カルト問題の行方

子どもたちをカルトに走らせないために

ぴっぱら2000年1月号掲載
滝本 太郎

はじめに

オウム問題が、現代社会に唯一貢献したことといえば「学校の勉強ができるだけじゃ何にもならない、むしろ危なっかしい」と社会に知らしめたことだと思う。それまで子どもを偏差値の高い学校に入れようとしたり、名門中学、はては著名幼稚園まで目指した親も、少しは考えただろう。

今の子どもの生育状況は特異なものがある。以前よりさらに(1)現実感覚を失い、(2)社会の閉塞状況を敏感に感じ、(3)自らの将来に希望を持てない状態にある。そんな背景から、子どもをカルトに走らせない方法を考えたい。

破壊的カルトとは

破壊的カルトとは「教祖または特定の主義・主張に絶対的に服従させるべく、メンバーないしその候補者の思考能力と思考意欲を著しく低下ないし停止させ、目的のためには違法行為も繰り返してする集団」を言います。
オウム集団や統一教会がその典型だが、2~30人で共同生活しているカルトもある。男性教祖がハーレムを作る数人のグループもある。教祖が妄想型分裂病に近い例もあり、最後の一年は宇宙意識を高めるため霊を落とすとか言い、殴り合いまでさせられていた。

注意すべきは、破壊的カルトとは、各宗教の勃興期の熱心な布教の状態とか、一向一揆のような当時の社会に反した行動をとる集団とは異なることである。布教に熱心な新集団が当然に違法行為を繰り返しているのではないし、マインド・コントロールの手法を集積して使用しているのでもない。一向一揆のような出来事は、民主主義が実現されていなかった時代に、農民が生きるための旗頭として信心があったと思われる。
破壊的カルトは、その時代の社会規範に違反しないでもそれなりに食うことができ、民主主義がそれなりに実現されている社会なのに、なお指導者の設定した目的達成のためには「いいことをするつもり」で違法行為を繰り返す集団である。

若者はなぜカルトに魅かれるのか

現代の若者は、現実感覚に乏しい人が多い。テレビゲームではリセットボタンがある。ゲームはゲームと子どもらは言うが、生き物の生死を直接見てきた世代と比べれば、現実感は明らかに乏しい。飢えたことも、欲しくて欲しくてたまらない物を得られた時の喜びも知らない。私は、よく「シュークリームを初めて食べたときの、あの生きてて良かった、という気持を知らないでしょう」と若者に自慢する。

若者は、現代社会の閉塞状況を敏感に感じている。人間はほとんどの衆生を殺せる手段を持ったが、争いをやめることをしない。科学技術の発展――「鉄腕アトム」の夢や、初めての月面着陸をみたあの感動を知らない。生産力の発展から社会の発展、ユートピアを設定した共産主義は官僚主義の極致だと判明してしまい、色褪せた。
若者は、自らの将来に希望を持てない状態にある。勉学に励んで一生まじめに仕事をしても持ち家を持てるかどうかの時代、「偉く」なっても尊敬されていない時代。夢を持ちにくい。大学に合格しても「それがどうしたの?」という気持ちをもっている。ひどく贅沢な話だが、若者はそう感じている。「衣食足りて罪を忘れる」かもしれない。小さいころからお仕着せで、選択する自由が結局はなかった。いや自由があっても、「何のために生まれたか」と、現実の周囲とのせめぎあいの中で自問自答しつづけずに「よい子」として生長してきた。一人で「家出」する覚悟も行動力もない。

そんなとき、「絶対的な真理」を示してくれる破壊的カルトは、実に魅力的である。もとも若者は、潔癖症で、物事の解決を急ぎたがる特質をもつ。それはいい点だが、破壊的カルトに利用されれば激しい行動を生む。
現実感覚のなさは、人の痛みを知らない、人の痛みを感じないことにも通じる。子ども時代に手ひどい喧嘩をしたことがなければ、その痛みもルールも知らないままとなる。人の痛みを感じる能力がないとき、その想像力がないとき、帰依した指導者の違法行為の指示に対して、抵抗する力は弱い。結果「悪意の殺人は限度がある、善意の殺人は限度がない」「人は宗教的確信に至ったとき、完璧にためらいなく罪を犯す」ということになる。

カルトに対応するには

その根本的な対応策はない。社会を一挙に変革しようとするなど、それこそ○×思考だ。せいぜい、新入の高校生、大学生、会社員らに対し、カルト予防のビラやビデオ「幻想のかなたへ」(日本脱カルト研究会編)を見せてくださいと言うか、マインド・コントロールの手法を十分に知っておきましょう、と言うしかない。教育機関は、そんな予防策を考えて欲しいところだが、まだまた一部の学校だけである。
さらに、カルトの魅力を否定してはならない。それどころか、十分に魅力を知って、理性を働かせる前提を確保し「でも、いかんのだ」と判断させる外はない。「私は絶対に入らない」という人こそ入る。ミイラ取りがミイラになることはしばしばある。それほどの魅力である。もともと心の隙間ができやすいと思われる問題ある家族も見受けられるが、それは一部であり、私の子どもを含め誰が入ってもおかしくない。家族の死、人生の転換期での悩み、誰でも心に隙間はできる。

 

以下、箇条書きで、マインド・コントロールのテクニックとあわせ、対応を述べます。
これは筆者と慶応大学の社会心理学榊博文教授とで整理したものです。

  • (1)相手の所属・地位を確認する:偽サークルや偽学生などを使うことがある。経歴などにも嘘がないか、確認してみてください。
  • (2)別の場所に連れて行かれそうになっても絶対行かない:別の場所に行けば、サクラを利用した同調性の原理を使った手法が使われるかも知れませんし、外のメンバーも来て、恐怖説得がされるかも知れない。相手のテリトリーには簡単に入らないこと。
  • (3)「あなただけ」「今回限り」と言ってきたら要注意:稀少性の原理(人・物・時間の限定テクニック)は効果的なものです。
  • (4)勧誘の内容が変わったら間違いなく危険、即座に断わる:親しくなった後に本題に入ったり(好意性の原理)、最初は別のことを話題にして小さな約束から始める(段階の原理)のは、実に効果がある。
  • (5)恐怖感をあおってきたら、直ちにその場を去る:恐怖説得を使わない破壊的カルトはないといってよいでしょう。「冗談じゃない、そんなことを言いたかったのか」と捨てゼリフを言えれば、もう誘われない。
  • (6)専門性を疑え:どんな「偉い人」にほめられている人であっても、どんな経歴があっても、性格、家族関係が当てられても(いずれも権威の原理)、その集団がまともかどうかは別問題です。
  • (7)あまい言葉を信用するな:多くのカルトは、最初あなたを称讃します。人生に対する態度、いままで考えてきたこと、努力してきたこと、褒められれば誰でもうれしい。ご注意を。
  • (8)絶対に「借り」をつくらない:返報性の原理はよく使われます。まじめな人、義理堅い人ほど、借りを作れば心苦しさを感じ、再び会う約束をしてしまう。お茶をおごってくれたり、勉強を教えてくれたり。「ただほど高いものはない」のです。
  • (9)「権威」をもちだしたら怪しいと思え:権威は、しょせん知らないことの多い現代人にとって、当面尊重せざるをえないものです。でも、それだけで人生の選択までしていいものでもありません。もともと詐欺師は「権威」を多用しました。「消防署の方から来た」という制服制帽を着た人に、国民の多くは高い消火器を買わされました。偉い人の名前を出したり、一緒に写っている写真を示されたりしたら、本物かどうか、どうしてそれを強調するのかと疑ってかかるべきです。
  • (10)入信・入会したくなっても一か月は決断をのばす:高度な破壊的カルトは、最後は「よーく考えて自分自身で決めて下さい」といいながら急がせる。一か月前は入信しなかった自分が生きている以上、一か月のばしても心配はありません。まともな団体ならば、他の情報もいれて、第三者に相談してからにすると言っても、反対しません。「自分だけで考えるべきではないか」なんて言うところこそ危ない団体です。

おそらく、破壊的カルトがなくなることはないでしょう。なくなったときは、日本社会全体が破壊的カルト状態に陥ったときだろうからです。モグラ叩きです。それでも続ける外はないと思います。事前に知識を持ち、お子さんに、理性を働かせることができるようにして下さい。もちろん、御自身も。