仏教者の活動紹介

子どもたちに夢を ―人形劇団かちがらす―

(ぴっぱら2003年1月号掲載)

大空に羽ばたくように

「むかしむかしあるところに......」、ある程度の年齢の方なら、誰もがその響きに子どものころの懐かしい思い出を重ね合わせるに違いない。「人形劇団かちがらす」は、日本の昔話やジャータカなどの仏教説話を人形劇に仕立て、30年にわたって公演を続けてきた。初舞台は昭和46年の「佐賀県人形フェスティバル」でのこと。ベテラン勢を押しのけて見事に優勝してしまった。以来、県内はいうに及ばず九州各地で公演し、人形劇を通じて子どもたちの情操教育を行ってきた。
代表の熊谷靖彦さんは浄土宗の僧侶。大学在学時には、東京のプロ劇団で舞台美術のアルバイトをしていたそうだ。大学の授業はそっちのけで舞台美術に没頭し、卒業も危うくなったと、当時を振り返って熊谷さんは苦笑する。佐賀に戻ってからは、地域の子どもたちを対象に、日曜学校や子ども会を始める。歌やゲーム、スタンツ......、宗派の研修会などに積極的に参加しながら、さまざまな知識やスキルを習得していった。
あるとき、京都の仏教大学の児童文化研究部が人形劇を携えて町に巡回公演に訪れた。その様子を見ていて「これなら自分にもできる」と思ったそうだ。東京での舞台美術の経験が花開く時が来たのである。さっそく10名ほどの仲間を集めて劇団を結成。「人形劇団かちがらす」と命名する。かちがらすは佐賀県の県鳥、「佐賀を代表して大空へ羽ばたくように」との思いを込めた名前だ。
現在、劇団のメンバーは20名ほど。小学校の先生や保育園の保母さんをはじめ、公民館の職員、自営業の人など多彩な顔ぶれだ。もちろん人形や舞台はメンバーの手作り。女性が衣装を縫い、男性が発泡スチロールや木材などを使って人形を作る。人形の数は40体を超えたそうだ。
製作場所も練習場所もお寺の広間。舞台セットを常設できるだけのスペースを確保できるのは、お寺ならではのことだろう。劇のシナリオも熊谷さん自身が書いており、レパートリーは32本にもなる。
かちがらすは、毎年、夏になると地域の小学校を一校ずつ巡回する。
「人形を見ると子どもたちの目の色が変わるんですよ。人形にいのちがあるように思うんでしょうね。鬼が出てくると途端に泣き出してしまう子もいます」と、熊谷さんは語る。
劇団結成当時は、第2次ベビーブームの真っ只中。子どもたちばかりでなく、学校の先生も巡回を待ち望んでいたようだ。
学校での公演の他にも、県や町の文化祭やチャリティーショー、お年寄りの福祉施設などへ出かけていく。30年のあいだに、テレビ番組でも何度も紹介されてた。文部省から委託を受けて、佐賀の民話「宝の目玉」を題材にした人形劇の8ミリ映画を撮ったこともあるという。

生のリアリティーを感じる空間

実際の人形は想像以上に重い。ほとんどの人形が背丈1メートルほどもあるのだから当然のことかもしれない。へびの人形などは全長2メートル以上もある。団員は暗幕の下に身を隠し、中腰になりながら人形を自分の頭の上に突き出して、両手だけで巧妙に操る。5分も動かしていれば、手足に痛みが走ってくる重労働である。
移動もたいへんだ。主役の人形をはじめとして、建物や自然などのさまざまなセット、マイクや照明機材、舞台セットなど、2トントラックいっぱいに積め込んで公演へと出かける。ときおり企業や行政などの助成を受けるそうだが、制作費や移動費などの経費は、ほとんど自前である。
このような、けっして楽とは言えない人形劇の公演をなぜ30年も続けるてきたのか。その問いに熊谷さんは次のように答える。
「今の子どもたちは、テレビやゲームにくぎづけになっていて、生の舞台にはほとんど縁がありません。人形劇は、人の息づかいまで感じることができます。それが大切なんです。
それと、私たちがボランティア活動をしている姿を見て、なにかを感じてくれれば嬉しいですね。そこからいろいろな夢が生まれてくるのではないでしょうか」。
バーチャルではなくリアル、五感を使うことの少なくなった現代の子どもたちに、生きるとは、いのちとはといった人間の根本的な問題について、身体全体を通じて感じ取ってもらいたいという願いがあるようだ。
人形劇の発生は古く、世界各国の民族が独自の人形劇を創作し演じてきた。最近では文化・芸術の面ばかりでなく、障害をもつ人たちのセラピー(治療法)としても注目されている。人形劇は、時間や場所を超えた無限の世界をある種の現実感(リアリティー)を表現することができる。
それは宗教のはたらきともあい通じる非日常空間の創出であり、そこに人形劇による癒しがもたらされる。人形は古代から霊的な存在として、アニミズムやシャーマニズムの世界で重要な役割を果たしてきたことを思えば、ごく当たり前のことなのかもしれない。
熊谷さんはエンターテイメントとしての側面ばかりでなく、そのような人形劇がもつ癒しや気づきの力に魅かれているのだろう。あるいは熊谷さん自身が、知らず知らずにその力の恩恵にあずかっているのかもしれない。
熊谷さんの今後の課題は、若い後継者をどのように育てていくかということ。結成当初の主要メンバーは、50代から60代に差しかかってきている。若い人たちが興味を引くような劇団のあり方を模索しているそうだ。
現代社会で感じづらくなくなってきている生や死の現実感。人形劇ばかりでなくさまざまな伝統文化が、それぞれの時代で人々の心を癒し、育むはたらきをしてきたのだろう。私たちは今、その重要性にもう一度気づき、子どもや若い世代の人たちに伝えていく努力をしなければならないようだ。(神)

(ぴっぱら2003年1月号掲載)
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