社会とかかわる仏教

安全と安心をすべての人にーいま、難民問題を考えるー

 2月24日、ロシアがウクライナに軍事侵攻したというニュースが飛び込んできました。アメリカのバイデン大統領が、ホワイトハウスで記者団に対して、ロシアによるウクライナ侵攻の可能性が高いことが懸念されると発言していましたが、そのわずか1週間後、最悪の事態が本当に起こったのです。
 見渡す限り建物は破壊され、がれきの山が積まれ、焼け焦げた戦車が転がっています。21世紀の今日、世界が注視する中でこのような破壊行為と殺戮が行われるとは、いったい、誰が予測できたでしょうか。
 4月12日現在、世界中の難民の保護や支援に取り組むUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)によると、ウクライナから国境を越えて避難した人の数は450万人以上、ウクライナの国内避難者は700万人以上にのぼります。国内避難者のうち最大280万人が子どもたちです。
 一方で、ウクライナから日本に避難してきた人たちは、4月3日までで404人とされています。これまで、難民の受け入れに消極的だと批判されてきた日本政府は今回、国内に身元を保証する親類や知人がいなくても入国を認めるなど、異例の対応をとっています。
 避難者の受け入れを申し出る自治体も増えていますが、包括的な受け入れ体勢が必要となることから、今後、多方面からの協力を仰ぎながら支援策を協議する必要があります。
 
◆「難民」か「避難民」か
 報道を見てお気づきの人がいるかもしれませんが、政府は、ウクライナから日本に逃れてきた人に対して「難民」ではなく、「避難民」という言葉を使っています。4月半ば現在、首相官邸や外務省の英語サイトでも、「refugee」(難民)ではなく、あえて「evacuees」(避難者)や「people displaced from Ukraine」(ウクライナから避難してきた人たち)の言葉をあてているのです。
 なぜ、政府は難民ではなく「避難民」と呼んでいるのでしょうか?
 第二次世界大戦後、ヨーロッパで多くの亡命者を生み出したことをきっかけに、「国連難民の地位に関する条約」(難民条約)が1951年に制定されました。日本も、1981年に加入しています。
 この中で難民とは、「人種、宗教、国籍、政治的意見などを理由に、自国にいると迫害を受ける恐れがある人たち」と定義されています。これを照らし合わせると、ウクライナからの避難者は軍事侵攻から逃れてきた人たちということになるため、この定義にはあたらない、よって、難民とは言えないというのが、日本政府の見解なのです。
 一方で、現在、世界的に見て難民の定義は広げられつつあります。UNHCR駐日事務所のホームページには、「今日、難民とは政治的な迫害のほか、武力紛争や人権侵害などを逃れるために、国境を越えて他国に庇護を求めた人々を指すようになっています」とあります。
 ウクライナの戦火から逃れた人たちは難民ではない、とする日本の見解の方が、逆に不自然な気がします。
 ウクライナの情勢がきっかけとなり、いま、日本の難民政策に改めて注目が集まっています。一体なぜ、日本は難民認定に積極的ではないのでしょうか。難民申請にまつわる実情を紐解きながら、今後、どのような方針が求められるのかを考えていきます。

◆難民申請の厳しい現状
 NPO法人「難民支援協会」が作成した統計によると、2020年に日本では3936人の難民申請がありましたが、認定されたのは47人、認定率はわずか1.2%という低さでした。これに対して、同じ年にドイツでは6万3456人が認定され、認定率は41・7%、アメリカでは1万8177人で認定率は25・7%となっており、日本の認定者の少なさが際立っています。
 難民に認定されると、日本ではどのようなメリットがあるのでしょうか。出入国在留管理庁(入管)によると、日本に永住する要件が緩和され、原則として、健康保険や年金なども受けられるようになります。また、パスポートに代わる対外的な身分証明書が交付されるなど、国内での権利や暮らしやすさの面で大きな差が出てきます。
 しかし、難民として認められなければ、在留資格は得られませんし、仮放免(条件付きで身柄が解放されること)が許されても、原則的には働くことが認められていないため、生活することは極めて困難です。日本では、何度、難民申請をしても不認定となり、不安定な立場のまま過ごしている人が大勢いるのです。
 難民申請の流れについては、まず、申請すると入管職員による一次審査が行われます。本人からの事情聴取に加えて、出身国の政治や治安情勢が分析され、難民に該当するかどうかが判断されます。
 ここでは難民であるという、明確な証拠の提出を求められますが、迫害を逃れるために国外に逃げた人が証拠をそろえることは、不可能に近いことです。極めてハードルが高いといえるでしょう。
 そして、難民に該当する可能性が高いとされれば、入管の幹部らによる審査を経て、最終的に判断されるのです。
 一次審査で不認定となっても、申請者は審査請求ができて、人道配慮の必要があるとされれば、在留特別許可がおりる場合もあります。在留特別許可を取ることができれば、簡単にビザが切られることはなく、日本で働くこともできます。
 しかし、これは本来、退去強制される外国人に対して、法務大臣の裁量により特別に許可されるものなので、不許可の場合でもその理由は明らかにされず、評価基準があいまいだという批判があります。
 また難民申請の審査も、仮放免申請を許可するか否かについても、明確な基準はなく、入管職員の裁量によって決定されていることが問題ではないかとも指摘されています。

◆入管施設での人権問題
 そしてもう一つ、大きな問題をはらんでいるのは、施設への「収容」です。
 昨年、名古屋入管の収容施設に入れられていたスリランカ人女性、ウィシュマ・サンダマリさんが亡くなったことが大きく報じられました。ウィシュマさんは留学生として来日しており、難民ではありませんが、さまざまな事情で在留資格を失い、収容施設に入れられました。後に体調の悪化が見られたにもかかわらず、適切な治療を受けられず、33歳という若さで亡くなったのです。
 入管では、難民認定をはじめ、外国人の在留管理などが行われており、在留資格が認められなかったり、在留期限を過ぎての滞在、いわゆるオーバーステイとなったりした人たちが、全国にある収容施設に収容されます。
 身柄が拘束されたまま強制退去手続きが進められ、その人が返還に同意して出国すれば、拘束は解かれます。しかし、母国に帰ると身の危険が及ぶために難民申請をしていたり、家族が日本にいたりして帰りたくないと出国を拒んだりすると、収容が長期にわたるのです。
 逃亡の可能性や暴力的な抵抗の有無にかかわらず、拘束し、個人の自由を一律に奪うことが裁判所の令状なしに行えてしまうことに、一部の弁護士や研究者からは疑問の声が上がっています。また、家族と引き離されるなどして行われる長期間の拘禁は、収容された人を精神的に追い詰め、適応障害となったり、自傷行為に走らせたりと、大きな苦痛を与える結果となっています。
 収容者の子どもにとっては、急にパパやママが連れて行かれて帰ってこないということであり、精神的なショックは計り知れません。 
 安心できる生活を求めて日本を目指した結果、まるで犯罪者のような扱いを受ける外国人たち。人権を無視した対応がまかり通っているのであれば、放置するべきではなく、早期に改善を求める必要があります。
 
◆外国人に不安を抱く日本人
 令和の時代となってなお、「鎖国」を続けたいかのような日本。しかし、難民申請をする人は、そもそも何らかの人道上の救済が必要な人たちであり、慎重に対応しながらも、もっと開かれた議論の俎上に上げる必要があります。
 日本が初めて難民問題に直面したのは、ベトナム戦争によって多く発生したインドシナ難民が日本に到着した時でした。1975年、戦争の終結とともに、社会主義化した新体制のもとで迫害を恐れた人びとが、小舟で海を渡り、4000キロ離れた日本にやってきたのです。
 難民受け入れの経験がない日本でしたが、国際社会からの圧力もあり、一定の条件を満たした申請者には定住を認める方針をとりました。こうして、総計1万1319人に日本での定住が認められたのです。
 また、難民が発生した際に、各国が協力して受入数や支援策を決め、定住支援を行う「第三国定住」という仕組みがあります。日本も、人数としては少ないですが、これによってミャンマー難民を2010年度から数年間、試験的に受け入れた経験があります。しかし、いずれの定住支援も、日本人が定住者を十分に受け入れ、同じ社会の仲間として共存できたかという点において課題が残る結果となったと、研究者らは述べています。
 2019年に内閣府が行った世論調査でも、難民や人道上の配慮が必要な人の受け入れについて「積極的に受け入れるべき」(「どちらかといえば」を含む)は24・0%であったのに対し、「慎重に受け入れるべき」(「どちらかといえば」を含む)は56・9%と、慎重な意見が多数を占めました。
 その理由としては、「犯罪者などが混ざっていた場合には、治安が悪化する心配があるから」を挙げた人が最も多いという結果でした。多くの日本人が、受け入れに対して懸念し、逡巡している様がわかります。

◆どんな人にも、あたたかいことばで
 母国から逃れ、日本に来ても、ほとんどの人が難民認定されず、定住しても、よそ者を嫌う日本社会で統合できない──。政府が難民認定に積極的でない背景には、自分と異なる存在に警戒感を抱く、こうした日本社会のあり方が影響しています。
 しかし、コロナ禍の数年を除きここ10年、日本で暮らす外国人は年々増加しています。飲食店やコンビニ、工事現場や工場など、街のいたるところで、縁の下の力持ちとして働く外国人を見かけます。政府は、移民政策をとらないという強い方針を示しています。ところが、急速に進む少子高齢化で、外国人の労働力を求めている部分があり、技能実習生制度に見られるような、国際貢献・技術移転の名を借りた労働力の搾取や人権侵害が行われています。
 こうした本音と建て前のギャップが、移民政策、ひいては難民制度の運用を狭め、結果として大勢の難民申請者を苦しめている状況となっています。
 世界の難民は増えつづけており、ウクライナだけではなく、ミャンマーやアフガニスタンなどからも日本に逃れてきている人たちがいます。大切な日常を奪われながら、いのちからがら逃げてきた人たちが一日も早く安らげる状況となるよう、私たち一人ひとりが世界の情勢に関心を持ち、一方で、他文化で生まれ育った人と共生できる道を模索していく必要があります。
 全青協が子どものために制作した『ほとけさまのおしえ』には、「底抜けに人を信ずる人間となろう」「みんなを信じよう、どんな人にも、あたたかいことばで話しかけよう」という言葉があります。
 いまは、底抜けに人を信じることが難しい世の中なのかもしれません。しかし、だからこそ、仏教を信じる私たちが理想を掲げ、困っている人を助けようとする後ろ姿を子どもたちに見せていくことが大切なのではないでしょうか。