仏教者の活動紹介

お寺が持つ力を教育に ―建長寺子ども会―

(ぴっぱら2007年6月号掲載)

地域の子ども会から、お寺の子ども会へ

建長寺を訪れたのは、ゴールデンウイーク直前の平日の午後だった。連休が始まれば多くの観光客の姿が目につくであろう北鎌倉駅からの道筋は、雨のせいもあってか人影もあまりなく静かな古都の佇まいを見せていた。建長寺の境内も、参拝者はまばらであったが、ピンクや赤紫、朱色といった、たくさんの牡丹の花が雨の雫を滴らせながら見事に咲き誇り、連休の人出を待っているかのようだった。
私は過去に2~3度ほど建長寺を訪れたことがあるが、多くの文化財を有する由緒ある寺院、そして禅の修行道場という印象が強く、この寺で子ども会の活動が行われているというのは意外だった。建長寺に子ども会ができたのは、もともとこの地域の子ども会があり、その運営を建長寺で行っていたことによるという。しかし、この地域に住む子どもがめっきり減ってしまい、あまり子どもたちが集まらなくなってしまった。そこで、10年ほど前から地域を限定せずに広く子どもたちを集めることになった。そして「建長寺子ども会」として新たに出発することになったのである。
ではなぜ、そもそもこの地域の子ども会を建長寺が運営していたかといえば、それは、2代前の建長寺の管長であった湊素堂老師が大の子ども好きで、子どもたちをたいへん可愛がっていたことによる。ある時、某有名企業から講演会の講師を頼まれた老師は即座に「その日は約束があるからだめです」と断った。その約束というのは、近所の子どもたちと境内で遊ぶ約束のことだった、という逸話もある。そのくらい湊老師は子どもたちを可愛がり、大切にしていた。境内で子どもたちと遊んだり、正月には書き初めや餅つきなどもやっていた。それがこの地域の子ども会の前身となったのである。

竹の子の会でいのちの大切さを学ぶ

建長寺子ども会は、建長寺の教学部によって運営されていたが、2年前に教学部の内部に「青少年委員会」が設けられ、今はこの委員会によって運営されている。ただし、固定された会員制の子ども会があるわけではなく、何らかの行事がある度に参加者を募る形式の子ども会である。行事の参加者募集の案内は、住所が登録されている家庭のみに送付されているが、基本的には誰でも参加することができる。
青少年委員会の主催で最も人気のある子ども会の行事は、毎年4月下旬に開かれる「竹の子の会」だ。5年ほど前に始められ、100名を超える参加者がある。参加資格は小学生以上、大人はお手伝いとしての参加になる。
竹の子の会は、午前10時に建長寺に集合して、まず皆でお経をあげることから始まる。その後、注意事項等の説明を聞き、境内地の中にある山へ登り、グループに分かれて、竹を材料に、箸とご飯を食べる器を作る。子どももノコギリや小刀などの刃物を使って自分の箸や器を作る。今年は125人の参加者があって、1人もケガ人が出なかったが、例年だいたい3~4人は指を切って泣き出す子どもがいるようだ。
刃物の使い方を覚えるのも大事なことである。だからあえてリスクを負って子どもにも刃物を使わせる。危ないからといって使わせなかったら、正しい刃物の使い方を覚えることもできない。もちろん作業を始める前に厳重に注意をする。「皆で協力して実施できなければ、この会はいつなくなるかわからない」と、毎回参加者に伝えている。
竹の食器が出来上がったら、一度山を下りて食器を洗い、お寺で用意した竹の子ご飯を、自分で作った器に盛って、自分で作った箸で食べる。食事の前には、食べることの意味などについて、子どもに話をする。今年は、教学部長の永井宗直さんが「食事の前に『いただきます』と言うことの意味」について話をした。
「『いただきます』というのは何をいただくのでしょうか。いのちをいただくことなんですよ。だから手を合わせて『いただきます』と言うんですよ」
そう説明すれば、子どもはちゃんと理解する。むやみに食べ物を残してはいけないこと、粗末にしてはいけないこともわかる。
食事の後は休憩時間とすべきところだが、子どもがおとなしく休憩時間を過ごすことはまず考えられないので、坐禅の時間としている。その後、再び山へ登り竹の子掘りとなる。この行事は、竹の子掘りを目的にしたものであるが、実際のところは、教育的意味合いが大きい。いのちの大切さも学ぶ、食事の作法も学ぶ、刃物の使い方も覚える。自分で作った箸を持ち帰って、来年の竹の子の会までの1年間、家でその箸を使う子どももいるようだ。

お寺はこころのストレッチ

青少年委員会が主催する行事は、竹の子の会の他に、正月には餅つき、そして寺族の子弟を対象として7月の末に2泊3日で行う「少年少女禅の集い」がある。以前は一般の子どもを対象にした「夏休み一日坐禅体験」も行っていたが現在は休止中である。
また、青少年委員会の行事ではないが建長寺の教学部が窓口になり、NPO法人「日本語の美しさを伝える会」と共催しているイベントとして「建長寺親と子の土曜朗読会」がある。この朗読会は「日本語の乱れは、日本の文化、社会、日本人自体の崩壊をもたらしかねない」ことを危惧し、美しい日本語を子どもたちに伝えていくために企画されたもので、2005年1月から続いている。
「今の子どもたちは映像で育っているからなのか、初めの頃は朗読だけではイメージがわかないようで、すぐに飽きて退屈そうにしていた子どもが多いようでした。それが、会を重ねるごとにだんだんと、子どもたちも頭の中でイメージが作れるようになってきたようです」と教学部長の永井さんは話す。参加者は30~40名くらいで、大人の参加者が多いが、ずっと続けて来ている子どももいる。
永井さんは、大人の坐禅研修を指導することも多いが、一番やりがいを感じるのは子ども会の活動だと語る。今年は教学部長として、小学校や中学校などから依頼される坐禅会の指導をなるべく多く引き受けていく方針だ。今までの公立の学校は宗教と関わることを避ける傾向があったが、ここ数年、やっと公立の学校からの依頼も増えてきたという。
永井さんは、学校の体育館などで開かれる坐禅会の指導にも行くが、できれば子どもたちには建長寺に来て坐禅をしてほしいと願う。お寺には、日常生活では感じられない緊張感がある。自然に手を合わせたくなる雰囲気がある。
「寺というのは『こころのストレッチ』だとよく言うんですよ。普段使わない部分のこころが動きます。この雰囲気の中で子どもたちに坐禅をしてほしい」と永井さんは語る。
建長寺で行われる子どもの坐禅会でもこんなことを話す。「わかるかい、皆が坐っている時にはお参りの人が足音をたてないように気を配って歩いてくれているだろう。これは、皆が坐禅をして光っているから静かに歩いてくれているんだよ」永井さんは、子ども自身に自分たちがやっていることのすごさをわかってもらいたいという。
お寺という日常生活とは異質な空間で、袈裟を着た僧侶が子どもたちに、たとえば「いのちの尊さ」を語ることには特別の意味があるのだろう。寺の持つ独特の雰囲気が子どもたちの感受性を刺激して、僧侶の一言ひとことが強い印象を残すこともあるはずだ。それもお寺の持つ力のひとつなのかもしれない。(関口哲)

(ぴっぱら2007年6月号掲載)
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