カルト問題の行方

コロナ禍におけるカルト教団の誘い -若者たちのアイデンティティーの揺らぎー

臨床仏教研究所研究主幹・東京慈恵医科大学講師 神 仁

◆勧誘の春
 コロナ禍の中でさまざまな困難があるものの、今年も全国各地で桜やハナミズキなどの春の花が咲き、春の新入学シーズンが訪れました。昨年は、コロナ禍により入学式を開催できなかった学校がほとんどでしたが、今年は感染対策をしっかりと施した上で、新入生を迎え入れた学校が多かったようです。大学などでは、対面とオンライン併用で入学式を行う学校も多く、時代の象徴的な事柄となっています。
 例年、大学の入学式では、各サークルが新入生の勧誘のためにブースなどを設け、新入生のリクルートに勤しんでいます。新入生は受験競争からようやく解放され、少しでも華やかな大学生活を謳歌しようと、優しい声で勧誘する男女の先輩たちに惹かれ、その多くが入部を決意していきます。
しかし、ここに大きな落とし穴が隠されています。なぜならば、大学サークルの部員を装ったカルト教団や擬似宗教の信者が、それとわからないように優しく語りかけてくるからです。入学後の脱力感や環境の変化等から五月病に苛まれる学生にとっては、兄や姉のように優しく親身になって語りかけてくるその声は、救いや癒しに満ちたものとして心に響き、容易に信頼してしまいます。

◆オウム真理教後継団体の動き
 「うちの子どもがAleph(アレフ)に入信してしまったんです。なんとか脱会させられませんでしょうか......」
 夏休みが明ける頃になると、私はそのような悲痛な声を当事者の親御さんから聞くことがあります。「Aleph」はオウム真理教の後継団体の主流派であり、入会者の多くが大学生をはじめとする20代の若者です。大学での人間関係でつまずき、親にも話せずに一人で悩んでいたところ、先輩から優しい声をかけられてヨーガ・スクールへ。そして信頼感を深めた頃に、指導者役の人間から、突然、実は「Aleph」であることを明かされ入信を迫られます。自分がつらい時に寄り添い支援してくれた恩人からの誘いを断りきれずに入信書類にサイン......。
 入信後は指導者や先輩から「オウム真理教が起こしたとされる一連の事件は国家や警察の陰謀だ」と繰り返し教え込まれ、マインドコントロールの中で自分の居場所をその場に求め続けようとするのです。
 オウム真理教の教祖、麻原彰晃こと松本智津夫以下、13人の元幹部の死刑が確定し、平成の時代の終わりに執行されています。しかし、令和の時代になってもオウム真理教の後継団体とされる「Aleph」や「山田らの集団」、そして上祐派の「ひかりの輪」の活動は続いており、年間で100名ほどの若い信者が入信しています。公安調査庁によれば、令和3年2月末時点で、全国15都道府県下に31施設が存在し、ヨーガ・スクール等を装い新たな信者の勧誘活動を行っています。
 「Aleph」では、親とともに道場に出入りする幼児や小・中学生等の未成年を対象とした教材も作成しており、世代を超えて家族全員の取り込みを計っているのです。

◆SNSを使った新たな勧誘方法
 大学を舞台にした勧誘活動を行っているのは、オウム真理教の後継団体ばかりではありません。韓国発祥のキリスト教系とされる「団体S」が、近年、その活動を活発化させています。全国の大学で5千人の信者が活動しているとの認識を示す専門家もいます。朝日新聞など一部のメディアは、全国25の大学が活動拠点になっていると報じています。
 「団体S」は、強姦罪などで国際手配され、懲役刑に服した元教祖が釈放されたことを契機として、日本での活動を活発化させています。特にこのコロナ禍の中で、これまでの対面での勧誘とは異なり、SNS(交流サイト)などのネットメディアを通じた勧誘システムを導入しています。
 せっかく大学に入学しても対面の授業がなく、入学の意義の喪失や孤独感に直面している学生たちは、絶好のターゲットです。日本財団が実施した「18歳意識調査」によれば、対象となった17歳から19歳の二人に一人がコロナ禍で「閉塞感を感じている」と回答しています。
 自由回答のなかには、「大学で対面の講義がいつ再開されるかわからない」「就職できるのかどうか」「アルバイトが見つからなくて学費が払えない」といった現状と将来についての不安感を訴えるものもあります。
 そのような不安感を抱く新入生に対して、あるスポーツ系の大学サークルを装うTwitterのアカウントでは、「新しいことをはじめませんか?」と語りかけます。期待していた大学生活とは異なり、毎日パソコンの画面上でのオンライン授業が続く彼ら彼女たちにとっては、その呼びかけがとても魅力的に響きます。
 サークルのイベントに参加すると、バレーボールやフットサルなどを通じて、新たな仲間とのリアルな交流が待っています。フラストレーションの溜っていた新入生たちは、優しい兄や姉のような存在に囲まれ、ようやく本当の学生生活をスタートさせたかのように錯覚してしまいます。そして、仲間としての信頼関係が深まったころ、自分自身を再発見する1~2泊のセミナー合宿に誘われます。次には1週間程度の長期セミナーに誘われ、参加すると、知らず知らずのうちに新興団体のマインドコントロールにはまっていってしまうのです。
 スポーツ系のサークルの他にも、ボランティアや国際交流など、社会参加や社会貢献を看板にするサークルもあるようです。学生の興味や趣向に合わせてさまざまなメニューが取り揃えられていると考えて良いでしょう。
なかにはこれから大学受験をする高校生の応援サイトを装ったものも確認されています。受験勉強のノウハウや合格体験談等を紹介しながら、LINEのアカウントを交換し、高校生やその家族の個人情報を取得し、大学進学後に積極的に勧誘を始めるようです。
 「団体S」は、オウム真理教のように全財産を教団に寄付させ、出家させるような極端な方法をとらず、「10%献金」とも呼ばれるように、収入の10%を献金させます。被害額が比較的小さいことから、被害が表面化しづらくなっていることが特徴でもあります。新入生たちはサークルへ参加するような軽い感覚で入信したのち、次第に勧誘される立場から勧誘する立場へと変化し、物的、身体的、精神的被害を拡大していくのです。
 加えて、カルト教団や擬似宗教団体がターゲットにするのは、中高年の女性であることにも触れておかねばなりません。なかでも病を患っている方や病を患っている家族を抱えている方、子どもの問題や家庭不和で悩んでいる方々がターゲットになりやすいのです。ここには、実はアイデンティティー(自己同一性)の問題が関係しています。身体的な健康や安定した家族という自己のアイデンティティーの拠り所となっているもののぐらつきによって、個人の精神状態はとても不安定なものとなります。
アイデンティティーの揺らぎの隙間に付け込み、新たなアイデンティティーの偽りの拠り所として、カルト教団や擬似宗教団体が入り込もうするのです。

◆若者のこころに耳を傾ける
 さて、子どもや家族がこのような教団や団体に入信してしまったことへの相談に対して、私自身がまず勧めることは、「入信したことについて怒らないこと」「お説教をしないこと」「入信したきっかけや原因に耳を傾けること」です。とくに、10代から20代前半の若者は、まだ思春期の中にあると私は捉えています。
 身体的、精神的、社会的な成長の過程の中で、彼ら彼女たちはさまざまな葛藤を抱え悩み、それを乗り越えるために、汗や涙、時には血を流しながら必死に努力し、人としての真の成長を遂げていくのです。彼ら彼女たちが、人としての成長の過程にあることを、親や家族がまず認識し、その思いや苦しみに寄り添うことのできる慈愛に基づく対応が求められるのです。
 言い方を変えるならば、若い人たちがこのように、はた目には危なっかしい綱渡りをしなければならないのは、家族から離れて自立した自己を形づくるために、思春期最後のアイデンティティーを確立する作業を行っているからとも言えるでしょう。成人になるために、かつてとは形を変えた体験的通過儀礼を経験したと考えることもできるかもしれません。この通過儀礼をどのように経験するかは人それぞれでしょうし、もちろんカルト教団や擬似宗教団体に入信する必要はありません。
しかし、なんらかの体験的通過儀礼を経験しないままに時を過ごしてしまうと、カルトなどへの入信問題の他にも、「自死」「ひきこもり」「摂食障害」「適応障害」といった状態や現象、症状を引き起こしてしまう可能性があるのです。
 その意味でも、繰り返しになりますが、家族や身近な第三者が慈愛を持って、若者の悩みや葛藤、苦しみに耳を傾け寄り添うことが重要となるのです。もし、そのような存在がいれば、彼ら彼女らは一線を越えることなく、加害者となるようなことにはならないと信じています。
 入信という行為は、成長過程の若者であれば誰もが行う可能性のある、一種の突発事故的な現象であると捉えた方が、家族や社会とのつながりを壊さず、問題を複雑化させずに済むものと思ってください。

◆アイデンティティーの確立を支援する
 さて、少し理屈めいたことを申し上げましょう。
 アメリカの心理学者アブラハム・マズローは人間の欲求を次のような5段階に分類しています。①生理的欲求 ②安全の欲求 ③所属と愛の欲求 ④承認の欲求 ⑤自己実現の欲求
 生理的な欲求は食欲や睡眠欲などの人間が持つ根本的な欲求です。生理的な欲求の充足をベースとして人は他の段階の欲求を満たそうとします。しばしば宗教の中には生理的な欲求を否定することによって、宗教的な自己実現、神仏との一体感ないしは包含感を求める場合もあります。
 しかしながら、これらの5段階の欲求を否定することなく、ありのままに見つめながら、それぞれを昇華させていく道を探ることがアイデンティティーの確立のために重要ではないかと考えます。それは仏教が説く「中道」の実践にもつながることでしょう。
 また、確かなアイデンティティーと自尊感情を保つために、次のような「三つのつながり」に対する支援が挙げられます。
①自分(自己)とのつながり ②他者(他己)とのつながり ③大いなるいのち(神仏・大宇宙)とのつながり
 人が健全に生きていくためには、これら三つのつながりが不可欠だと私は考えています。若者を含め、苦しみやグリーフ(悲嘆)の最中にある方々が、これらのつながりを確認し深めてもらう支援が求められるのです。
 人は生まれながらにして、「なぜ自分はこの世に生まれて来たのか」「生きる意味とはなにか」「死んだら人はどうなるのか」といった実存的な問いを抱えています。オウム真理教に入信していったかつての若者たち、そして後継団体に所属している今の若者たちもまた、このような問いを抱え苦しみながら、それらの答えを求めたのでしょう。
 しかし、逆説的に聞こえるかも知れませんが、今、私たち親や大人が大切にしなければならない姿勢とは、若者が抱えている実存的な問いに直接答えることではありません。彼ら彼女たちの悩みや苦しみに耳を傾けながら、感じ寄り添いながら、共に考えることです。そのことが、今日の一種バーチャルなネット社会にあっても、若者たちにリアルな日常の中での安心安全を提供し、揺るがないアイデンティティーを確立してもらう一助になると思うのです。