不登校・ひきこもりについて考える

学校ではない"学び"の場を求めて

ぴっぱら2000年9月号掲載

「号外でーす。よろしくお願いしまーす」
2000年7月9日の朝9時過ぎに、東京・有楽町の街を歩いていた人は、見慣れない新聞を配っている少年たちを見かけたかもしれない。彼らが配っていたのは「不登校新聞」という新聞の号外で、その記事は、IDEC(International decmocratic education conference)・世界フリースクール大会がこの日、有楽町朝日ホールでのオープニングシンポを皮切りに、一週間に渡って開催されることを告げていた。

13万人を超えたと言われる不登校の子どもたち。学校という、これまで唯一とされてきた教育の場に、全身で「否!」を唱えた彼らにとってのもうひとつの居場所、学びの場として生まれたのがフリースクールであると言えるだろう。しかし、フリースクールやそこに通う子どもたちへの理解は残念ながらまださほど深まっていない。存在は認められたものの、良くも悪くも特別視されているというのが実状だろう。
今年で8回目を数えるIDECは、世界各国のフリースクールやそれに関心のある人が集い、フリースクールを中心に新しい教育のありかたを考えようとする大会である。第5回大会からはフリースクールに通う子どもらが企画・運営に大きな役割を担っている。特に今回は、委員長を含め実行委員の中心が若者だという。
自らが成長する場として、学校ではなくフリースクールを選んだ子どもたち。彼らを知ることで、これからの子どもにとって真に必要なことは何なのかが見えてくるかもしれない。

IDEC日本開催実行委員会委員長・渡邉広史さん。少し長めの髪に縁なしの眼鏡をかけた彼は、19歳とは思えない大人びた雰囲気の若者である。彼こそが、今回IDECの日本開催を発案し、実現にこぎつけた立役者だ。彼もまた、"東京シューレ"というフリースクールの子ども、いわゆる「不登校の少年」であった。
不登校・閉じこもりを経て、延べ3000人・19ヶ国からの参加を誇る世界大会をまとめ上げるまでになった「少年」。その成長の軌跡は、「ドロップアウト組」などと思われがちな不登校のイメージを覆し、新しい生き方を提示しているように見える。IDECが大盛況のうちに終了して一息ついた渡邉さんにお話を聞いた。

不登校のころ

――学校に行かなくなったのはいつごろから?

渡邉 小学5年の1学期です。中学2年の秋頃まで3年半閉じこもってました。これまで4年半と言ってたんですが、計算間違えてて(笑)。

――行かなくなったきっかけは何かあった?

渡邉 学校ってすごく人を「評価」しますよね、良きにしろ悪しきにしろ。そうすると競争をするようになる。それがすごく嫌だったんです。
数字で評価されることで、人と比べて、劣等感に近いものが植え付けられてしまうのがすごく苦しかったんです。黒板の前で問題を解かされて、できないと笑われたり怒られたり。そういうのが嫌で、だんだん体が拒否し始めて。

――親御さんの反応はどうでした?

渡邉 母親はすごく不安だったようで、学校に戻そうとしてました。父親は最初の半年くらいは知らなかったんです。母に知らされてからは、父もやはり学校に戻そうとしてました。
「学校に行かないとダメになる」といった、間違った一面的な情報しかなくて、自分もすごく引け目を感じていたんです。テレビのチャンネル争いもそれで負けたりとかして。母との間に、お互いを理解することよりも先に「学校に行けるようにならなきゃいけない」という共通認識があって、それで気持ちの距離が離れていくのが、お互いにつらかったですね。

――それが方向転換したきっかけというのは?

渡邉 山形県にある、民間で合宿をしながら子どもを学校に戻そうとする施設の体験入所に行ったんですけど、そこでの3泊4日は僕にはすごく地獄でした。閉じこもっていて体力が落ちているのに大型犬の散歩を延々させられたり、次々にある予定についていけないと「団体行動がとれないのか」と責められたり......。
しまいには一緒に来ていた母に「あの人たちと一緒に入るくらいなら、汚くていいからお風呂に入りたくないよ」と訴えました。
それを聞いて初めて母が「そこまで嫌ならいいんじゃないの」と言ってくれて。学校とかその場のルールに合わせるのではなく、僕の気持ちに沿って考えてくれた。最近聞いたら、このころから「学校がどうこうではなく広史の気持ちを聞けばいい」と思うようになったそうです。

――今通っている東京シューレを知ったのは?

渡邉 母親は(東京シューレ代表の)奥地さんの本を読んでいたようですが、僕自身が東京シューレと出会ったのは、ラジオで、シューレの子どもたちが書いた『僕らしく君らしく自分色』という本を知って、親に買ってきてもらって読んだんです。そこには自分と同じ気持ちの人がたくさん並んでた。
それで、「この人たちと話してみたい」「自分と同じつらい経験をした人たちが今イキイキとしている場所を見てみたい」と思って、入会希望を出しました。

フリースクール・東京シューレにて

――シューレに入ってどんなことをしました?

渡邉 僕、サッカーが好きだったんでサッカーで友達ができました。それでサッカーばっかりやって。その仲間とお互いの家に泊まり込んで「自由とは何か」「シューレをよりよくするには」などを語り尽くしたり。これは僕にとってすごく大切な時間でした。みんな首都圏のあちこちに住んでて、行動範囲もすごく広がりましたし。
シューレでは何でも子どもとスタッフが参加するミーティングで話し合って決めるんですが、僕は最初ほとんど出てなかったんです。
でも、サッカー合宿をやることになって、自分たちで宿の手配から値引き交渉から全部やりまして。この合宿が僕にはミーティングのようなものだったんですね。これをきっかけに僕もミーティングに参加するようになって、ミーティングの意義が分かってきました。自分がいる場所だし、意見を出さないと変わらないから。
シューレで見つけた一番大事なものが、自由の本当の意味とか使い方について。ミーティングで、相手の意見を聞く大切さも知りましたね。

――サッカー合宿の他にはどんなことを?

渡邉 95年の箱根交流合宿やシューレの周年行事とか、他にもいろいろなイベントの企画に参加しました。それから16歳の時、「学校だけじゃないんだ不登校フェスティバル」という企画の実行委員長もやって。これと前後して、98年、ウクライナでのIDECに行きました。
不登校フェスティバルとIDECとは、自分の中でやる理由が全然違ったんですよ。不登校フェスティバルでは、今の日本社会に、「学校だけでないところで子どもがいきいきとしていることを知ってもらいたい!」と思ってました。一方IDECは「フリースクールって何だ?」という疑問があったので、世界中からフリースクールが集まるなら何か分かるかと思って。
ウクライナで、「シューレはやはりフリースクール、学ぶ場なんだ」という認識を初めて持って。それで、日本で開きたいなと思いました。
ただ、周囲に言ってもあまり反応がなかったんですよ。それで、「じゃあ次回のIDECに連れてっちゃおう」と。でもIDECだけではあまり人が集まらないから、イギリス旅行でIDECにも参加するという企画にしたんです。
イギリスでは、サマーヒルというフリースクールに行ったり、すごく学ぶことが多かったです。それで旅行中に「次回のIDECを日本で」と意見表明しました。海外の人たちからも了承を得て、準備を重ね、昨年9月に実行委員会を立ち上げ、先日終了した、というわけです。

「教育」って......

――今回のIDECのテーマは、渡邉さん自身にとってはどういうものでしたか?

渡邉 ウクライナに行った当初、僕の中で2つの考え方があったんです。「学校だけじゃない、不登校だっていい」という考え方と、「フリースクールという教育の場もある」というのと。ウクライナに行くまで、後者はあまりまとまってなかったんですが、帰ってきてからは「フリースクールも一つの教育の場で、そこで育つのもいい」とより強く思うようになりました。
今回IDECを大きくやることで、フリースクールという教育のあり方を僕自身が語るんじゃなく、海外のフリースクールを運営している方とか、通っている子どもたちにしゃべってもらって良さを知ってもらおう、というのが大きなテーマとしてあったんです。
よく「不登校だっていいじゃないか」と言うと、「教育」そのものを投げ出してしまうように思われるんですけど......。学校を拒否して、休んで、他の教育方法を選べるようになるには、僕が閉じこもっていたように時間が大切なんです。でもその先にフリースクールという教育の場が認められていれば、あいだをとばしてフリースクールを選べる人も増えると思うんです。

――教育を否定するのではなく、教育の選択肢を増やしたい、ということですね。

渡邉 学校が子どもたち一人一人のニーズに応えるのはもう無理だと思うんです。でも、学校というあり方もある、その他にフリースクールとか、フレネ教育とか、ホームスクーリングとか、いろんなのがあってもいいんじゃないかと。
教育が一つだとすごく苦しいけれど、同じライン上にいろいろな教育の選択肢が並んでいればいい。ただ学ぶ場が違うだけなんですよ。

新しいスタートへ

――最後に、これからのことを聞かせて下さい。

渡邉 9月には、シューレを出て、仲間で新しい団体をつくる予定でいます。
僕が閉じこもっていたころのような苦しい思いをしている人がまだいるかもしれない。でも僕が苦労した部分を少しでも変えることで、楽になる人がいるんじゃないかと思うんです。だから、今回のIDECのように、変えて欲しいところをどんどん提示していきたいです。
信用できる、肩の荷が下りるような情報が今の社会には不足しているんですよね。だから、子どもや若者がつながれるネットワークを作って、そこに発信する情報を集約したりつくったりする組織を立ち上げようと思うんです。
具体的には、インターネットのホームページを使って情報発信をしていこうと思ってます。そして、そういう子どもたちがいることを大人に対しても発信していく。大人と子ども双方をカバーしていける団体を創りたいです。

IDECが終わったばかりだというのに、もう次の具体的な目標がある渡邉さん。
「3年半休んだ後、シューレに出てきてからはずっと走りっ放しなんですよね」と笑う彼の目は、とても落ち着いていて、まっすぐだった。
渡邉さんが仲間と考えているのは、今の大人を変えるより、今の子どもたちに情報を出し、自分も含めた若い世代が変わることで、将来的に社会が変わることだと言う。渡邉さんとその仲間たちの創る未来には、教育だけでなく社会全体がより自由で多様になっているだろう。
しかし、渡邉さんたちの可能性にただ期待してはいられない。彼らが創る新しい社会を受け入れる準備が、現代の大人社会になくてはならないのだから。さっそく相棒と打ち合わせに行くという渡邉さんの背中を見ながら、「大人も頑張らなくては!」という思いを強くした。