貧困問題

すべての子どもに未来を―「子どもの貧困」を考える―

ぴっぱら2009年2月号掲載

■見過ごせない現実

2008年12月19日、参院本会議で国民健康保険法の改正が全会一致で可決、成立しました。これにより、国民健康保険料を滞納している家庭であっても、中学生以下の子どもは短期有効の保険証を交付され、保険診療が受けられることになりました。厚生労働省が昨年秋に行った全国調査によると、中学生以下の「無保険」状態の子どもは、わかっているだけで3万3千人以上にのぼります。

ここには乳児も含まれており、我が国では先進国と言われながら、現実には多くの幼い命が危険にさらされていたことになります。

国民健康保険料を滞納している世帯は、2年前のデータでは全国で約475万世帯にものぼり、その数は年々増加していると言われます。たとえば大阪のある市では、40代夫婦と子ども2人の4人世帯で年間所得が200万円の場合、納める保険料は年間49万円にもなるといいます。保険料をきちんと払っている人からは、滞納していることに対して非難の声があがるのももっともですが、経済的な事情から「払いたくても払えない」世帯が増加しているのも事実なのです。

昨今、格差社会という言葉をよく耳にしますが、この一見平和な日本という国で、収入の格差によって階層化が始まり、難民のような不安定な生活を送る人たちが存在しているのです。

米国のサブプライムローン問題に端を発した世界的な金融不安により、連日のように景気の悪化や雇用不安が報道されています。それに連動するように、医療の問題をはじめ、扶養される存在である子どもたちにも重大な影響が出はじめています。

児童福祉法の第1条には、「すべて児童は、ひとしくその生活を保障され、愛護されなければならない」とあります。法律は果たして遵守されているといえるでしょうか。いま、子どもたちの周りで何が起きているのでしょうか。

■現場報告から見えてきたもの

2008年12月7日、「なくそう!子どもの貧困市民フォーラム」が東京で開催されました。これは研究者・有識者たちが発起人となり、子どもの貧困問題を広く呼びかけようと行われたものです。特に、教師や社会福祉団体の職員、自立支援ホームのスタッフなど、現場を知る人たちからの報告は、とても印象的かつ現実的なものでした。

元高校教員で、子どもの貧困問題を研究している大澤真平さんは、北海道の高校での進路指導の経験から、就職問題に深刻な地域格差が存在することを訴えました。また、定時制高校の置かれている現状を、埼玉県内の定時制高校の教員、鈴木敏則さんが報告しました。

現在、経済的理由から定時制高校に進学する生徒が増えています。公立の定時制高校の学費は、全日制に比べて3分の1から4分の1程度なのです。しかし、埼玉県では35校あった定時制高校が現在では17校になり、大阪府では29校から15校になるなど、合理化を理由に、全国的に統廃合が進められているのです。

その結果、定員の絶対数が減り、進学を希望しているのにできない生徒が増加しました。また、遠距離通学を強いられる生徒も増えることとなりました。それは、交通費の負担が増し、通学時間がかかることにより、アルバイトの時間も短くせざるを得ず収入も減ってしまうという、二重、三重の苦しみをもたらしています。

定時制高校は、経済的困難のなかでも勉強を続けたいと願う生徒の拠り所であり、「最後の砦」です。未だ日本は学歴社会であり、中卒者や高校中退者の求人は単純労働や工場内作業、サービス業などが中心で、職種や収入はかなり限定されてしまいます。

鈴木さんは、生徒や現場の努力だけでは抜本的な解決が難しいことを説明し、「経済的理由で退学していく生徒を、ただ見送るしかできないのが本当につらい。行政は、なんとか生徒の未来を守ってほしい」と訴えました。

奨学金制度の拡充を目指して活動を展開する、「奨学金の会」事務局の岡村稔さんは、現在の奨学金は有利子のものがほとんどで、今や奨学金を利用することは、「借金」をするような覚悟が必要な状態だと述べました。そのため返済を恐れる母子家庭をはじめとする困窮世帯が、せっかくの受給を受けられない現状があるそうです。

義務教育は無償、もしくは手厚い支援を行うのが世界的な流れであるのに反して、日本は、30年前に批准した「中等・高等教育の無償化」という国際人権条約の条項を未だ留保し続けている状態なのです。留保したままの国は、批准した157カ国中、アフリカの2つの国を含む3カ国だけです。国内総生産が世界第2位の我が国にとって、現状はあまりにもお粗末なものです。

かつて、教育は「国家百年の計」とも言われたものです。国は目先の利益に一喜一憂せず、この重要な課題を長期的な視点でとらえ、策を講じていかなければなりません。

■恐ろしい「貧困の連鎖」

子どもが生まれてから大学を卒業するまでにかかる費用は、平均2370万円といわれています。これは、小・中・高すべて公立校に通学した場合の、生活費などを含めた数字です。そして、教育費が家計にしめる割合は平均で35%。教育費が、いかに家計の中で重い比率となっているかがわかります。

費用の中で最も高額なのは大学の学費ですが、義務教育であるはずの小中学校でも実際にはお金がかかっています。いま、多くの小中学校では、給食費や学級費など、あわせて月平均で1万円ものお金を集金しています。ほかにも、学校指定の体操着や制服、また鉛筆などの文具類や学習教材などを揃えるために多くの出費が必要です。にもかかわらず、年々教育予算は減額され、保護者負担の額は増える一方です。

2005年度の調査によると、GDP(国民総生産)に対する公財政支出の学校教育費の割合は、OECD(経済協力開発機構)加盟国で比較したところ、日本は30カ国中29位という結果であるそうです。日本は公教育への支出が異常に低い国であることがわかります。

生活保護家庭などには、学用品や給食費、医療費などを補助する「就学援助」という制度も設けられています。しかし、その認定基準は引き下げが進み、これまで基準を満たしていても、減額されたり、援助自体を受けられなくなった家庭もあるといいます。それでも、現在8人に1人の子どもが就学援助を受給しているのです。

また、大学の授業料に関しても、OECD加盟国で、日本は総合で学生負担が最も重いということがわかりました。つまり、日本の学費は「世界一高い」のです。

たとえ国立の大学であっても、教科書などの費用は別として、日本では現在平均して年間50万円以上の学費を払わなければなりません。かつては国立大学であれば学費はそれなりに安く、「苦学生」と呼ばれた存在も多かったものです。貧しい家庭の出身であっても頑張ればいいことがあると、明るい希望を未来に抱くことができましたが、右肩上がりの経済成長が終わった現在では、それも望めなくなってきています。

「東大生の親の約半数は年収1000万円以上である」という話があります。子どものころからある程度の教育環境が整えられていないと、子どもが公立の学校から塾にも通わず、高い学歴を身につけようとすることはかなりの困難が伴います。

バブル崩壊後、学歴偏重の価値観を見直そうと、企業の採用試験でもあえて大学名を問わない企業が増えたことが話題になったこともありましたが、少子化が進み、大学全入時代となった昨今、家庭の事情から中卒、あるいは高卒での就職は職種も限られ、賃金も安いことが多いのです。

宇都宮健児、湯浅誠編『反貧困の学校』(明石書店)には、生活保護世帯の子どもへの、進学支援の取り組みが紹介されています。

そこでは、保護者の傷病や無関心から勉強への意欲や未来への展望を早いうちからなくす子どもたちも多いということが記されています。

高校へ進学したものの、家計を支えるためにアルバイトをし、身も心もくたくたになる子どもたち。親からは「どうせあんたが勉強しても仕方がない」と言われ、傷ついて投げやりになるケースもあります。中退を余儀なくされた彼らには、アルバイトや日雇い労働などで食いつなぐ毎日が待っています。こうした子どもたちは、学歴や社会的なスキルを何一つ持たないまま後ろ盾なく放り出され、先の見通しなど見えない状態なのです。

はい上がることの難しい、このような貧困の「連鎖」や「世代間の継承」こそ、最も恐れるべき事態ではないでしょうか。

■必要なのはまず「教育」

2008年末より、いわゆる「派遣切り」により、真冬の寒空の下へ放り出された人たちの報道を目にしない日はありません。総務省の2007年就業構造基本調査によると、非正規労働者は過去最多の1893万人に達し、これは全労働者の35%以上にあたります。つまり、いまや労働者の3人に1人は非正規の雇用者なのです。

彼らはなぜ不安定な雇用状況にあるのでしょうか。もちろん、それを望んでいるのはごく少数で、ほとんどの人は安定した正規雇用を求めています。しかし、大企業が正規雇用を減らし、代わりに派遣やパートなどの非正規雇用への置き換えをすすめたことで、正規の求人は大幅に減少しているのです。

不景気ということばかりが言われますが、実は日本のGDPは、ここ5年間で20兆円以上増加しています。また、大企業の役員報酬も上昇しているのです。しかし、働く人への分配金ともいえる雇用者報酬は5兆円も減少しています。つまり、派遣労働の職種が自由化された1999年の労働者派遣法の改正により、賃金の安い非正規労働者を増やしてコストの削減をはかり、収益をあげようとする政財界が構造的に「格差」を生み出したことになります。

若者たちは、資本主義の名のもと、「がんばれば報われる」「努力をすれば生活がよくなる」と教えられてきました。しかし、構造的にそのスタートラインにすら立てない層が確実に存在しています。

そのような家庭に育った場合、教育のセーフティーネットが十分に機能していない現在の日本の状況では、教育の機会が与えられず満足な職に就けず、大人になっても「最低限の」生活さえ営める保障もないのです。子どもたちは、生まれてくる家を選べるでしょうか?

秋葉原事件の加害者のように、やり場のない怒りの矛先を、他人に無差別に向ける事態も起きています。しかし彼が刃を向けた相手は、彼の本当の敵ではありません。子どもたちが自分たちの社会を冷静に見つめ、正しいことは何かを判断していくために必要なのは「知性」であり、それを養うための教育が、何よりも必要なのです。

貧困は、自殺者や犯罪の増加など、社会のあらゆる問題と見えない糸でつながっています。まずは自分たちの社会のために、一人ひとりが声をあげていくことが必要ではないでしょうか。「すべての子どもが希望の持てる社会」をめざして、意識の転換をすることが、いま求められています。(吉)