虐待・DV

優しかったあなたが、なぜ?―身近で起こる「DV」の実状―

ぴっぱら2010年3-4月号掲載

◆DV(ドメスティックバイオレンス)とは?

DV(ドメスティックバイオレンス)という言葉が新語・流行語大賞で受賞をしたのは2001年。同年4月にいわゆる「DV防止法」が制定されたことが、日本での認知のきっかけになりました。しかし夫婦(恋人)間の暴力が問題として認識され始めたのは、(さかのぼ)って、1970年代にアメリカで始まった「殴られた女性たちの運動(バタードウーマンムーブメント)」が生まれてからです。

現在では、配偶者や恋人など親密な関係にある異性からの暴力全般をDVと呼ぶことが多くなっていますが、DVとは同居関係にある親子・夫婦・兄弟姉妹など家族間の暴力のことを指し、本来ならば異性から受ける暴力のみを指す場合は「ジェンダーバイオレンス」と呼ぶことが適当だという説もあります。

さて、どういった行動や言動がDVと呼ばれるものなのでしょうか。一般的には次のような虐待を指すようです。

身体的暴力 殴る・蹴る・首を絞めるなど。
精神的暴力 恫喝する・罵る・脅す・無視する・他人の前で欠点をあげ恥をかかせるなど。
性的暴力 性交の強要・避妊に協力しない・ポルノ閲覧を強要したりするなど。
経済的暴力 生活費を渡さない・仕事を禁じる・無計画な借金をくり返すなど。
社会的隔離 親族や友人との付き合いを制限・電話やメールをチェックし交友関係を厳しく監視するなど。
その他 怪我をしているのに病院に行かせない・部屋などに閉じ込める・「おまえは家事だけやっていればいい」などと男性の特権を振りかざす・暴力をふるう原因が女性側にあると責任を転嫁するなど。

これらは、女性から男性に対し行われることもありますが、統計を見る限りでは、男性から女性へ行われるケースが多数です。殺人のみ女性の割合が上がっているのは、他の動機・目的が含まれていることのほか、「夫の暴力に耐えかねて」被害者が加害者に手をかけるためだと考えられます。

記憶に新しい事件では、2008年、元グラビアアイドルが内縁の夫を刺殺した事件、また2006年に東京・渋谷で起きた、いわゆる「セレブ妻」による夫を切断した殺人事件などがあり、ほかにも2005年に名古屋市で起きた「ネット依頼夫殺人事件」など、いずれの加害者もDVを受けて追いつめられていたことが分かっています。

心身ともにぎりぎりまで追いつめられた女性が、最後に殺人という重い罪を背負わざるをえなかったことに、とてもやるせなさを感じます。そして加害者が男性のパターンでは、2006年に起きた「吉野川市DV殺人事件」。これは「DV防止法」により接近禁止が出ていた夫が探偵を使い、隠れていた妻の居場所を突き止めたあげくに殺害したものです。

2008年に岡山市で起きた、夫が妻に暴行を加え、外傷性ショックで妻が死亡した事件は「妻が電話に出なかったことに腹を立て、両手両足を縛って金属バットで殴るなどしてDVの傷害容疑で逮捕。懲役2年、執行猶予4年の判決を受けていた」という、執行猶予中に起こったものでした。理解を超えた妻への執着や暴力のすさまじさの根底には、一体何があるのでしょうか。

◆DVを受けた人の声

今回お話を伺ったTさん(女性)は、数年前DVを理由に離婚しました。交際中から若干のサインはあったといいます。しかし、別れを考える間もなく妊娠をし、籍を入れました。

暴力は妊娠中に1回、産後に2回程度ありました。すべて飲酒後に起こり、些細な理由で、髪をつかんで壁に打ちつける、蹴り上げる、平手で打つなどされ、1度は鼓膜が破れるほどでした。

もともと夫の育った家には暴力的な環境があり、暴力を肯定的に受け止めていました。男尊女卑の考えにも疑問を持たないタイプだったため、彼女は早い時点で諦め、「暴力は絶対イヤ」だったことから産後1年もしないうちに別居を始めました。

しかし離婚調停の場に出てこなかったり、逃げていた親戚の家に脅迫電話をかけたりと、離婚後しばらくしてからも嫌がらせが続いたそうです。

「赤ちゃんを連れて親戚の家にお世話になっているのに、電話先で親戚が怒鳴られて迷惑をかけてしまったり、親戚中を転々としていたため生活保護が認められず、金銭的にも厳しかったりと本当につらかった」そんな逃亡生活は1年近くも続き、Tさんは10㎏近く痩せてしまったということです。

しかし、彼女の場合は子どもが乳児だったため、転校や友達関係などを気にすることなく逃げることができました。また食費や被服費なども、食べ盛りに比べるとずっと少なくすみます。被害を受けていた期間も2年弱と短いため、精神的にも肉体的にも、健全さをある程度保つことができました。助けてくれる人や知恵を授けてくれる人が多かったことも幸いでした。

それに比べて、暴力が長期にわたり子どもが多いケースになると、逃げることも容易ではなくなります。適切な情報が得られなければ、解決の道が遠ざかってしまうのです。

『DV・被害者のなかの殺意―ネット依頼殺人の真実』(北村朋子/現代書館)の被告人の手紙によると、「もし様子を見てとか、大丈夫、我慢しようと思っていると、自分を見失ってしまいますし、知らず知らずマインドコントロールされているかもしれません。私も私が我慢すれば、いつか主人も気がつくだろうと思い、最初は家政婦扱いかなんて思っていたら、どんどんエスカレートしていったのも全部私が悪いから仕方ないと、どんどん自分を殺してしまい、自分で何も考えられない、アドリブが利かない、主人のことを考えると怖くてたまらないから考える時間を作りたくないと思い、悪い方へと流されてしまったみたいです」とあります。逃げることすら考えられないほど思考力を失い、すべて自分が悪いのだと、自尊心をなくしてしまう被害者の姿を見ることができます。

◆複雑な被害者の感情

しかし、別の日にお会いしたNさんの話を聞き、解決の方法は現状の法律で守られている「逃げる」ことに限らないのではないかと思いました。

Nさんの育った家庭では、父親が、母親と自分、そして兄弟に暴力を振るっていました。その程度はすさまじく、母親は意識を失い、痙攣(するまで殴られることも頻繁で、そのたびに死んでしまったのではないかと怯える日々だったといいます。

Nさん自身も、結婚後数年経ってから夫の暴力が始まり、今も週に1度程度は胸ぐらを掴まれる、平手で打たれるなどされるそうです。しかし、「母親に比べるとたいしたものじゃない」と感じるためか、怖いと思うことはないそうです。そして、「夫の怒りを私が受け止めて不満を解消させてあげられるのならそれでいいかな」と思うそうです。

ただ、このように思えるのはNさんが経済的に自立していて、「別れようと思えばいつでも別れることができる」と、一歩ひいて夫の姿を観察できているからかもしれません。もしも別れることや、一人で生きていくことに恐怖を抱くような女性だったら、「こいつは何をやっても逃げていかない」と、暴力へと向かう夫の気持ちもエスカレートしていったかもしれないと感じました。

さて、現在ではNさんの父親が暴力を振るうことはなくなり、両親は一緒に旅行にいくほど夫婦仲がよくなったそうです。振り返ってみると、自営業だった父親の経済状況が芳しくない時期に暴力は起こり、借金が片付いてくるとともに減っていくなど、理由がはっきりしているそうです。

またNさん夫婦も、Nさんが会社を立ち上げ、夫が入社してから暴力が始まりましたが、1年ほど前に家を購入してからは精神的に安定し、暴力も減ってきたそうです。暴力を振るう男性には、何かしらの理由があって行うというパターンもありそうです。この場合に限り、理由を解決すればDV問題も解決できるのかもしれません。

そして、Nさんには「離婚をしたくない」という強い意志がありました。そのため夫の怒りをうまく回避したり、コントロールしたりすることも、最近ではできるようになってきたそうです。

またNさん夫婦には子どもがいなかったため、子どもへの影響を考えることなく解決への道を探ることができました。しかし、子どものいる場合、家庭内の暴力は子どもに大きな影響を及ぼします。

母親が血を流し、白目をむくまで殴られる姿を見ることが日常だったKさん(男性)は、小学校の卒業文集の「将来の夢」の欄に、父親を殺すことを思い「人殺し」と書いたそうです。両親が離婚した後も、「いつか父親と再会したら殺してやる」と憎しみと怒りを抱えながら生きてきたといいます。

暴力と恐怖で支配された環境下では、PTSD(トラウマ)やうつ病、解離性障害などの精神障害が発生したり、暴力の連鎖が起こったりすることはよく言われています。Kさんも暴走族に入り、傷害事件を起こすなど常に暴力と隣り合わせの人生を送っていました。同時に、神経性胃炎やナルコレプシー(睡眠障害の一種)に悩まされたこともあったそうです。

父親を憎んでいたKさんですが、反面、スポーツマンだった父を誇る気持ちや、海に出かけて楽しかった思い出を愛おしむ気持ちもありました。憎しみや怒りを抱きながらも、家族だからこその愛情も捨てきれないところに、この問題の複雑さを感じます。被害を受けている妻たちも、Nさんのように「夫婦なのだから一生一緒に暮らしていきたい」と、多くはそう願っているのではないでしょうか。

「つねにずっと幸せな状態はありえない。完璧な人はいないから、不満は何かしらある。暴力は一時のことなんです。だから全体を見てそこを我慢すればいいのかと思っています」とNさん。この不満が「暴力じゃなければいいのに」というのが、DVを受けた女性の多くの心理なのかもしれないと思いました。

◆「あえて暴力を選ぶ」ということ

しかし、特定非営利活動法人「かながわ女のスペースみずら」の理事、阿部さんは、「暴力がなければいい人だと皆さんおっしゃいますが、暴力を含めてその存在なんです」といいます。

そして、暴力を振るう夫もたいていの場合、問題を起こすのは外ではなく家の中だけで、自分より力の弱い妻や子どもに対してのみであることを指摘し、「力関係に上下があり、思い通りにさせるために暴力という手段を使うことが問題」なのだと説明してくれました。

思い通りにしたいという気持ちを分解していくと、そこには甘えやわがままといった幼い感情と、人を物のように扱う傲慢(ごうまん)さが同時に存在していることに気づきます。この問題は、家庭という、最もありのままの自分を出せる場所だからこそ起きてしまうのだとも言い換えられます。

しかも暴力を振るう相手は、自分が恋人や結婚相手として選び、自発的に愛した異性なのです。その事実は悲しいことであり、相手の非を認めることが自分自身を非難することにもなり、別れを選択することは自分の一部分を失うような気持ちになるのではないかとも感じます。

阿部さんの、「暴力を働いた時点で、暴力を選んでいるのです。会社などでは、分かってもらいたい相手にちゃんと言葉で説明することができるんですから」という説明がとても印象的でした。

「夫婦喧嘩は犬も食わない」と、20世紀末まで民事不介入だったこの問題が、現在では警察や行政が立ち入って積極的に解決されるようになりました。

子ども時代からの育てられ方の違いや家制度、男女差別などが複雑にからみあっているといわれるDV。これが自分の身近で起きたとき、どう向き合うかはとても難しく、解決には時間もかかることでしょう。しかし地域には助けてくれる人たちもおり、制度も整いつつあります。家庭内でひとり耐えている女性に、救いの手は確実に差し伸べられているのです。(中山)