寺子屋NPOプログラム

2001.12.09

寺子屋NPOフォーラム「お寺と市民の協働を考える」

はじめに

全青協では昨年12月9日に、キャンパスプラザ京都(京都市下京区)で「Kyoto寺子屋フォーラム2001」を開催しました。このフォーラムは、NPO法人アーユス仏教国際協力ネットワークと、会場となったキャンパスプラザ京都を運営する財団法人大学コンソーシアム京都との共催で、寺院と市民・地域とが協働して新たな共生の場づくりを模索していこうというものです。

阪神淡路大震災という大きなエポックを経て、日本にも本格的なボランティア社会が到来したと言われています。さまざまな市民活動を行うNPO(非営利活動法人)が生まれ、これまでとは違った市民主体の新たな公共の場が生まれつつあります。

このような生活の中での公共的な場として、かつて寺院は一定の役割を担っていたのです。これは、高名な経済学者P・F・ドラッガーが「世界のNPOの原型は日本の古寺」にあると指摘している通りで、寺子屋という教育の場として、あるいは祈りと癒しなどといった信仰の場・福祉の場として寺院は確実な役割を果たしてきました。

本堂や境内という広大な場を持ち、仏教という豊かな精神的バックボーンに支えられた「寺院」という存在は、いまや貴重な社会資本とすら言えるでしょう。「葬式仏教」と揶揄される現代の日本仏教の中で、寺院が持つこのような可能性を引き出し、NPOという新しい公共の形と結びつけることで、新たな共生の場が創造できるのではないでしょうか。

当日は、NPO活動に関心のある人々や学生、僧侶などを中心におよそ150人が参加し、講師やパネリストと共に、寺院と市民・NPOという新しい協働の形について考えました。

「いのち――人と場の再構築」

まず、現代社会の現状を知り、その問題点を明らかにするため、基調講演として、東京工業大学大学院助教授の上田紀行氏に語っていただきました。

上田氏は、まず文化人類学の道に入るまでの自らの経過を簡単に紹介した上で、「これだけ豊かな社会に生きながら、私たちはなぜ満たされないのか、何に違和感を感じているのか」を解き明かしたいと話し始めました。

生きる意味を考える 今の日本で危機に瀕しているのは、実は「生きる意味」なのではないでしょうか。氏はそう問い掛けることから始めています。

この3年間、毎年3万人を超えている自殺者や、受験の失敗からキレて子どもを刺してしまった若者の例を挙げ、「社会は豊かになったけれども、社会からリストラや不合格という形で「落伍者」とされてしまったときに、若者も年長者も、生きる力を持てずに、生きる意味を見失ってしまうのが今の社会である」と指摘しました。

そして、その要因として、日本の右肩上がりの経済が止まったことを挙げています。右肩上がりの経済が止まってしまった今、我々は「どう生きるか」という問いが投げかけられているのだ、と。しかし、大人たち年長者は「でもお前も大学に行って、大企業に入らなきゃ駄目だぞ」と、右肩上がりの時代を志向したままのことを言う。このギャップ・違和感が我々を苦しめているようだと述べています。

この現状を示すアメリカの例として、ニューヨークタイムズのフリードマン記者の著書『レクサスとオリーブの木』を挙げています。ヨルダン川西岸に生えた一本のオリーブの木が象徴するような、伝統や共同体を重視する社会は、やがてトヨタの高級車レクサスが象徴するグローバル化した均質的な社会に敗北するだろう。しかし、それで本当にいいのだろうか、とフリードマンは問いかけているのだと言います。

また日本でも、苦しくても1年寿命の延びる治療・20点高い成績・200万円高い年収を求め、生きる意味を問わずに数字に振り回されてきたのがこれまでの現状であると指摘しました。

そしてこれからは、そういった数字に絡めとられない違った生き方を構築しなければならないとし、NPOに象徴されるような、利益を求めない新しい生き方を提示しています。つまり、利益など数字で表されるような外的な成長ではなく、人生がより深まる、より内的な成長が必要であるというのです。また、他人が欲しがりそうなものを欲しがるのではなく、本当に自分が欲しいものを見出し、表出できる場が必要なのであり、その場としてNPO的あるいは宗教的な場が求められていくのではないか、と締めくくりました。

内的な成長を図るために求められる感性。そして「自分が本当に欲しいもの」を求めていく先に生まれる、「世界から、そして大いなるものから私が何を求められているのか」という視点。その双方に必要なものとして氏が挙げたのが宗教であり、またNPO的な価値観でした。単に21世紀の社会の流れであるからというだけでなく、今後、人が人として本当に幸せを感じるためにこそ宗教やNPO的な発想が必要になるのだという氏の話には、薄暗くぼやけていた未来像がふいに焦点を合わせて再構築されていくような思いがしました。

寺子屋NPOプレゼンテーション

次に、実際に寺院を地域に開放してさまざまなNPO活動を行っている寺院の事例を、スライドを利用しながら全青協のプログラムオフィサー・神仁が紹介しました。

まず、会場となった地元・京都から、豊かな自然環境を生かして環境教育を行っている法然院「森のセンター」を紹介しました。このNPOは、住職の梶田真章氏と地域の市民である久山喜久雄氏との出会いから生まれたもので、寺院と地域との協働関係の草分け的なモデルケースと言えるでしょう。

また、次に紹介した、大阪で芸術やアートの分野で活躍している應典院「寺町倶楽部」では、現住職の秋田光彦氏のもとで完成したモダンで個性的な本堂ホールを活用しながら、多くのイベントを開催しています。その中で、アーティストやNPOの支援・育成とともに、相互のネットワーク構築にも尽力し、NPO活動そのものの発展にも寄与しています。

さらに、東京・寿光院で、13ものNPOが事務局を置かれ、NPOのたまり場となっているようすを紹介しました。これは、人が集まることで、お寺の中にいたのでは見えにくい四諦(苦集滅道)に触れることができるという住職・大河内秀人氏の思いによってこのような環境になったもので、仏教者としての道を基にしながら市民との協働につながった例です。

そして、全青協が一昨年度から提唱している「寺子屋NPOプログラム」を説明しました。これは、今回紹介した3つの寺院で行われているような、寺院と協働したNPOの設立・運営を支援することで、寺院を地域に開放し、新たな可能性を引き出そうとする試みです。「今回の事例を参考に、ぜひ参加者にも新しい行動を」という呼びかけを行いました。

お寺と市民の協働を考える

講演・事例紹介を経て、現状や実例を知った上で、NPOと寺院の協働についてより具体的に考えるため、ゲストを迎えてトークセッションを行いました。

トークセッションでは、基調講演をお願いした上田紀行氏をはじめ、長野県松本市の神宮寺住職・高橋卓志氏、京都市西陣の妙蓮寺塔頭円常院住職・佐野充照氏、ささえあい医療人権センターCOML代表・辻本好子氏の4名をゲストにお招きし、セッションのコーディネーターとして立命館大学助教授の中村正氏を迎えて臨みました。

高橋氏は、自らの寺院の中でアクセス21というNGOを立ち上げ、タイでのHIV患者やその子どもたちの支援をしている一方、ホスピスから人生の末期までをサポートするライフデザインセンターを設立しています。さらに、観光地として廃れつつある浅間温泉をケアの街として再生させようという試みや地域通貨の発行も構想しているなど、寺院を中心に地域やNPO活動に精力的に携わっている様子が語られました。

佐野氏は、ネットワーク西陣というNPOの代表を務め、西陣の街から姿を消そうとしていた町家の再生を図っています。その中で結果的にコミュニティが再構築され、街の活性化につながっているのだと言います。

辻本氏は、医療改革後、自己決定・自己責任が患者に求められるようになる中で、情報がなかったり、ありすぎて混乱している人たちの話に耳を傾け、寄り添いながら、自己決定の手伝いをしています。活動する中で、「どうしてこれ(話に耳を傾けること)をお寺がやってくれないんだろう」と思うことがあると言われていました。

また、中村氏も、大学間の交流という面からの大学コンソーシアムの成り立ちを説明しながら、いのちに関わるようなさまざまな問いについて考える場として、つい分析的になりがちな大学よりも、より精神的な場として寺院に期待したいと述べました。

そして、上田氏は、パネリストそれぞれのめざましい活躍を踏まえて、苦悩に直面しながらも喜んで行動していることを伝えていく重要性を訴えました。あるシンポジウムで参加者から出た、高橋氏の活躍を「陰徳ではなく顕徳」と皮肉った言葉を引いて、現状の貧しさが指摘されました。

この指摘に高橋氏も、揶揄され「出る杭」とされるのは慣れている、と笑い飛ばし、寺がNPOである以上、公益性を出して開かれていくのは当然であると断言しました。

佐野氏も、町づくりのためと肩肘張るのではなく、ただ好きだからやっていることで、それが結果的に社会のためになっていて自分は幸せだと述べました。

最後に上田氏が、仏教者に限らず私たちも、高橋氏のような幅広い活動でなくても、一点豪華主義で、自分が苦悩し、あるいは喜んでいる「何か」に集中して行動していけばいいのでは、とまとめました。

おわりに

今回のフォーラムを契機として、きょうとNPOスクールの中で寺子屋NPO連続講座を開催し、また今後、寺院やNPOをつないでいく寺子屋NPOネットワークをも立ち上げていきたい、というのが主催者側の望みです。参加者の心に、少しでも寺院と市民・地域との協働という発想が生まれ、新しい行動が生まれていってくれることを願っています。

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