仏教者の活動紹介

違いを受け入れて ―皆龍寺サンガスクール―

(ぴっぱら2002年8月号掲載)

歴史ある寺の中で

JR山形駅から車をしばらく走らせると、やがて穏やかな田園風景が広がってくる。田圃の向こうに、緑の山々が豊かな山並みを描く。「山の形って、同じようだけれど、それぞれにどこか違うんだな」そんなことを気づかせてくれる心和む情景の中に、皆龍寺はある。
東北の地にはかつて隠れキリシタンが多く、この山形・門伝の地にもその処刑場があったといわれている。その供養のために、と300年ほど前に皆龍寺は移転してきた。長い歴史を感じさせる本堂の格天井には、羽目板一枚一枚に、移転当時から伝わるという絵が残っている。また、眠っている間に枕の位置や寝ている向きが変わってしまうという「枕返し」の伝説もあり、それを信じずに本堂で昼寝をした職人が目を剥いて昏倒していた......、などという話も伝わっているという。

お寺を開く

そんな歴史深い寺に、今は子どもたちの明るい笑い声が響いている。坊守の榊從子さんが開いている塾に集まる子どもたちだ。
「こんにちは!」体を揺らしながら、ひときわ大きな挨拶をしてくれる女の子。「甘いね、おいしいね」と言いながら嬉しそうにお菓子をほおばる男の子。週に2回、午後3時ごろから、主に特殊学級に通う子どもたちが集まる。從子さんと、長女で高校2年生の至恩さん、友人の鈴木桃代さんが、学校の補習のような形で算数や英語・国語などの教科を教えている。 補習を終えた子たちが帰り、残った子どもたちが一緒に夕食を済ませた夜8時ごろから、また他の中学生や高校生の子どもたちが6~7人集まってくる。夜の部は週四回で、補習ではなく進学のための勉強だ。夜10時半ごろまで、從子さんが中心に教えている。また、週1回、手伝いに来る女性がいる。ここで教えることで気持ちが癒されると言っているそうだ。
実家の寺にいたころから、日曜学校を開くなどして子どもたちと積極的に接してきた從子さん。「このお寺でなら、結婚しても(日曜学校などの活動を)させてもらえる」と思って現住職との縁談を受けたそうだ。
そんな從子さんにとって、それぞれの祖母などに連れられて毎日のようにお寺に来る子どもたちと遊ぶのは、ごく当たり前のことだった。その子どもたちとの縁から日曜学校が生まれていく。また、かつて家庭教師をしていたこともあって、頼まれると子どもたちに勉強を教えるようになり、こちらは塾を開くきっかけとなった。
双方の活動をする中で、よりお寺を地域に開いていきたいと考えるようになり、先代夫婦の還暦法要の機に、お寺を開いていくことを「宣言」。そして「皆龍寺サンデースクール」が誕生した。

皆龍寺サンガスクールの誕生

やがて「皆龍寺サンガスクール」と名前を変え、略称のKSSを呼び名に、以後18年に渡って活動が続いている。これまでの経緯を見ると、從子さん主導で活動が進んでいるように見えるが、誕生当初から会を動かしているのは常に子どもたちだ。從子さんの学習塾に通ってくる子どもたちや地元の子どもたちが中心となって、自主的に月1~2回の活動を運営している。
 恒例となっているのは、2月のチョコレート作りと3月の卒業生を送る会、8月の夏祭りと、お寺に一泊する夏の集いだ。夏祭りなどのイベントにあわせたり、時には単独でも行うバザーでは、一回当たり7~8万円から10万円ほども売り上げ、住職がいただいてくる法話の謝礼金などとともに、KSSの重要な資金源となっている。
また今年は他に、5月には山形市内のフラワーパークに行き、6月には山形を拠点に活動しているNPOを招いて「地球のステージ」というアジアやアフリカ・中東の子どもたちの素顔を知る会を開くなどしている。
これらすべてを、高校生のスタッフが皆の意見を聞きながら企画を考え、中学生のスタッフと話し合いながら一緒に計画を練ってまとめていく。從子さんは「最後に報告されて日程を確認し、あとはときどき買い物など用事を頼まれるぐらい」だという。

障がいや年齢の違いを超えて

KSSの特長は、子どもたちが自主的に運営している点ももちろんだが、何よりも、從子さんの塾に昼に通ってきている子どもたちのように、何らかの障がいを持っている子や、不登校や自閉症などの事情を抱えている子どもが多く参加していることだ。
「そういう子は何人ぐらいいるの?」と尋ねると、至恩さんや桃代さんは、もう一人の高校生スタッフ・山口深雪さんと顔を見合わせて、「○○くんと、○○ちゃんと......」「あ、あの子もそうか」と指折り数えていく。普段から特別に意識することなく接しているので、改めて数えてみないと人数がわからないのだという。
「ここは、そういった事情のある子たちを、特別視することなしに受け入れることが自然になっている場だから。そういうふうに接するにはどうしたらいいのか、そしてそれを他の子にどう伝えていったらいいのか、それが一番大変です」と桃代さんは話している。
「企画を考えたり運営したりしていくことは、前の人のやり方を見ながら覚えていけるけれど、例えば自閉症の子との接し方は、どうこう言うよりも、実際に自分が関わって接してみないとわからないじゃないですか。そういうふうに、障がいや違いを受け入れていく見方を実際に伝えていくことが必要だな、と思います」
「それは、大変なことだとは思うけれど、楽しい気持ちのほうが大きい」と至恩さんは言う。
しかし一方で、「何か企画をやるたびに、必ず反省する点は出ます。楽しいことはもちろん楽しいし、充実感もあるけれど、何かしら課題がないと次につながっていかないから。それに、さっき言ったような、それぞれの人との関わり方とかもここでは重要だから、イベントの後の反省会は、最近すごく内容が濃いですよ」
年齢の違う子どもたちが集まる会は、それだけでも運営が難しいものだろう。さらに、障がいやその他の事情をそれぞれに思いやりながら会を運営していくことは、計り知れない苦労があるに違いない。しかし、彼女たちはその苦労を糧にしながら、常に成長していっていることが感じられた。

続いていく思い

KSSを卒業していく子たちは、ここでの活動の中でそれぞれに感じ、学ぶことがあるらしく、作業療法士や臨床心理士、看護師や薬剤師などの医療・福祉関係の職に就くことが多いという。至恩さんも、直接には語ってくれなかったが、やはり教育・福祉関係の道を志しているらしかった。「障がいのある子が来てくれることで、教えられることが多いんでしょうね」と從子さんは話していた。
最後に、今後のKSSについて聞いてみると、「とぎれないで続いていってほしい」。それが彼女たちの答えだった。
「どの代の子たちも、『後が心配だ』と言いながら卒業していくんです。けれど、それぞれに次の子を育てたいという気持ちがあるので、きっと大丈夫だと思います」と從子さんは言う。昨年KSSをリードしていた男の子に、最近ある相談をもちかけたところ、「僕に聞くのではなく、あの子たち(至恩さんたち)に相談してください。あの子たちで手に余るようなら僕が答えます」と言われたのだそうだ。
障がいや違いを受け入れることを他の子に伝えたい。そう語ってくれた三人なら、きっと彼と同じように、次を育て、思いを伝えていくことだろう。そして、やがてそれぞれにはばたいていく地で、さらに思いは広がっていくに違いない。(内藤)

(ぴっぱら2002年8月号掲載)
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