社会とかかわる仏教

縁起の理法からみたウイルスと私たちー新型コロナパンデミックをめぐってー

東京大学名誉教授 大井 玄

◆相依相関──Interbeing
 今年亡くなったヴェトナムの禅僧で詩人のティク・ナット・ハンは、一枚の紙を示して以下のように説きました。
 あなたが詩人なら、この紙に太陽を見るでしょう。蒼空に白い雲が浮かび、そして雨が降り緑の森の木々を濡らしているのを見るでしょう。樹木の生長に適した気温、木を切る木こり、彼の持っているお弁当、それを作った彼の妻、彼の両親、その先祖たち、木から紙をつくる工場、そこで働く人たち......そのどれが欠けてもこの紙は存在しません。そして、そこにはこの紙を見ているあなたもいます。
 ここにないものはありません。時間、空間、大地、雨、土中のミネラル、陽光、雲、川、熱......すべてがこの紙には共にある(interbe)、つまり相依相関してあります。この紙は、紙以外のすべての要素から成り立っているからです。
 ブッダは、すべての存在が相依相関している縁起を説かれました。であるならば、永久にそれとしてあり続ける実体はなく、すべては現象しており、無常、無我という性質は当然の帰結と言えます。

◆宇宙の始まりと巨大恒星の最後
 宇宙物理学によれば、宇宙は138億年前に起こったビッグバンにより誕生しました。直後、宇宙は一点の光の粒でありすべてはその中に押し込められていました。
 水素原子ができたのは宇宙誕生から70万年くらい経ってからといいます。1億年ほどして水素はたがいの重力によりくっつき合い、雲のようにかたまりはじめ星の胞子(原始星)を経て核融合が始まり、星が誕生しました。
 核融合により酸素、炭素など、鉄に至るまで二十種ほどの元素が生成します。
 鉄には吸熱性があるため、核融合は鉄まで進むと止まります。しかし太陽より4倍以上大きな恒星では、水素などの核融合の材料が尽きると、その重量により急速に崩壊し大爆発をして宇宙に飛び散ります。それが超新星です。
 その際一挙に起こる核融合で、鉄よりも重い亜鉛、セレンなどの元素が、一瞬にして生じ、宇宙に飛び散ります。
 私たちの身体で行われる糖代謝や造血など種々の生理作用に必要なこれらの必須元素は、巨大恒星の一生と最後を現しています。私たちは巨大恒星と共にある、つまり相依相関した縁起的存在であるのです。

◆地球、生命の始まり、ウイルスの般在性
 46億年前に誕生した地球に生命が誕生したのは約40億年前と言われます。
 生物の遺伝情報は、核酸のつながりにより成り立っています。ウイルスは核酸の比較的に短いつながりであり、真核生物(細胞核を持つ動植物)、原核生物(核の無い細菌)、古生菌のすべてに寄生していました。ウイルスはどこにでもいます。ひとさじの海水を調べると数百万のウイルスがいるのです。
 地球表面の70%を占める海洋は、地球の酸素の約半分を製造しています。それをおこなうプランクトンのような微生物は、海洋の生物量の90%を構成しますが、ウイルスは、一日にその約2割を殺して、蛋白などの栄養素を海水中に戻しています。
 それぞれのウイルス感染は、新しい遺伝情報を、感染された生物で作り出す可能性があるのです。
 通常遺伝子は親から子へ「垂直に」移動しますが、ウイルスは生物の個体間を「水平に」遺伝子を移動させることができます。
 一例として、ヒトの遺伝情報(ゲノム)は2003年にすべて解読されましたが、自分の身体の蛋白質をつくる遺伝子はわずか1.5%にすぎず、約半分はウイルス由来であることがわかりました。進化の途上でヒトの遺伝子にもぐりこみました。生物は感染したウイルスの遺伝子を自らの遺伝子に取り込むことで遺伝情報を多様にし、進化を促進してきたと考えられます。
 新型コロナのパンデミックで、「ウイルスは我々の敵だ」という声も聞こえます。しかし私たちは哺乳動物であり、その発生にはウイルスが必要でした。
 私たちは遺伝子のそれぞれ半分を父と母から受けついでいます。免疫にたずさわる母のリンパ球は、「自己」と「非自己」を峻別し、後者を排除します。胎児は父からの遺伝子をも持っているため、母のリンパ球は「非自己」つまり異物として胎児を排除するはずです。
 実は胎盤には一枚の細胞膜があり、それは栄養分は通すもののリンパ球は通しません。1988年、この細胞膜はスウェーデンの研究者たちによって、ウイルスが造ったものであるのが明らかにされました。

◆ヒトと病原微生物の共進化
 約20万年前にアフリカに現れたヒト(現生人類)は、5万年ほど前にアフリカを出てユーラシア大陸に広がりました。
 エイズ、水痘、はしかなどのウイルスや結核などの病原微生物はアフリカに起源があります。宿主のヒトとともに世界に拡散していきました。
 ウイルスの生存戦略は、できるだけ多くの宿主に入り込むことで、それには感染時の毒性が軽い方が良いのです。毒性が強く顕著な感染の跡を残す場合、ヒトもウイルスとの闘いに全力をつくします。その記念すべき例が天然痘です。天然痘は1980年、北アフリカの患者を最後として根絶されました。
 逆にウイルス感染の症状が軽い場合には、ヒトの反応も穏やかなため、ウイルスは次々に多くの宿主に移っていきます。単純ヘルペスがそうで、口唇に水疱を作ったりしますが、全身症状は軽いのです。乳幼児期の初感染では、症状は軽い場合がほとんどですが、ヘルペスウイルスは三叉神経節に潜伏します。高齢になり体力が低下した際に再活動し、脳の記憶をつかさどる部位に炎症を起こし、アルツハイマー型認知症を起こすという説が有力になりつつあります。
 超高齢者の認知症はアルツハイマー型がほとんどですから、長命になりつつあるヒトと、ウイルスの、追いつ追われつの共進化を示す例といえます。

◆新型コロナウイルス対策
 2022年6月、世界で5億3000万人が感染し、600万人の死者を出している新型コロナのパンデミックに対する対応はどうだったでしょうか。
 公衆衛生学では感染症の流行を分析し影響を予測する際、三つの要因に注目します。①病原体、②宿主(ホスト)、③環境条件です。
 第一の病原体では、コロナウイルスの系統には、ふつうの風邪を起こす類もありますが、劇症急性呼吸器症候群(SARS)のように、致死率が高齢者では数十パーセントに達する恐ろしい感染症もあります。
 第二要因の宿主は、高齢者や免疫機能の衰えた人たちは、死に至る率は大きくなります。
 第三の要因は環境条件です。中国経済の規模の拡大につれて、中国とそれ以外の国々とのつながりが急速に大きくなりました。それが世界各国にパンデミックを起こした最大の原因でしょう。
  
◆関係性においてつながる
 ヒトと感染症のかかわりの歴史を調べると、「無常」、「無我」、「相依相関」というブッダの説かれた存在の関係性がつねに成り立っているのに気づきます。
 「無常」、「無我」、つまり、あり方の変化の速さでは、ウイルスに匹敵するものはないでしょう。ヒトの世代交代には約30年かかりますが、ウイルスの進化の速度はヒトの50~100万倍に達します。
 「相依相関」は、ひとつの現象は、他のすべての現象と関係しあっていることです。
 この視点からは、第一次大戦末期、世界で5000万から8000万人の死者が出たと言われるスペイン風邪(鳥インフルエンザ)の大流行が想起されます。
 スペイン風邪は日本にも上陸し、二度の流行パターンを示し、最初の流行で、死者26万人、二度目の流行では、死者13万人でした。
 インフルエンザウイルスは、本来、北極圏近くのアラスカ、シベリアなどの凍った湖の中に潜んでいます。春、渡り鳥のカモやガンが繁殖のため戻ると、ウイルスは水鳥の体内に入り、腸管で繁殖します。渡り鳥は越冬のため南下する通過点で、糞とともにウイルスをばらまきます。
 たびたび世界的流行の起点になった中国南部では、アヒルやガチョウなどの水鳥をブタと一緒に飼っている農家も多く、インフルエンザウイルスは水鳥からブタに感染し、その呼吸器の上皮細胞内で遺伝子の組み換えを起こしました。ブタのなかで、ヒトに感染する亜型インフルエンザが生じたと考えられています。
 日本から遠くはなれた土地で起こっている現象は、自分や家族が身近に患う現象につながっているのです。

◆病原微生物との遭遇
 私たち現生人類(ヒト)は、地球という閉鎖系で非常な勢いで人口を増やしてきました。それは、ウシ、ブタのみならずコウモリや霊長類のような他種生物を食べ、野生生物の棲息地を侵し、未知のウイルスや病原菌と遭遇する過程でもありました。その好一例が20世紀後半にパンデミックを起こしたエイズ(ヒト免疫不全ウイルス・HIV感染)です。
 西・中央アフリカでは、現在でもサルの肉が食べられています。同地域のサルにはHIVにきわめて類似したウイルスSIVが感染しており、それがHIVに変異し、ヒトの間に流行しはじめたと思われます。
 HIV感染症の米国社会での現れ方は不思議なものでした。同性愛の男性たちが、未熟児、高齢者、つまり免疫力の衰えている人に見られるカポジ肉腫、ニューモシスティス肺炎に集団でなったのです。
 1981年にこれらは後天性免疫不全症候群(AIDS、エイズ)と名づけられましたが、エイズが欧米でパンデミックになった主たる原因は、同性愛の男性たちの放縦な性生活でした。アフリカではHIV感染の症状は慢性の下痢と発熱で、がりがりに痩せるためスリム・ディジーズと呼ばれましたが、感染は売春を含む活発な性生活でした。
 HIV感染は現在発症を防ぐことが可能でしたが、アフリカではいまだに最大の死因です。

◆ヒトとウイルスとの遭遇は増える
 紀元元年の世界人口は3億人でしたが、農業生産の増大、疾病制御、流通手段の進歩などにより、産業革命以後人口は爆発的に増え続けてきした。
 1900年:16億人、1950年:25億人、2020年:78億人で、2050年には97億人と予想されます。ヨーロッパの人口は2020年、アジアは2055年頃にピークに達し、今後の人口増のほとんどがアフリカで起こります。
 人口増による野生生物棲息地の侵害と野生生物との接触増加により、未知のウイルスとの遭遇は今後もしばしば起こることが予想されます。
 しかもヒトの都市居住が増えると同時にスラム人口が増え、非衛生的環境でのウイルス感染も増えることでしょう。

◆縁起の指向する地球的公衆衛生
 これまで見てきた軌跡から、ヒトが他種生物の棲息地に押し入り、それらの生物と共存してきたウイルスとの接触を増やして来たことがわかります。とすれば、賢くその遭遇を減らすようにするのが健全な対応でしょう。
●野生生物の棲息地をこれ以上減らさない
●コウモリやサルなどの野生動物を食用にしない
●パンデミック予防の地球的監視体制とモニタリングの継続
●ウイルスとその野生宿主への敬意を示す:ウイルス感染動向を知り、マスク着用、三密回避等
 縁起の理法は、宇宙の始まりから現在まで、そしてウイルスから私たち人間、巨大恒星のレベルに至るまで成立しているように見えます。
 縁起の理法の示す方向と現象を理解し、ウイルスと付き合っていく道を模索するのが賢明と言えましょう。