ることの出来る永代供養墓、「結の墓」の建立にも関わった(本誌2008年12月号参照)。その間も支援団体とともに、都内各地で定期的に行われる、路上生活者のための炊き出しを継続的に手伝っていたという。
それぞれ浄土宗学を志していた二人は、「凡夫(どこかいたらない私たち)が凡夫に寄り添う」という、浄土宗の宗祖、法然上人の人間観に立脚した社会活動を実践したいと考え、賛同する仲間たちと会をつくった。
法然上人の伝記にある、上人が重湯を路上の病人にひとさじずつ与える姿に学び、会を「ひとさじの会」と命名。そして、浄土宗がかつて「社会事業宗」と言われていたこともあり、「慈」の字を入れ、正式名称を「社会慈業委員会」とした。
「路上にいる人たちは、くさい、くさいと言われるけれども、本人だってもちろん、本当はお風呂に入りたいんです。でも、その人たちはそうせざるを得ないところに身を置いている。その辛さ、やるせなさ......その人たちから学ぶものは本当に大きいんです」そう吉水さんは語る。
会の中心メンバーは、同じように浄土宗学や宗教学を学び、研究している僧侶が多い。「仏教の勉強は本当に深く、答えは尽きません。今は、現場で活動することにより、生きることそのものの苦しみや現実を肌で学ばせていただいています」
メンバーは、「私たち僧侶にできることは何か」、そして「本当に苦しみを抱える人たちにとって望ましい支援ができているか」と、それぞれがいつも自問しているという。お念仏のみ教えを杖とするものが社会活動に参加し、その活動の場で多くの人とふれあい、学びあい、社会が慈しみの心で満ちあふれるようにと心がけていくことが、いま求められているのでは、と二人は語った。

晴れの日も、雪の日も

時間差でつぎつぎと炊かれ、調味されたごはんは、ラップを敷いた容器に盛りつけられ、大勢の流れ作業によりにぎられていく。このおにぎりが、渡された人のその日唯一の食事となることもあるため、その大きさは、赤ちゃんの頭ほどもある。
一回に配るおにぎりは180食ほど。桜の名所として有名な墨田公園や、昼は観光客でにぎわう雷門、仲見世通り周辺などを歩き、人足の減る夜8時ごろから配っていく。
この日は東京では珍しく、あいにくの雪模様となった。道路が、街路樹の枝が、みるみる白く染まっていく。歩く私たちの足先もしびれ、感覚がなくなってくる。そんな中、薄い毛布にくるまって路上で寝ている人たちは、どれほど寒い思いをしていることだろう。
「こんばんは、夜分にすみません、ひとさじの会です」メンバーはおにぎりと、無料の医療相談会などの案内を記した紙、そして使い捨てカイロなどを一人ひとり手渡していく。「寒いのにすまないね」ある男性は話かけると、時折笑顔も見せた。
ひとさじの会が、路上生活者を集めて行う炊き出しではなく、おにぎりを配って歩くのには理由がある。ひとつは、一箇所に大勢を集めると苦情が起きやすいということ。もうひとつは、体力が落ちて炊き出しの列に並ぶことのできない人にも、温かいおにぎりを渡したいからということだ。
直接ふれあう。会話をする。ささやかなことだが、あらゆるつながりを絶たれた結果、路上で暮らさざるを得ない人たちにとっては、ホッとするひと時になるのではないだろうか。

ささやかだけど、「誰もができる」活動を

ひとさじの会で使うお米は、主に「フードバンク」から提供をうけている。フードバンクとは、食品関係の会社や農家などから援助をいただき、児童養護施設や授産施設、DV被害者のシェルターなど、さまざまなところに食料の支援をする団体のことだ。会では、寺院に災害用のお米の備蓄をすすめ、それを数年ごとに買いなおす際に、そのままお米を寄付しようと、仏教界に呼びかける試みも行っている。
「コンビニエンスストアよりも数多いお寺が、もし食料の備蓄に協力してくれたら、そして、もし食料を受け渡す窓口になってくれたらすばらしいなあ......と夢はふくらみます。うちは小さなお寺ですが、そんなお寺でも何かのお役にたてるというモデルケースをつくれればと思います。『誰にでもできない』ことが尊いのではなく、『誰にでもできる』ことこそ、尊いのではないでしょうか。ささやかだけれど、誰もができる、みんなが参加できる、そういう活動にしたいのです」吉水さんは語る。
路上生活者、いわゆるホームレス状態の人は仕事を失い、家を失い、そして最後に絆を失うという。おにぎりを通じて、温かさや人のぬくもり、そして「つながる」実感をお届けしたい。会の参加者からは、そんなまっすぐな熱意が感じられた。
また、路上生活の人たちは、僧侶であるメンバーに敬意と好意を持って接してくれるという。
「それは、子どものときに家族とお寺へ通ったとか、花まつりや子ども会に参加したという、彼らの大切な思い出として、お寺が印象に残っているからなんです」最後にそう話してくれたことを付け加えておきたい。
先人たちの教化活動は、長い年月を経ても色あせることなく、一人ひとりのこころに深く刻まれているようだ。先人と若き僧侶たち、いずれも仏教者として今なすべきことを、私たちに教えてくれているようだ。

(ぴっぱら2010年3-4月号掲載)
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