仏教者の活動紹介

つながりの中で子どもを育む ―杉の子こども会―

(ぴっぱら2012年9-10月号掲載)

第36回正力賞受賞者の活動

名古屋市内から車で1時間半あまり。三重県伊賀市は、古都である京都や奈良、伊勢に隣接する古くからの交通の要所であり、宿場町、城下町としても栄えてきた。また江戸時代に活躍した俳聖・松尾芭蕉のふるさととしても知られ、伊賀忍者伝説とともに、今なお多くの歴史ファンを惹きつけている。

町のシンボルともいえる伊賀上野城を仰ぎつつ、市の中心から車を走らせると、まもなくのどかな田園風景が広がってくる。伊賀市の北部にある小杉地区は古くから稲作が盛んで、伊賀米の名産地としても知られている。

「この地区の子は全員が杉の子こども会の会員です。今まで50年間、非行や不登校などの問題をかかえる子はひとりも出なかった。それが自慢ですわ」

杉の子こども会の指導者として、長年にわたり活動してきた(すみ)()誠堂さんはそう言って笑顔を見せた。

●一村一寺の地域にて

誠堂さんは、小杉地区にある浄土宗長泉寺の前住職である。一村一寺の地方のため、地区の住民ほとんどが長泉寺の檀信徒だという。

佛教大学を卒業後すぐ地元に戻り、高齢だった祖父の後を継いで住職となった誠堂さんは、幼稚園にも勤め幼児児童教育が専門であった奥様、幸栄子さんとともに1961年、お寺で日曜学校を始める。

お寺に入ってまもなく、近所の中学生を集めて英語を教えていたという誠堂さん。大学の伝道部に所属していたこともあり、子どもたちへの対応はお手のもの。毎週日曜日の午前中に子どもたちを集め、仏前でのお勤めをして仏教讃歌を唱和。その後はゲームをしたりして半日を一緒に過ごした。

農業に従事する人がほとんどだったこの地区では、高度経済成長期を迎える頃から、近隣に誘致されてきた企業やその工場などに働きに行く人が出始めた。暮らしが豊かになるにつれ、地域ではますます働きに出る人たちが増え、かつては当たり前のように見られた、農作業の合間に隣人同士が交流するような場面も次第に減っていったという。

町のあり方が少しずつ変化する中、なんとか子どもたちを非行から守りたいと、地元小学校区の校長や教育委員会が中心となり、各地域に子ども会を設立しようという運動が起こった。日曜学校をすでに始めていた誠堂さんは指導者となってほしいという要請を快諾、日曜学校は地域の子ども会とあわせた「小杉こども会」、のちに「杉の子こども会」として半世紀以上の歩みを続けることとなる。

●「マンネリこそが、必要だ」

こども会発足当初に通ってきていた子どもは40〜50人。休日の本堂は、いつも子どもの声でにぎわっていたそうだ。初期のこども会会員は、現在では50〜60代。OBに尋ねると、今は老人会に所属しているんだ、と笑う。こども会の思い出としては、みんなで近隣の老人ホームへ慰問していたことを挙げる人も多い。花柳流の名取りである幸栄子さんの指導により、着物を着て踊りを披露したこと、「森の石松」から「シンデレラ」まで、特訓した寸劇を披露し、おじいさん、おばあさんたちに大きな拍手をもらったこと......。こども会では、こうしたボランティア活動を現在でも内容を変えながら行っている。

修正会(元旦の集い)、1年生を迎える会、夏休みの本堂合宿、お寺のクリスマス会など、こども会の催しには、誠堂さんをはじめ指導者以外にも多くの大人の姿がある。

「こども会の活動は大人の行事にからめることも多いので、近所のおっちゃんたちが寄ってたかってサポートしています。また青年会、壮年会、女性の会、老人会など、地区では皆こうした会に途切れることなく参加するので、ここでは孤独死はありえません。田舎の人は皆おせっかいやきですからな」と、誠堂さんは笑う。

行事にはバス旅行など、50年以上途切れることなく開催されているものもある。

「同じことを長い間するのには、ちゃんと意味がある。珍しいことばかりやっていたらだめ。マンネリこそが、必要なんです。私たちはこども会を通じて、転ばせる教育や、失敗させる教育をしようと考えそれを実践してきました。例えば小学1年生には毎年、上級生や多くの父母の前で自己紹介させ、歌を歌わせています。はずかしくて、嫌でたまらないと思っていた子もいたことでしょう。でも、泣いていた子もそのうち必ず泣かなくなる。恥をかくこと、辛さを経験することも時には大切なんです」

親しみやすく、頼れる和尚さんといった印象の誠堂さんは、隣県滋賀の小・中学校で長い間教鞭をとってきた教育者としての横顔ものぞかせた。

また、2人の息子さんを子ども会に通わせているお父さんは「小杉地区の子はきちんとあいさつができるし、小さな子の面倒もよく見てくれると学校の先生からほめられます。良いことと悪いことの分別や道徳的なことも、お寺が教えてくれるのでありがたいです」と語る。そんなお父さんも、もちろん子ども会のOBだ。息子さんたちも、お寺には喜んで行くとのこと。「2人でそれぞれ新聞の上に乗って、じゃんけんをして負けた方を小さくしていくっていうゲームが面白いよ!」と、本人たちも小麦色の顔をほころばせながら答えてくれた。

● 多くの人とのご縁によって

誠堂さんは、10年ほど前から現住職の好隆さんに子ども会代表をバトンタッチさせた。好隆さんと奥様の昭子さんは、ともに小学校教員。夫婦2代、4人での指導体制により、子ども会の運営はより磐石になったという。好隆さん自身が得意だということで始めた「スキー教室」や、「星空観察会」など、こども会に新しい催しも取り入れている。

「私が生まれる前からあるこども会ですから、地区の皆様のお力を借りながら今後もがんばっていきたい」と語る好隆さん。こども会の行事の中には、地区の方々が中心となって進めているものもある。数年前には、子どもたちに地元の歴史を伝えたいと、檀家総代自らが発案しての催し「小杉の歴史を探検しよう」も、夏合宿の中で実行された。

都会は人間関係が楽だ、田舎はなにかと煩わしいとはよく言われることだ。しかし、街づくりにしても、家族のあり方にしても、つながりを避けることをよしとして進んできた今の社会は果たして健全といえるだろうか。

「確かに、人付き合いはたいへんです。しかし、人と人との関わりにはお互いを温め合うような代え難いぬくもりがある。地域の人など、まわりの人がみんなを育ててくれているということを、子どもたちに伝えたいのです」と好隆さんは語る。

昨年、長泉寺が催した授戒会()(仏教徒としてのお誓いをたてる会)では、20〜40代の人が60人近くも参加したそうだ。若い世代が減少している地域で、こんなにも大勢の若者が参加してくれるとは、お寺としても驚きだったそうだが、子ども会で小さいときからお念仏の信仰にふれ、仏教的なものに何らかの安らぎを感じてきたからではないかと好隆さんは考えている。

「日本では、教育から宗教性を排除しようという指向がとても強い。しかし、仏法そのものでなくても、人が人としてどうあるべきかをきちんと教えていくことは必要ではないでしょうか。大切な子どもたちのため、まずはお寺がそうしたことを伝えるべく努めるべきでは」と語る言葉には熱い思いが感じられた。

せわしない日常に追われる現代人は、日々の生活に汲々とするばかりで、仏教の伝統ある国に生まれたにもかかわらず、大切な智慧()を見失ってきているような気がしてならない。

人間、苦しいときや辛いときもあるが、阿弥陀さまにおすがりして生きていく豊かさを子どもたちに伝えていけたら、という2代の住職の願いは、多くの人とご縁を結びながら、今後もこの地を明るく照らしていくに違いない。

仏教者として為すべきことを ―一般社団法人 水月会― 今ある縁を支え、新たな縁を結ぶ ―社会慈業委員会 ひとさじの会―