仏教者の活動紹介

子どもたちに第2のふるさとを ―児童養護施設 手まり学園

(ぴっぱら2014年1-2月号掲載)

神奈川県中北部に位置する愛川町は、丹沢山系の山並みを間近に望み、中津川の清流を抱く自然豊かな町である。高速道路から川沿いに車を走らせること一時間。景勝地として有名な宮ヶ瀬湖のほど近くに手まり学園はある。そこは静かな高台。緑の香りが立ち込め、小鳥の声も耳に心地よい。

手まり学園は、社会福祉法人輝雲会が運営している児童養護施設だ。ここでは現在、幼児から高校生までの、40人ほどの子どもたちが生活している。輝雲会の理事長を務めているのは、福井県越前町にある曹洞宗臥牛院の住職、藤木隆宣さんだ。

藤木さんは青年僧の頃より、仏教者として何か人のためになることはできないものかと考えていた。同様の志を抱いていた宏子さんを伴侶に迎え、今から25年ほど前に、訳あって親元で暮らせない子どもを引き取り、里親を始めることにした。

すでに2人の子どもに恵まれていた藤木さんご夫妻は、実子と里子、両方の親となった。しかし里親となることには、一筋縄ではいかない難しさもあった。里子が背負ってきた背景を受け止めること、そして、実子と里子を同時に育てることの困難......。

そうした経験から、協力者を得ながら、もっと多くの子どもに家庭のようなぬくもりを提供できないものかと考えた藤木さんご夫妻は、資金を工面し、寄付を集めて、平成21年、手まり学園を設立した。

◆良寛さんのように

手まり学園という名前は、子どもたちを愛したことで知られる良寛さんが、いつでも子どもと遊んであげられるように、懐に鞠を忍ばせていたという逸話が由来だという。その可愛らしい名前のように、手まり学園の園庭には草花が植えられ、柔らかな曲線の小路が伸びている。ご夫妻の、子どもたちへの思いが結実したようなレイアウトだ。

園舎は、家庭的な雰囲気の中で過ごせるようにと、一舎に6〜8人ほどが住む小舎制を採用している。手まり学園のような小舎制の施設は近年増えつつあるが、全国的にはまだ、一舎につき数十人が暮らす大舎制の施設が主流だ。

国は施設の小規模ケア化および家庭的養護を推進して「当たり前の」生活を目指しているが、現実的には職員の人数も少なく、養育技術の課題もあり難しいようだ。小規模ケア化を目指す背景には、虐待を受けて入所してくる子どもが多いこと、また、何らかの障害を持っている子どもの入所が増えており、よりストレスの少ない環境が望まれていることが理由だ。

「ネグレクト(育児放棄)、心理的虐待、父母の精神疾患や行方不明、貧困など、子どもたちがここに来る理由はさまざまですが、単一の理由であることはほとんどありません」と藤木さん。暴れたり、暴言を吐いたりする子どももいるが、それはその子の辛い経験に起因することなのだという。道徳や常識でその子を判断するのではなく、こころの奥にある理由を考えながら支えることが不可欠だと、藤木さんはその対応の難しさを語る。

そこで必要となってくるのは、そうしたこころの声を聴くことができる職員を育てることだ。同時に、対応の難しい現場で、職員が燃え尽きてしまわないための、職員自身のケアも求められる。

「できることは、職員を孤立させないようチームワークを心掛けることです。ささいなことでも、互いに共有できるような体制を心掛けています」

◆どれだけ手があっても足りない

そうした努力の甲斐あってか、子どもたちは日々、自分のペースで成長を遂げてきている。地域の人からは、その温かい雰囲気に「ここに入れてほしいわ」などと言われることもあるそうだ。

集団生活の中で、子どもたちは疑似家族としての濃密な関係を築いている。「大きい子が小さい子の面倒をよく見てくれますね。外から来た人にとってはハッとするようなこともあるみたいです。薄れてきているとされる家族の絆が、ここで再生産されていると言われるのは嬉しいですね。私たちはそれを目指しているのですから」と、宏子さんは微笑む。

とはいえ、子どもたちがこれまでの人生で、想像を絶する困難を味わってきたのは間違いない。訪問者である私たちに好奇と期待の入り交じった目線を投げかける子どもたち。話しかけても大丈夫かな?この人は自分をかまってくれるかな?という気持ちが表情に表れている。

「どの子も肌と肌との触れ合いにものすごく飢えています。自分が愛されているという感覚も持てていません。そう思うと、いかに目をかけ、手をかけられるかということが大切ですが、現実にはすべての子の期待に添うのは難しい。ボランティアの方も受け入れていますが、それでもなかなか......。この子たちのためには、どれだけ手があっても足りないくらいです」と、藤木さんは語る。

午後になると、学校から帰ってきた子どもたちが園庭に集まりはじめた。子どもたちは、みな明るく無邪気に見える。しかし、「園長先生、みてて!」と宏子さんを呼び、ボールを繰り返し蹴って見せては何度も「みてて!」とせがむ男の子。先生、先生と、まとわりついて離れない小さな男の子。可愛らしく、けなげであるからこそ、彼らの境遇を思うと胸が痛む。

「親に会わせてあげたいと思っても、親のほうが『会いたくない』と言ってくることも多いんですよ。親の育ちは、こちらがすぐにどうにかできるわけじゃない。それが、もどかしいです」

◆まず、目を向けてみること

藤木さんは、学校を卒業した子どもたちの退所後のフォローに力を入れようと考えている。実は、社会的養護を終えた若者のアフターケアについてはあまり制度が整っておらず、個々の施設に委ねられているのが現状だ。

手まり学園では、退所後も何かあればすぐに訪ねてこられるようにすることはもちろん、最近では、子どもたちが将来の生活イメージを描きやすくするために、中学生くらいからキャリアプランを一緒に考えているそうだ。

就職や、家を借りるときに必要な保証人ひとつをとっても、後ろ盾の乏しい社会的養護の出身者は不利を被ることが多い。ましてや、虐待などの辛い経験を受けてきた子どもたちは、それ以前に精神的な面での支えを必要としているのだ。

「仏教系の児童養護施設は、全国でも本当に少ないんですよ」と藤木さん。子どもたちに仏さまの教えと出合わせてあげたい。そんな思いから、藤木さんは月に2回、大きい子から小さい子まで、みんなで一緒におまいりをする機会を設けている。

「全青協の『ほとけさまのおしえ』をみんなで読んで、法話をして、仏教讃歌を歌ったりするんですが、子どもたちはおまいりが大好きなんですよ」と、藤木さんは言う。しーんとするまでは時間がかかるが、みんなで静かにこころを合わせることが、心地よく感じられるのではないかということだ。「先生、こんどおまいりいつ?」などと聞いてくる子もいるそうだ。

そうした現状を知ると、仏教者が子どもたちのためにできることはたくさんあるように思える。児童養護施設は、普通に生活をする上ではなじみが深い場所ではない。しかし、一歩中に入ってみれば、子どもたちがどれほど私たちを必要としているかがわかるのだ。

「安穏とお寺の中だけで過ごしていては、外で起きていることがわからないと思います。まずは、身近な檀信徒さんの言葉に耳を傾けるところから始めたらいかがでしょうか。社会に出てこそ、仏教の教えが生かせるのでは」 

知らなければ、何も始まらない。自分の周囲に関心を抱き、目を向けてみることこそが、仏道実践の第一歩であることを忘れてはならない。

仏の子どもを育むために こころと身体を育むお寺 ―宗蓮寺子ども会