社会とかかわる仏教

今、私たちに できることは―コミュニティの 再構築を目指して

ぴっぱら2013年11-12月号掲載

「こんなことでお寺に来ちゃって......忙しいのにごめんなさいね」
82歳になるという一人暮らしのAさんは、はにかみながら頭を下げました。お寺には、さまざまな人が訪ねてきます。お墓参りで、という人も多いのですが、困りごとで尋ねてくるAさんのような人も少なくありません。Aさんは、電話会社の代理店からセールスを受け、断ったつもりだったのに申込書が送られてきた。不安なのでと、書類を持って近所の菩提寺を訪ねてきたのです。

「別の会社のダイレクトメールなので、心配ないですよ」と説明され、ホッとした表情で帰っていったAさん。「息子には内緒ね。他人様をわずらわせるなって怒られちゃうから」という一言が印象的です。
先日、日本の世帯の所得格差が過去最高になったという報道がありました。これは、所得が少ない高齢者や単身者の世帯が増加したためで、具体的には、1980年の単身世帯数が711万世帯だったのに対し、2010年には1678万世帯と2.4倍も増加しているのです。

また、総人口に占める一人暮らしの割合も1980年は6.1%だったものが、2010年には13.1%となり、実に6人に1人以上が一人暮らしです。
核家族化が進み、Aさんのように子どもはいても別々に暮らしているというケースも多いのです。そして、家族がいれば頼れるようなことでも、忙しい子どもに遠慮して頼みづらいのかもしれません。

今では若い世代であっても、「ネットカフェ難民」という言葉があるように、家族が不仲で実家を頼れなかったり、経済的な問題で家から出ざるを得なかったりと、自立する力のないまま、孤独と貧困のなかで一人で過ごす人も増えているのです。

家族は本来、社会を構成する最小単位でした。しかし、「誰かが働けないのならほかの誰かが働いて家計を支える」「誰かに身体的不自由が生じれば、ほかの誰かが手助けをして介護する」といった家族間のセーフティネットは、現役世代の大都市への一極集中により、また親族の付き合いを煩わしく感じるといった志向の変化により、多くが今や機能不全に陥っています。

誰もが目指す、豊かで理想的な暮らし。しかし、待ち受けているのが孤立であったり自死であったり、虐待であるならば、あまりにも悲しい現実と言わざるを得ません。誰もが漠然とした不安感を抱えながら「普通の生活」を保とうと必死で生きている今、家族のセーフティネットに代わる、何らかの「安心」が必要ではないでしょうか。
与楽抜苦を目指すのが仏教者であるとすれば、私たち一人ひとりに今、何ができるのでしょうか。身近なところで絆を結び、コミュニティの再構築を行っているお寺の取り組みを紹介します。

◆世代を超えての「憩いの場」

静岡県沼津市の曹洞宗大泉寺。ここでは1950年から保育園を運営してきましたが、2001年からはお年寄りのためのデイサービスセンターを設立、世代を超えた交流の場が生み出されています。そのきっかけは意外にも、園児の保護者からの要望であったといいます。

大泉寺の周囲は農村地区でありながらも、若い家族が親や親族と離れて暮らしているケースが多く、近年では核家族化がかなり進んでいたそうです。そのような環境の中で、新たなコミュニティ作りの必要性を感じていた前住職の小島捷亮さんと捷亮さんの姉で保育園の園長を務める小島公子さんは、話し合いの末、センター設立を決意し、実現にいたりました。

こうして造られた「デイサービスセンター井出」は、保育園と向かい合わせの構造となっており、お年寄りが過ごす部屋からは、庭で遊ぶ子どもたちの姿を間近に見ることができます。
また、園児とお年寄りの交流の機会も設けられており、子どもたちは、普段接することの少ないお年寄りの姿に、最初はとまどうこともあるそうですが、すぐに打ち解け自然に触れ合うようになるといいます。お年寄りも、子どもたちと接することで表情が柔らかくなってくるそうです。

ある研究によれば、幼児と地域の高齢者が交流する機会を持つことについて、幼児の保護者からは、「保護者では教えられないことを学べる」「高齢者を大切にすることにつながる」「優しさが身につく」という声が多く、幼児の保護者の大多数が相互の交流を肯定的にとらえているのだそうです。

昨今ではこうした取り組みが各地の高齢者福祉施設や放課後児童クラブにて行われ、子どもと住民が顔見知りになる機会ともなり、歓迎されているといいます。
お寺が運営する施設といえば、すぐに頭に浮かぶのは幼稚園や保育園ですが、近年では、大泉寺のように高齢者のための福祉施設などを設置するお寺も見られるようになりました。その中には、お寺の境内の建物を改装して使用するものや、使われていない地域の建物を借り上げてNPOとして運営している例もあります。

少子高齢化を迎えた今日、お寺が担う役割も地域の人びとのニーズにあわせて変化してきているのでしょう。
大泉寺ではほかにも、世界平和を祈念する法要とあわせた「大泉寺LIVE」が住職である小島健布さんの発案により開催され、普段なかなかお寺に足を運ぶことの少ない若い世代も多く訪れているそうです。お寺が仲立ちとなって地域のご縁を結び、憩いの場を創り出している、幸せな事例といえるでしょう。

◆笑顔の絶えない居場所づくり

かつては地域の集会所として、学校として、またカルチャーセンターとして機能していたというお寺。今では一部の観光寺院を除いては、気軽に立ち寄ろうという場所ではなくなってしまいました。お寺の側も、もっと多くの人たちに集ってほしいと願いつつも、具体的なニーズを探って行動に移すまでには至らないというのが実情です。

次に紹介する2つのお寺は、それぞれの立地条件を生かしながら、誰かの支えとなり得る活動をしています。
神奈川県横浜市で開催されている「ふれあい広場ひだまり」は、孝道山本仏殿が運営している子育てサロンです。横浜市は商業地として、また、都心に通勤する人のベッドタウンとして人口を抱え、子育て世代の家族も多く暮らしています。

「ひだまり」を支えているのは、お寺に集う婦人会のメンバーです。かねてから日曜学校や子育てサークルを定期的に実施するなど、青少年の育成に力を注いでいた孝道教団でしたが、それらを運営する中で、婦人会から「お母さんたちがゆっくりお話ししたり、相談できたりする場所があればいいですね」という発案が出されたのがきっかけだったといいます。

こうして2008年から、月に2回程度、堂内の広間を開放しての「ひだまり」がスタートしました。ボランティアで現場を切り盛りする婦人会のメンバーは「ベテランママ」世代。畳敷きの広間で小さい子ども連れのお母さんが交流している間、スタッフが子どもの遊びの相手をします。時には、お母さんの相談にのることも。

子ども同士の、おもちゃの取り合いやけんかなどのトラブルがあっても、「子どもたちはその中で学ぶこともあるはず。だからすぐには注意しないんです」と、ベテランママは余裕の表情です。慣れない育児にとかく神経質になりがちな若いお母さんたちを安心させて、自らがお手本となり子育てのコツを示しています。また、婦人会メンバーにとっても「ひだまり」の活動は、心も体も健康でいなくてはという励みになっているそうです。

来てくれる親子のためにできるだけのことをしたい。そんなメンバーの気持ちをお寺は尊重し、講師を迎えて、子どもの発達についての勉強会も催されました。「お寺の理解があるからこそやってこられました」と、あるメンバーは語ります。信仰心によって結ばれたお寺と信徒の絆が、社会貢献をすることによってより強固になっている、理想的なあり方を見ることができました。

◆縁と縁が結ばれるお寺

一方で、ボランティア活動を始めたところ、口コミで多くの人が集まっているというお寺もあります。
東京都台東区にある浄土宗光照院。ここでは、近隣のホームレスの人たちにおにぎりを作って、定期的に配り歩く活動が行われています。この「ひとさじの会」の活動は、若き副住職が僧侶の仲間とともに始めたために、当初は若いお坊さんが活動の中心だったといいます。

しかし、昨今では檀信徒をはじめ、活動を知った会社員や主婦、学生、教員、元ホームレスの人などさまざまな人たちが、月2回の活動日にお寺に集合するようになりました。幼い子どもを連れてくるボランティアもいるため、幼児から70代の高齢者まで、集いの年齢層も幅広いのが特徴です。

「あー、今日は○○ちゃんが来ている!嬉しいなあ」と目を細めて子どもの頭をなでる年配の男性。
「今度、入試の面接があるんですよ......」と大学教員の参加者に相談する高校生の姿もあります。立場や年齢は違っていても、ここではボランティアをする仲間同志、上も下もないという認識が、集まりに心地よさを与えているようです。

昨今では、活動日以外でも僧侶のメンバーが住職を務める別のお寺を会場に、味噌造りの会が催されたり、マラソンに参加したり、山登りの会が企画されたりと、ボランティア活動を仲立ちとしていくつものコミュニティが形成されています。

また、この活動で知り合った会社員のカップルは、先日、光照院の住職を戒師として結婚式をあげ、仏前に永遠の愛を誓いました。メンバーの中からは僧侶を志す人も現れはじめたといいます。
地域に、高齢化したホームレス状態の人が多かったため始められたというこのボランティア活動。さまざまなご縁を結ぶ場として機能していることは、お寺にとっても望外の喜びですと、副住職の吉水岳彦さんは語っています。

◆もう一つの価値観を

「お寺の習字教室とか、お寺の子ども会とか、やっぱりお寺っていうだけで何か安心なんですよね」と、子どもを持つあるお母さんが話してくれました。性犯罪や誘拐、傷害事件など、子どもを狙った犯罪の報道がひきもきらない現在、大切な子どもを託す場所に神経質になってしまうのも当然でしょう。

また、冒頭のAさんのように、相談場所としてお寺を訪れるのは、お寺は経済と切り離された安心で特別な場所であり、困っている人を助けてくれるに違いないという信頼があるからではないでしょうか。
そうした声に、世のすべてのお寺が応えきれているのかと考えると、首をかしげたくなることもしばしばです。高額で一律の「戒名料」なるものを請求するお寺があるというような話は、枚挙にいとまがありません。

釈尊の時代より、お坊さんは経済活動を禁じられ、托鉢による人びとの施しによって生きる存在でした。逆に言えば、人びとが施しをする尊い存在と認められていたからこそ、お坊さんという存在は成り立ってきたのです。

先日も、消費税率の引き上げが大きなニュースとなりました。少子高齢化が進み、国内の経済活動が縮小化されることは避けられそうにありません。そんな中で、もっと稼ぎたい、蓄えをもっと増やしたい、子どもを良い学校に入れなくてはなどと、これまで通りの豊かさを追求する価値観ばかりでは、不幸を感じることばかりが増えていくように思えてなりません。

今、ここにあるもので満足する心。そして、あるものを分かち合い、多くの人とともに笑顔で生きる価値観を、私たちは大切にするべきなのかもしれません。