社会とかかわる仏教

戦争は終わっていない―仏教者国際連帯会議INEB 韓国フォーラムに参加して感じたこと

ぴっぱら2013年9-10月号掲載

京都大学こころの未来研究センター研究員
臨床仏教研究所専門委員
浄土真宗本願寺派布教使 千石 真理

▽東アジアの仏教者によるフォーラム

去る6月27日から29日まで、韓国のソウル市内でINEB(International Network of EngagedBuddhists)の第2回東アジアフォーラムが開催され、韓国、台湾、日本の仏教徒が集った。
各国いずれの参加者も、現代社会において人びとの絆、つながりが希薄となり、コミュニケーションの欠如による孤独死や自殺問題、原子力が地球上の全生命に及ぼす脅威、そして民族、文化、宗教の違いによって世界中で起こっている問題や紛争について共通の危機感を抱いていた。

このフォーラムの目的は、アジア各国の仏教徒で対話を深め、お互いが相手を思いやる心の輪を広げ、平和構築に向けて活動をしていこうという誓いを新たにすることであった。しかし、フォーラムを通して、筆者が強く感じたのは、「戦争は終わっていない」という一言に尽きる。筆者にとってこの旅のハイライトは、韓国人被爆者と元従軍慰安婦に接することができたことだ。フォーラムの二日目、原子力発電稼働の危険を訴える韓国人研究者が、その証人として、第二次世界大戦中、被爆2世となった女性をゲストとして招いていた。

強制労働を強いられるため、日本に連行され、そのため被爆した何万人もの韓国人たちは、日本人のように、決して被害者として認められることなく、何の保証もないまま、今も苦しんでいる。その次世代の30歳になる彼女の息子も、重度の脳性麻痺を患って生きている。その翌日、我々は、7名の元従軍慰安婦たちが終の棲家として暮らしている「ナヌムの家」を訪れた。

▽ハルモ二が語る壮絶な体験

「ナヌムの家」は、社会福祉法人大韓仏教曹渓宗によって運営され、韓国の学校の歴史の授業の一環として、多くの若者が訪れている。韓国人は元慰安婦たちを、おばあちゃんを意味する「ハルモニ」と親しみを込めて呼んでいるが、ハルモニたちから直接聞いた体験は、酷いの一言であった。

11歳から15歳の何万人もの少女たちが、拉致され、日本軍兵士の慰安婦として、中国、フィリピン、パプアニューギニアなどに送られた。気に入らなければ殺され、戦争が終わると戦場に置き去りにされた。
現在80〜90歳代のハルモニたちは、その後、何十年も辛酸を舐め、祖国に戻ったものの身寄りもなく、この施設にたどり着いた。
「金を稼ぎに行ったと嘘をいわれているが、一銭ももらっていない。日本政府に謝罪してもらわねば死ねない。でも、たとえどんなに謝ってもらっても、15歳の少女には戻れない。悔しい!」とハルモニたちは我々訪問者に訴えた。

台湾人や、チッタゴンから韓国に亡命している仏教徒たちは、ハルモニと笑顔で握手やハグをかわすのだが、加害国民の日本人である筆者は、苦しくて、その場から逃げ出したかった。彼女らにどう接して良いかわからず、ただ泣きながら「ごめんなさい」と言うのが精一杯であった。 
日本では、テレビや新聞で彼女たちハルモニの情報を得ても、半信半疑であった。少なくとも、自分とは関係のないことだと思っていた。しかし、目の前で壮絶な体験を語る彼女たちの言葉は、その体験がまぎれもない事実であると伝わってくる。日本人として、どうして無関係だと言えようか。

▽仏の教えに照らして考え、行動すること

戦争について日本は、子どもたちに原爆の被害国という立場でしか伝えてこなかった。本当に事実を知っていれば、かの政治家のような発言は、人間としてあり得ない。けれど、チベット侵略の歴史を若い中国人が知らずに育ったように、日本人が過去にアジア諸国に刻んだ深い傷跡をなかったことにして、日本は戦後の復興を遂げた。

帰還した兵士たちが、決して向き合うことのできなかった罪の意識やトラウマに苛まれ、その感情が次世代に伝播しているのを筆者は知っている。その一方で、韓国や中国の人びとが現在のように日本人と交流できるのは、仏教の教えに恨みを溶かされているところが大きいのではないか。

しかし、多くのアジア人にとって、戦争の苦しみは今も続いているし、真実を知らずして、本当に戦争が終わったとは言えない。憲法改正の動きがあるように、同じ過
ちを繰り返すこととなるだろう。
加害国としての責任と、被爆国としての役割を担い、世界平和に本当に貢献するには、まず正しい判断をするために、事実を知り、向き合うこと。そして、仏の教えに照らして、何をどうすべきか考え、行動することだ。

憎い日本人である筆者に対して、ハルモニは温かかった。人間を動かすのは、本当の強さから生じる優しさだと、身を持って感じた。今回の旅で、それまで近くて遠い国だった韓国は、筆者にとって、懺悔と感謝の対象になった。
この経験を仏教徒として、できるだけ多くの人に伝えていきたい。

すべての生きものは 暴力に怯えている
それゆえに 我が身にひきかえて
殺してはならない
殺さしめてはならない  
             〈法句経〉