子どもの声に耳を傾けよう

インドのチャイルドライン

神 仁

グラスルーツとして

全青協では一昨年から、チャイルドラインについて何度かご紹介をしてきました。チャイルドラインとは、子どもたちが自由にかけられる専用電話のことです。受け手の大人は、彼ら彼女たちのパートナーとして電話の声に応じます。そこには、お説教は一切なく、子どもの心に寄り添いながら会話が進んでいくのです。それが、従来の子ども電話相談と大きく異なる点でしょう。

チャイルドラインの発生の地はイギリスです。BBC放送が1986年に、児童虐待をテーマとした番組で、ホットラインを開設したことがきっかけになりました。それ以来、チャイルドラインは、世界中で日本を含めておよそ40もの国に広がっています。

今回取材をしたインドでは、1996年に、ジェルー・ビリモリアというソーシャルワーカーが中心となって、ムンバイ(旧・ボンベイ)で始まりました。2002年時点で、インド全土42の市や町でチャイルドラインが実施されています。偶然ですが、この数はちょうど日本と同じです。

運営方法も似たところがあります。各地のセンターは、それぞれ独立したNGOが運営をしていて、ムンバイにあるチャイルドライン・インディア・ファウンデーション(CLIF)が、そのネットワークセンターのような機能を果たしています。これは、日本におけるチャイルドライン支援センターのような組織です。

日本のチャイルドラインも、各地でさまざまな団体・組織が立ち上げてきました。グラスルーツ(草の根)的に発生してきたといえるでしょう。イギリスなどのような、本部・支部関係で動いている機構とは対照的です。

この、インドのチャイルドラインについて、ムンバイのCHIFを中心に、日本の状況とも重ね合わせながらリポートします。

〝ボリウッド〟と呼ばれる町で始まったCL

インド中西部に位置するムンバイは、アラビア海に面した一年中温暖な町です。今なお、イギリスの植民地時代を思い起こさせる古いゴシック建築が、街中に見られるインド最大の商業都市です。この町では、毎年、世界で最も多い数の映画が製作されています。その数は年間で7~8百本といわれており、アメリカのハリウッドをしのいでいます。それがゆえに、「ボリウッド」という名前でも呼ばれ、映画やファッションなどをはじめとするインドの最新文化の発信地になっています。

人口は1千万人ほどといわれていますが、アジア最大といわれるスラムを抱えているため、正確なところはわかりません。商業都市であるがゆえに、あてのないまま地方から豊かさを追い求めてここに集まって来る人が絶えないのです。

そのなかには、映画スターになることを夢見て家出をして来る子どもや、貧しい農村や近隣の国から労働力として、あるいは買春の対象として売られてくる子どもも少なからずいます。けた外れの豊かさと悦び、そして、貧しさと哀しみが渾然一体となったカオス(混沌)の町といえるでしょう。

インドのチャイルドラインがこの町から立ち上がったという事実は、けっして偶然なことではなく、さまざまな要素が絡み合った上での必然のように思われます。

インドと日本のCLは似ている?

さて、CLIFのオフィスは、この町のほぼ中心部にある公立のナナチョウク・スクールの3階にあります。日本のチャイルドライン支援センターも、廃校となった東京の公立中学校を利用したNPOセンター内にありますので、その点でも共通しているといえるでしょう。
子どもたちが行き交う階段を上へ登り、3階にたどり着くと、クリーム色のドアに、「1098」という番号の刷り込まれたポスターが貼ってありました。これが、インド全国共通のフリーダイヤルの番号です。その番号のそばには、電話をかける子どもの姿をモチーフにしたかわいらしいロゴがあしらわれています。チャイルドライン関係者の子どもに対する愛情とやさしさが伝わってくるポスターです。

ドアをノックして中を覗くと、そこには赤と白で統一されたコンピュータ・ショールームのような空間がありました。椅子や床までしっかり赤と白でコーディネートされた予想外の光景に、私の中にかすかな戸惑いと驚きの感情が生まれました。

NGOのオフィスといえば、日本では、暗さと地味さ、それに加えて汚さがトレードマークになっているようなところがまだまだ多く、このように洗練されたオフィスを見るのは、はじめてのような気がします。「さすがファッションの町、ムンバイ」といったところでしょうか。

ほどなくして、部屋の奥から一人の女性が私の方に近づいてきました。褐色の肌にはっきりとした目鼻立ち。20代半ばぐらいに見えますが、知的な雰囲気を漂わせたその女性は、インドを訪れる前にE-メールでやりとりをしたパッラヴィさんでした。CLIFのコーディネーターです。名刺にはサウス・アジア・コーディネーターと書かれていますので、インドばかりでなく近隣のネパールやバングラデッシュなどのコーディネートもしているのでしょう。

彼女の屈託のない笑顔が、少々緊張していた私の心を一瞬にして解きほぐしてくれました。

いまこの原稿を書きながら、彼女が写っている写真を見て気づいたのですが、なんとパッラヴィさんも赤白2色の服を着ており、部屋の色とコーディネートされていたのです。驚きです。

しゃれにもなりませんが、さすがファッションの町ムンバイのコーディネーターです。

ギョッとする年間144万コール

インドのCLの内容 簡単な挨拶を交わしたあと、情報部門を担当している男性のスタッフにも加わってもらい、インドと日本のチャイルドラインについて情報交換を始めました。
まず、私の方から、年間何件ぐらいの電話を受けていて、その内容はどういったものかについて聞きました。

「2001年度1年間でおよそ144万件のコールがありました。前年度が、約64万コールでしたから倍以上になっています。そのうち26万コールがサイレントコール、つまり無言電話でした。会話が成立した電話の中で最も多かったのが、医療に関する内容です(31%)。次いで被虐待児や児童労働を強制されている子どもたちのシェルターに関する問合せ(30%)、行方不明者の捜索(21%)、家出してきた子どもたちの強制帰郷(10%)、生死に関わる緊急の救出(6%)、金銭的な支援(2%)と続きます。」

日本のCLの内容 すかさずパッラビさんも「日本はどうですか?」と聞き返してきます。

「日本では、2001年度で全国で受けたコール数は、2万件あまりです。内容的には、学校関係(38.5%)、次いで家族関係(6.6%)、自分自身のこと(13.3%)、性の問題(11.3)などが続いています。教師や友達、親との人間関係に関する電話が多いです。インドに比べて、深刻な問題はまだ少ないですが、いじめや虐待、自殺についての深刻な電話もあります。」

続いて、彼女は「日本には全国統一の電話番号があるのですか?」と聞いてきました。

「いや、統一ナンバーはまだないんですよ。一部の地域やキャンペーンなどの際には、フリーダイヤルや統一ナンバーを設けているのですが、まだ、限定されています。早く全国統一のフリーダイヤルをとらなくてはと考えているところです」

その答えにパッラヴィさんは、少々奇異な表情をしながら「そうですか......」と口の中で、小さくつぶやいた。

日本でチャイルドラインが始まったのは、1998年のこと。場所は東京の世田谷でした。インドに2年遅れてのことですが、わずか2年のキャリアの違いともいえます。しかし、インドとのコールの数にはおよそ100倍近くの差があります。

なぜそれほどの違いが生ずるのか、その理由は、インドのチャイルドラインが365日24時間運営されているのに対して、日本では子どもの日のキャンペーンなどを除いて24時間対応しているラインはまだないからです。開設日に関してもウィークデイにのみ常設しているセンターはありますが、これも365日ではありません。つまり、単純計算すると、インドの2ヵ所のセンターだけで、日本全国の総実施時間数をカバーしてしまうことになります。コール数の違いは、実施時間数と密接に連動しているのです。

私は、だんだん彼女に精神的に押され始めているように感じていました。それは、インフェリア・コンプレックス(劣等感)に近い感覚だったようです。

彼女が次の言葉を発する前に、私は日本の状況についてさらに説明を加えました。

「インドでは政府が積極的にチャイルドラインを支援していると聞いています。しかし、日本には民間のチャイルドラインだけではなく、教育委員会や警察、青少年センターが開設している子ども電話があります。ですから、行政はチャイルドラインの支援についてあまり積極的ではないのです。でも、子どもたちはそちらへはあまり電話をしないようです。電話に出る大人は、定年した学校の校長先生や、警察官ですから、子どもたちにとってはかけづらいんですよ」と、統一番号がないことや、24時間開設しているセンターがないことについての言い訳にもならない説明をしました。

私は、日本のチャイルドラインが抱えている財政基盤の貧弱という問題について伝えたかったのですが、資金的なことについて直接言葉にすることは控えました。アジアで最も富める国といわれている日本のチャイルドラインが、財政面で困っていることを、なぜか私はストレートに言葉にすることができなかったのです。

「インドに電話あるの?」

インド中西部に位置するムンバイは、アラビア海に面した一年中温暖な町です。今なお、イギリスの植民地時日本で「インドにもチャイルドラインがあるんだよ」と人に話すと、すぐに返ってくる反応が、「えっ、インドの家庭にも電話があるの? 電話をかけられる子どもって、お金持の子とかに限られてるんじゃない?」といったものです。正直申し上げて、私自身も同じような疑問を持っていました。

私が知っている15年ほど前のインドでは、家庭に電話のある家は20軒に一軒くらいのもので、いわゆるお金持ちといわれる人たちの家にしかなかったのです。一般の人が電話をかけるためには、電話を持っている家へ借りに行ったり、わざわざ電話局まで出向かなければなりませんでした。

しかし今回、実際にインドを訪問してみてわかったことは、まず第一に、現在インドの中流以上の家庭には、ほとんどと言っても良いほど電話が普及しているということです。そして、もうひとつは、町中のいたるところに、日本でいうところの公衆電話が設置されていることでした。つまり、かつてのように電話は限られた特別な人のためのものではなく、大衆一般のコミュニケーション手段となっているということです。

オフィスのあるビルのフロアガイド たしかに今でも農村部などでは、人が集まる限られた場所にしか公衆電話はありませんが、それは日本でも田んぼの真ん中に公衆電話がないのと同じことです。

また、通常の回線電話ばかりでなく、都市部のビジネスマンの多くが今では携帯電話を持っています。インドは近年、IT革命の波に飲み込まれ、急速なスピードで欧米スタイルの資本主義国家に姿を変えようとしています。町中には電話ばかりでなく自動車やバイクがあふれ、その大半が日本製や韓国製です。

インドの中流層以上の人たちは、この波に乗り遅れまいと一生懸命に働いています。日本人にとってかつてのインド人のイメージといえば、怠け者で、外国人を騙すいいかげんな人たち、といったところだったのではないでしょうか。そこには、日本人の誤解も多分にあるのですが、インド人に限らず、人は実現可能な夢や目標ができると、止まっていられないものです。ITが彼らに現代社会におけるひとつの夢を与えたのでしょう。

とはいっても、多くの日本人のようにワーカーホーリック(仕事中毒)になる人はいません。インドは今でも宗教が日常に生きている国です。彼らは限られた現世の生活のためだけに生きているのではないのです。神のもとに昇天すること、あるいは徳を積んでより良い後生を得ることを強く願っています。この世は現実ではありますが、次の世へ向けての一つの通過点と理解しているのです。ですから、働き過ぎで体を壊したり、ストレスでノイローゼになったりする人はほとんどいないのです。日本人も少し見習わなければいけませんね。自戒を込めて。

全国統一フリーダイヤル「1098」

経済の急速な発展が、「だれでも、いつでも」電話をかけられる状況を生み出しました。もちろん「子どもでも」です。そして、インドのチャイルドラインは、子どもたちにフリーダイヤルを提供しています。番号は「1098」、警察や消防署と同じように、料金無料で子どもたちは電話をかけることができるのです。そして、日本とは違って大人も電話をかけることができます。ただし、虐待を受けている子どもに関する通報や、病気で重体になっているストリートチルドレンの保護依頼、また、家出した子どもの捜索願いなどの内容に限られます。

では、なぜインドのチャイルドラインはフリーダイヤルを提供できるのでしょうか?

CIF(チャイルドライン・インディア・ファウンデーション)のパッラヴィさんとの会話をもとにご説明しましょう――。

私は、日本でまだ全国統一のフリーダイヤルがないことに少々後ろめたさを感じながら、インドの状況について彼女に聞きました。

「インドのチャイルドラインは全国統一番号のフリーダイヤルになっていますが、経済的な負担はどのようになされているのですか?」

「インドのチャイルドラインは、インド政府の社会司法省や州政府などと提携して運営されています。資金のおよそ70%が政府からの援助です。30%は民間の企業などからの寄付金でまかなわれています。

CIFの役割の一つは、全国のチャイルドラインを代表して、実施するプログラムや資金面で政府や大手企業と交渉することです。ただ、実際の助成金の申請などに関しては、各地のセンターが直接やり取りをしています。全国のチャイルドラインはネットワークを結んでいますが、資金面では完全に独立しています」

続いて「CIFには、何人スタッフがいるのですか?」と聞くと、「今は23人です」という答えが返ってきました。「ボランティアを含めてですか?」と問い直すと、「いいえ、有給スタッフだけです。ボランティアを含めると100人ぐらいになるでしょうか」と、すばやい返事が戻ってきました。

彼女はけっして自慢げに言ったわけではないのですが、日本の実情と比較しながら聞いている私にとっては、彼女の答えがなぜか勝ち誇った言葉のように聞こえてしまいました。むしろ、インドばかりでなくイギリスや他のチャイルドライン先進国では、その程度の資金面や人材面での状況は当たり前のことなのでしょう。

日本では、チャイルドライン設立推進議員連盟という超党派の国会議員による組織がありますが、未だ公的な資金がチャイルドラインに流れてきてはいません。民間の企業や助成団体、個人の会費や寄付などで運営費がまかなわれている状況です。また、その民間からの支援金も、けっして充分な額とは言えません。

それに加えて、日本でCIFの役割を果たしているチャイルドライン支援センターの有給スタッフもわずかに2名。「わずかに」と言っても、全国各地のチャイルドラインで有給スタッフのいる組織は、ほとんどありませんから、2名という数字はすごい数です。

私は「すばらしいですね」といったような言葉を、そのとき発したような気がします。本当は「うらやましいですね」という言葉が、のど元まで出かかっていたのですが。

地域に張り巡らされたネットワーク

資金についての会話は、これ以上弾みませんでした。こちらの事情を察してか、パッラヴィさんもあえて私に質問をしてきませんでした。私は話題を変え、運営面について彼女に話を向けました。

「CIFは全国のチャイルドラインを統括するセンターのようですが、実際の電話はここでも受けているのですか?」

「いいえ、ここでは電話は受けていません。このセンターの役割は二つあります。一つ目は先ほどお話しした、全国のセンターを代表して政府機関などと交渉したり、各地の情報を収集して再発信すること。もう一つは、このムンバイ地域のノドル(中核)組織として、3つのセンターが効果的に機能するようにコーディネートすることです」

インドでは、ほぼ全国共通で、地方ごとにCIFのような「ノドル」と呼ばれる核となる組織があり、そのコーディネートのもとで「コラボレーション(提携)組織」が、現場のチャイルドラインを運営しています。そしてさらに、各コラボレーション組織は、地域で活動する専門性を持ったさまざまな「サポート組織」をパートナーとして持っており、町中にその活動のネットワークが張り巡らされています。また、対象となる子どもの状況によって、直接の対応をするリソース組織も連携しています(図参照)。

それぞれの組織は、詳しくは次のような働きをしています。

インドCL相関図(コラボレーション組織)

1098をダイヤルする子ども多大人の電話を受け、長期間のフォローにつなげるため、それぞれの内容に応じて対応を行う。

サポート組織

コラボレーション組織から指示を受けて、活動地域内で問題を抱えている子どもや親たちに直接接触を試みる。

組織図

リソース組織

子どもの状況に応じて、自らが運営するカウンセリング保護施設に収容したり、里親を探して養子縁組をするなど、専門的な活動を行う。

 

また、この他にもそれぞれの地域に、提携組織の代表や学識経験者、行政担当者などから構成される「チャイルドライン諮問委員会」があり、地域のチャイルドライン機構や活動を評価し指導しています。委員会は原則として、2か月に1回行わなければならないことになっています。

パッラヴィさんから以上のような説明を受けたのですが、一度聞いただけではその広範にわたるそのネットワークについて理解することはできませんでした。何回も聞き直したり、資料を見るうちに、やっとのことで概要がつかめたのでした。

私はまたも心の中でうなるばかりでした。「すごい」と正直に思いました。

彼女の説明は、CIFのあとに訪れたムンバイのダウンタウンにあるYUVAというコラボレーション組織で実証されました。ここでは、二本の電話とパソコンが設置された部屋の中で、二人のスタッフが電話を受けていました。その様子をセンターコーディネータが見守り、必要に応じて電話が終了した後にアドヴァイスをしていました。

部屋の傍らにひとつのドアがあり、中をのぞくと30畳ほどのスペースで、10人ほどの子どもたちが遊んでいました。「この部屋は?」と聞くと、「シェルター(避難所)だよ」と返事が返 チてきました。そこは、家出してきた子どもや、児童労働で搾取されてきた子どもたちのシェルターだったのです。運営しているのは、YUVAとは異なるサポート組織とのことでした。

パッラヴィさんの言葉通り、さまざまな市民団体(NGO)が、子どもたちの幸せのために協働していたのでした。

オンライン化された情報ネットワーク

CIFでさらに驚いたことがあります。それは全国のチャイルドラインで受けた電話内容のデータベース作りに関してです。

年間144万件にも上る電話の内容をどのようにして集め分類分析しているのか、私はとても興味を持ちました。そのことに関して質問を向けると、パッラヴィさんは、「各地のセンターで受けた電話は、その日のうちにインターネットでCIFに送られてきます。タタというインドの財閥が、データベース用のソフトウェアーを無料で作ってくれて、各センターに寄付してくれました。スタッフはフォーマットにデータを打ち込んで、インターネットで送ると、CIFのサーバーに集まり、内容別に自動で集計してくれるんです。」と説明してくれました。
CIFのオフィスの中がコンピュータだらけだったとお話しましたが、その一つの理由がここで理解できました。さすが、「IT立国インド」ですね。こんなところにまで、その波が押し寄せていたのでした。

傍らにいた男性スタッフが、自分のコンピュータの前に私を招き寄せ、画面を指さして「これがフォーマットですよ」と、データ書き込み用のソフトを見せてくれました。そこには、電話を受けたセンター、時間、内容、子どもの年齢、対応などの情報を入力するシートが表示されていました。

私は感心しながら画面をしばし眺めた後、「このソフト、日本へもらっていけませんか?」と、あつかましい問いを彼に投げかけてしまいました。それは、「もし、これと同じようなソフトウェアーが日本にもあったなら、全国のチャイルドラインの情報を集約し、再発信することができる。情報が限られている日本のチャイルドラインの現状にあって、他地域のチャイルドラインの情報は、生きたケース・スタディーのためにとても役立つ」などと、考えたからです。

彼は当惑した様子を見せながら、パッラヴィさんとヒンディー語で会話を交わした後、「これにはコピーライト(著作権)がありますから、一応、組織として了承を得ないと」と、すまなそうに返事をしてくれました。「やはり、そうですよね」と、お願いをした私も恐縮し、少々気まずい間ができてしまったのでした。

日本のチャイルドラインの課題

このあとも、私はいろいろな質問を彼女にぶつけてみました。しかし、その内容について、ここではすべて書きつくすことはできませんのでまた改めて報告をしたいと思います。

最後に、まとめとして、私がインドのチャイルドラインを訪問して、感じ、学んだことを少しお話ししたいと思います。

よく言われることですが、組織を運営するに当たって必要な四つの要素があるといわれます。それは、「人・物・資金・情報」です。インドのチャイルドラインはその四つの要素が、まんべんなく、多からず少なからず、「ほど良く」そろっています。「ほど良く」という意味は、何事も同じですが、多すぎたり少なすぎたりしますと、往々にして物事は、良い方向には向かわないということです。お金がたくさんあれば人は贅沢になりますし、人が多すぎると怠け者になったり、余計ないさかいが生じたりもします。これはお釈迦さまの教えである「中道」に通じるものです。

その意味で、インドのチャイルドラインは、それぞれの組織(NGO)が、しっかりと地に足をつけて一歩ずつ前に進める「ほど良い」状況に現在あるようです。もちろんのこと、それは、これまでのさまざまな努力の結果なのでしょう。

そして、今回最も強く印象付けられたのは、地域に網の目のように張り巡らされた子ども支援ネットワークの充実でした。さまざまな組織が縦横無尽に、ケース・バイ・ケースでつながり、子どもにとってもっとも良い選択をすることができる状況があるということです。そのネットワークがあってこそ、子どもたちのヘルプラインとしてのチャイルドライン機能が果たせるのでしょう。それは、実際に地域でチャイルドラインを開設するときに最初にやらねばならないことが、地域にあるさまざまな組織や団体の住所録作りであることからも伺えます。地域のネットワークこそがチャイルドラインの生命線であり、最も重要視されるところなのです。

さて、日本のチャイルドラインの場合はどうでしょうか?総合的に見て、まだまだインドのレヴェルに達しているとは言えません。とくに、被虐待児の救出などのヘルプラインとしての「危機対応」に関しては、明らかなハンデがあります。それどころか、日本のチャイルドラインは、危機対応をすべきでないという論調まであるほどです。この傾向を私はとても残念なことだと思っています。なぜ危機対応ができないのか、その大きな理由は、地域におけるネットワーク作りをこれまで軽視してきたからではないかと思います。ネットワークよりも個としてのボランティアの確保や、受け手としての育成を重視してきたところに問題点があるのではないでしょうか。

そして「人・物・資金・情報」においても、まだまだ不十分です。資金の確保や、ボランティアスタッフの確保などで右往左往している組織がほとんどです。日本のチャイルドラインの将来はどうなっていくのかと、私はときどき不安になります。

しかし、チャイルドラインをスタートさせてしまったからには、いまさら後戻りすることは避けなければいけません。全国各地で草の根的に立ち上がってきた日本のチャイルドラインは、子どもたちを愛する一人ひとりのボランティアの思いの結晶です。その結晶をしっかりとした金剛石(ダイヤモンド)にするために、私たちは一歩一歩着実に前に進んで行きたいと思います。

そのために、今、私たちがしなければならないのは、チャイルドラインの「使命」は何かということをもう一度問い直し、将来へ向けての明確な「ヴィジョン」と、具体的な「行動計画」を立てることだと思います。これらは当たり前のことなのですが、現場に流されてしまっている状況は、決して明るい未来につながらないと思うのです。時には立ち止まって、今自分たちがいる場所やうしろを振り返ることも必要なのかもしれません。

今度インドのパッラヴィさんに会うときは、自分なりに胸を張って日本のチャイルドラインの明るい未来についてお話したいと思っています。(神)