不登校・ひきこもりについて考える

長期化する「ひきこもり」 ―「8050問題」への処方箋とはー

◆「ひきこもり」調査の矛盾

 「大学受験に失敗して予備校に通っていましたが、勉強に行き詰まり、予備校を辞めてひきこもるようになりました。人と会わなくなることでいっそう気分が沈み、親との関係もうまくいか なくなりました」
 「就職してから仕事上のミスを連発し、以来、周囲の目が気になって会社に居づらくなってしまいました。そこからあらゆることに自信をなくし、家にひきこもるようになりました」
 全青協が主催する、ひきこもり状態にあるご家族のためのセミナー「寺子屋ふぁみりあ」で は、月に一度、講師を招いての勉強会と家族同士の分かち合いの会を行っています。冒頭のよ うな体験談を語るのは、特別講師として招いた「ひきこもり」経験のある若者たち。参加者は、 何か自分の子どもの参考になればと、身を乗り出すようにして若者たちの話に耳を傾けていました。
 「ひきこもり」とは一般的に、不登校や就労の失敗などをきっかけに、長期間にわたり家にひきこもり続ける若者のことを指します。内閣府が2015年に実施したひきこもりに関する実態調査によると、ひきこもり状態の若年者(15~39歳) は全国に約54万人いて、これは6年前に行われた前回の調査に比べて約15万人減少していたとされています。
 しかし、実際には対象年齢から外れたためにカウントされない、40歳以上の「ひきこもり」 が大勢いると見られており、関係者から疑問の声が上がっていました。そうした声を受けて内閣府は、今年改めて40~59歳の「ひきこもり」を対象にした初の調査を行うと発表しています。
 また、先の実態調査でひきこもりの期間が「7年以上」と回答した人の割合が約35%を占めていることにも注目が集まっています。前回調査に比べて「ひきこもり」が長期化している傾向にあることが明らかになっているのです。
 「寺子屋ふぁみりあ」を開始して10年近くが経ちますが、こうした結果を裏付けるように、 開始当初からの参加者も少なくありません。長期化する「ひきこもり」にどう対応していくか、 政府も調査を通して支援の方向性を模索し始めたようです。

 ◆「8050問題」とは

 若者特有の現象だと見られていた「ひきこもり」。この問題が社会の中で顕在化してきたのは1990年代とも言われています。当初は、学校になじめなかったり、いじめにあったりといったことが原因となってひきこもる若者が多かったのですが、昨今では、就職活動につまずいたり、職場でトラブルにあったりしたことがきっかけとなったケースが増えています。
 こうした中、福祉関係者の間で危惧されているのが、80代になった親と50代になった子どもがともに困窮と孤立を深める「8050問題」と呼ばれる事象です。
 10年、20年とひきこもる期間が長引くと、本人や家族の努力で解決することが極めて難しくなります。ひきこもった当初は支え手として余力のあった親も年金暮らしとなり、生活は徐々に困窮してゆきます。また、親の方も周囲との付き合いが減ってしまい、孤立が進んでいくのです。こうしたケースは、「ひきこもり」が長期化する今後、ますます増えていくと予想されます。
 昨今、高齢の親が亡くなった後も自宅に遺体を放置して年金を不正受給するようなケースや、高齢となった親子が行く末を悲観して心中をはかるような事件の報道は後を絶ちません。

 ◆「ひきこもり」は怠け者?

 「ひきこもり」は一般的に、親のすねをかじりながら暮らしていて、働けるのに働かない怠け者だと思われていることが多いようです。世間はもちろん、家族までもがそのように感じて本人を責めたてたりします。
 しかし本人は、社会や人に対する強い不安と恐怖感で「これ以上外に出て傷つきたくない」「 外に出たくても出られない」という気持ちであり、心身のエネルギーが枯渇した状態です。また 、ひきこもっている状況を誰よりも本人が恥じており、罪悪感とともに将来への強い不安に苛まれていることが多いのです。
 多くの親にとっては、子どもがそこまで追い詰められた状態であるとはすぐに理解できません 。昼夜逆転の生活や、働く意欲が失われている「やる気のなさ」を何とか"改善"させようと、説教をしたり、時には力ずくで外に出させようとしたりしますが、拙速な働きかけでは事態を悪化させてしまうことも多いのです。

 ◆家族の役割とは

 こうした膠着状態から抜け出すためには、やはり何らかのかたちで外部に助けを求めることが必要となってきます。まず親だけでひきこもり地域支援センターや精神保健福祉センター、保健所などの相談窓口へ出向き、早い段階から相談を始めることが必要です。 家族が「ひきこもり」を誤解しているうちは、解決への道からはどんどん遠ざかってしまいます。本人にとって家族はとても重要な存在なのです。家族は「ひきこもり」についての理解を深め、さらに言葉がけなど具体的な対応を学ぶことが肝心です。まずは本人の状態をそのまま認め、決して批判せずに、本人の焦りや辛い気持ちをまるごと受け止めるのです。
 外で傷ついてきたこころは、安心できる居場所を求めています。家族がまず、本人を許容し拠り所となることで、時間はかかるかもしれませんが こころに「安心の種」をまくことになります。

 ◆親が視点を変えることの重要性

 しかし、いつになるともしれない子どもの「帰り」を待ち続ける親の苦しみも計り知れません。勇気を持って知人に打ち明けても、「育て方が間違っていた」などと批判されたりして、それならもう隠していた方がましだと思う親が増えても仕方のないことです。
 また子どもがひきこもって辛い思いをしているのに、親だけが自由にして楽しんでいるわけにはいかないと考え、外に出られなくなってしまう親もいます。どちらのケースも、そうすることでますます追い詰められるような気持ちになることでしょう。そこで、お勧めするのは、同じような悩みを抱えた仲間をつくることです。「寺子屋ふぁみりあ」でも、通っているうちに親同士が仲良くなり、講座が終わった後にも喫茶店でおしゃべりしたり、一緒に買い物へ行ったりする様子が見られます。
 「寺子屋ふぁみりあ」に初めて参加したときには、不安で顔色がすぐれず、いつも下を向いていたようなお母さんも、交流するうちに徐々に気が楽になり、大きな声で笑えるようにもなっていきます。
 ある参加者は、「子どもは、親が自分のせいで不幸になったと言われることがいちばん辛い。まずは、親が自分の人生をきちんと生きることが大切だ」と勉強会で言われたことで、気持ちがすっと楽になったと語ります。その方のお子さんはまだひきこもっていますが、自室にこもりきりだった状態から、家族のいない時にはリビングにまで出てくるなど、少しずつではありますが前進しているようです。
 他人から見れば、就職できるようになったわけでもなく、ささやかな変化でしかありません。しかし、子どもが一歩ずつ足を前に踏み出している、その成長を喜べるようになった親の目は、かつて子どもが社会のレールから外れることを恐れていた頃とは、180度変わっています。できないことを気にやむのではなく、目の前の小さな成長を喜び、希望を持って暮らすことが、親と本人、双方のこころの幸せにつながっているようです。

 ◆福祉制度の利用

 とはいえ、ひきこもりが長期化してくると、いつか私たちがいなくなったらこの子はどうなってしまうのかという具体的な不安がいつもつきまとうことになります。
 これは難しい問題ですが、本当に経済的な余力がなく、これ以上の扶養が難しいといった場合には、現実的なタイムリミットを設けておく必要もあります。つまり、生活保護や障がい年金の受給を視野に入れて行動するということです。
 ただし、福祉制度を利用することで社会復帰が不可能になるということではありません。生存の 心配なく過ごせる保証を得るという意味で、積極的に活用するべきといえるかもしれません。 こうした制度のほとんどは医療機関にかかっていることが前提となりますので、本人に事実を丁寧に伝えて、行動することを検討してもらっておくことも必要でしょう。

 ◆多様性を認められる社会へ

 今や、ひきこもりは珍しい存在ではありません。彼らは本来、特異な存在なのではなく、ただ、事情を抱えていて、この社会の中で他の大多数と同じように同じ歩調で進めなくなっている、それだけのことなのです。
 今の日本は、進学から就職、そして就職してからも一度そのレールを外れたら復活するのが難しい社会です。「いつも前向きでなくてはいけない」「ふつうでなくては受け入れられない」という息苦しさが、不登校や「ひきこもり」、そして自死念慮者を生んでいるように思えてなりません。
 それぞれの人がそれぞれのペースで生きることができること。そして何度もチャレンジできる社会となること― 。多様性を大切にできる社会環境と日本人の意識の醸成が今、必要なのではないでしょうか。