家庭・暮らし

こころとこころが触れ合うとき―音楽療法の視点から―

ぴっぱら2013年9-10月号掲載

◆お腹の中からコミュニケーション?

あるお母さんが妊娠8カ月のころ、旦那さんと一緒にコンサートに行ったそうです。人気のある歌手でなかなかチケットがとれなかったこともあり、お母さんはコンサートを楽しみにしていました。会場は最新の設備が整った、音響のすばらしいホールだったといいます。

コンサートが始まると、お母さんはちっとも歌に集中できませんでした。なぜなら、お腹の赤ちゃんが音楽に合わせてお腹の中でぽこぽこと飛びはねていたからです。お腹に触れるとその躍動がはっきり伝わってきます。あまりの反応のよさに、お母さんも旦那さんもびっくりしてしまいました。

同じような経験をしたという方もおられるかもしれません。「胎教」は今日では一般的となり、お母さんたちはクラシック音楽を聴いたり(聴かせたり)、拡声器のような専用の道具を使ってお腹の赤ちゃんに話しかけたりと、わが子のためにさまざまな方法を試みています。冒頭のお母さんの場合、生まれた赤ちゃんは女の子でした。中学生になるいまでも歌が大好きで、合唱部で活躍しているそうです。胎児は、妊娠4カ月ごろからお母さんの声が、妊娠6カ月ごろには外の音が聞こえていると言われます。

母親は、よく赤ちゃんに対して高めの声で、抑揚をつけて歌うように話しかけることがあります(いわゆる"赤ちゃん言葉"の感じです)。

平坦な調子に比べ、こうした抑揚のある言葉がけに、赤ちゃんはよりよく反応するのだそうです。抑揚とリズムは、実は音楽の要素でもあります。こうした母子間の音楽的な関わりは、言葉によるコミュニケーションが成立する以前からの、根源的なコミュニケーションと言えるでしょう。

音楽が私たちの心に直接働きかける特性を生かして、心身の障がいの回復や機能の維持改善、また生活の質の向上などに向けて音楽を計画的に使うこと。それが「音楽療法」と呼ばれるものです。

「療法」という言葉の通り、その考え方は治療や生活改善を視野に行われることも多いのですが、日常生活や育児、保育の現場、人びとが集う場面などで取り入れることで、コミュニケーションの土台づくりをしたり、情緒を安定させたりといった効果を望むことができます。

「カラオケを歌ったらストレス発散になった」「テンポの速い曲を聴いたら元気になった」など、誰もが感じている音楽の効用を、音楽療法の視点から考え、日常で生かしてみましょう。

◆音楽療法の考え方とは

音楽療法士の下川英子さんによれば、音楽には3つの大きな力があるといいます。

①生理的作用(音楽を聴くと情動が高揚して心拍などの自律神経系に影響を与えたり、さまざまなホルモンを分泌したりすることがわかっています)

②心理的作用(情動を高揚させたり沈静させたり、気分転換ができたりと、こころに響く力となります)

③社会的作用(行動を揃えたり、一体感を持たせたりと、自己コントロールを促す力です。保育や教育の場でも長らく使われてきました。非言語的コミュニケーションで共感し合う力ともなります)音楽療法は、これらの作用を使って行われるものです。

いま保育の現場、そして教育現場で「気になる子ども」が増えてきたということが、よく言われています。極端に落ち着きがなかったり、パニックに陥りやすかったり......。周囲の子どもとは少し違った様子の子どもたちは、独自の発達段階を踏む子どもたちなのです。こうした子どもに対する特別な支援の必要性が、昨今では保育者や教員の間で認知されてきました。しかし、音楽に関しては、合わせたり、揃えたり、整った演奏をすることこそが素晴らしいという価値観が、いまだ根強いようです。

美しい演奏を目標とするのは悪いことではありません。しかし、音楽が子どもの根源的、自発的表現であることを忘れ、「きちんとした」演奏をさせることばかりに価値観を置くのは、子どもにとって望ましいことなのでしょうか。

音楽療法の考え方は、音楽に子どもを合わせるのではなく、「音楽を子どもに合わせていく」ところから始まります。他人から与えられた価値観ばかりではなく、自分の感覚を大切にすること。それは、自己を肯定するこころを育むことにもつながります。

◆子どもを育む「音あそび」

それでは、子どもに合わせた音楽の楽しみ方を、見ていきましょう。大切なことは、子どもの発達の状態を見きわめてあげることです。あとは子どものしたいように、のびのびと!

《乳児〜幼児・独自の発達段階を踏む子どもの場合》

この時期には、タンバリンやマラカス、太鼓などの楽器が使いやすいようです。手や楽器をたたいたり、振ったりして自分の意思で音を出すことができるのは生後6ヵ月くらいから。また、バチなどを使って楽器をたたくのは、1歳前にはほとんどの子どもができるようになるといいます。もっと小さい赤ちゃんや、発達の偏りにより聴覚や触覚が過敏な子どもには、大人が鳴らした太鼓やタンバリンなどの振動を触れさせたりして、音による振動を楽しむところから始めましょう。

音を楽しめる段階になったら、大人は、子どもが出した音に対して応答してあげましょう。子どもが「トン」と太鼓をたたいたら、大人も「トントン」と応じてあげるなど、模倣や応答することによって、音によるコミュニケーションが体験できます。

動作(音)を模倣することは、共感やコミュニケーションの萌芽となります。大人はあせらず、なるべくゆったり構えて、子どもが考えたり表現したりする時間(=間)をつくってあげましょう。独自の発達段階を踏む子どもは、発達の度合いを見ながらセッションしていきます。

《幼児〜小学生の場合》

歌を歌ったり、楽器を使っての音楽が自由に楽しめる時期です。楽器以外にも、手拍子、足踏み、机たたき、そして、木の棒、枯葉、貝がら、輪ゴム、ペットボトル、ざる、紙風船など......身近なあらゆるものが音あそびの材料となるでしょう。

たとえば雨の日には、庭やベランダにガラスのコップ、スチール缶、木のおわんなどを並べて、素材によって雨だれがどんな音になるかを試してみるのもよいでしょう。また、紙に好きな図形を描いて、その図をイメージした音を好き好きに表現したり、図形の紙をつなげてみんなで音のイメージを話し合い、合奏・合唱に発展させても面白いですね。

成長に応じて、複雑な模倣やアイディアが、子どもの側からも生まれてくることでしょう。「あそび」にタブーはありません。即興的に楽しんでみてください。

多人数であそぶ場合、発達に偏りのある子どもは活動になかなか加われないかもしれません。そんなときに、何とか輪に加えなくては、と大人があせりすぎる必要はないのです。まずは、その場所が楽しい場所なんだと感じてもらえれば十分なので、そうした子どもにはこちらから寄って行って、少しずつ関わりをもたせてあげましょう。安心すればそのうち参加してくれるかもしれません。

また、すべてが自由なのではなく、「友だちを傷つけない」「楽器は大切にする」など、最低限のルールがあることは全員に伝えましょう。

◆大人にも音楽を!

 他愛もないような、こうした音あそびですが、実は、大人がやってみても意外に楽しいのです。たとえば一つの太鼓を二人で交互に、同じ拍だけ自由にたたくとしましょう。「トン♪トン♪」とたたく人もいれば、「トン、トトトトン♪」とたたく人もあり、やってみても、見ているだけでも「そうきたか!」と愉快な気持ちになってきます。導入の仕方などを工夫すれば、大人や高齢者の方にも楽しんでいただけます。

ご参考までに、高齢者施設等で導入されているセッションの流れを見てみましょう。

①導入......あいさつ、季節の話など。 

②定番の曲(歌)......安心できるような明るい曲を。

③季節の曲(歌)......季節感があり、参加者が好きな曲、思い出の歌など。 

④身体を動かせる曲(歌)......童謡の替え歌、ポピュラーな演歌、民謡、音頭など。 

⑤合奏・楽器あそび......持ちやすく、音の出やすい打楽器などを用いて曲に合わせて自由に演奏してもらう。歌を伴う場合も多い。 

⑥終わりの曲(歌)・ふりかえり......固定の曲を用いて安心感のうちに終わる。

これはあくまで一例ですが、集会やお寺の行事など、集う機会があった場合にも、誰かがリーダーとなって一部を取り入れてみるのもよいでしょう。参加した方が、楽しい気持ちになれるのが一番です。懐かしい曲が出てきたならば、その曲が家族や周りの人との会話のきっかけとなるかもしれません。お寺であれば仏教賛歌に親しむのもよいでしょう。

楽器を使うのであれば、歌詞を書いた大きな模造紙に、色分けをして楽器を鳴らす箇所を指示してあげると、本格的な演奏の雰囲気が出てきます。

参加者に好きな歌や思い出の歌を順番に聞いてみるのもよいと思います。人前で話すのは恥ずかしいと感じながらも、自分のことを聞かれるのは嬉しいものですし、他のおしゃべりに発展するなど、交流が生まれる良い機会です。

また家庭の中でも、おじいちゃんおばあちゃんの好きな歌をお孫さんが習って歌ってみるなんて、素敵ですね。高齢の方の体力に配慮しながら、ぜひ楽しいセッションを試みてください。

◆いつでも、音楽とともに

東日本大震災では、多くの人が家族や知人、そしてかけがえのない思い出を一瞬にして失くしました。その後、避難所や仮設住宅などで、音楽の慰問が盛んに行われたのは記憶に新しいところです。

辛い思いも一瞬、音楽によって忘れられること、そして仲間と一緒に音楽をすることによって、新たな喜びの記憶を創り出すこと......音楽の力が最も求められていた状況でした。

「わたし、いまはおばあさんだけど、女学校に行ってたときにはコーラスをやってたのよ。きれいなソプラノだってよくほめられたんだから」「この歌大好き!大きな声で歌えて楽しかった」

被災地でコンサートを開いたとき、歌い終わってからこんな風に話しかけてくれた被災者の方は、一人や二人ではありませんでした。大勢の声が大きなうねりとなって会場を満たすひとときは、胸がいっぱいになるような感動の瞬間です。

被災した方にとって、提供された音楽を一方的に聴くことよりも、自ら参加して「一緒に」音楽を創ることの方が、自分が一人ではないということを体感し、喜びや悲しみといった想いを分かち合うことに通じるのかもしれません。また、大きなハーモニーの中に自分自身の「音」を認めるときには、逆説的に自分の存在を確認することになります。

音楽をすることは、生きること。録音されたものが簡単に手に入り、ひとりだけの世界を楽しむことのできる世の中ですが、生のセッションがあるところには、必ず人と人との関わりがあります。音楽が人を癒すのではなく、その後ろにいる人が人をサポートし、支えているのです。

周囲のたくさんのつながりに感謝しながら、一人ひとりの調べを尊び、世界が優しくも壮大なハーモニーに満たされることを願います。 

参考文献:『統合教育・教育現場に応用する音楽療法・音あそび』下川英子著・音楽之友社