仏教者の活動紹介

安心できる第二の我が家を ―了源寺「ぞうさんのおうち」―

(ぴっぱら2007年3月号掲載)

懐かしき下町から

地下鉄大江戸線新御徒町駅から地上に出ると、ほのかにお線香の香りが漂ってくる。昔ながらのお団子屋や銭湯、近くには、三味線堀といわれ古くから親しまれていた佐竹商店街が立ち並び、はじめて訪れる場所なのにどこか懐かしい情景が広がっていた。江戸時代には下町の核となり、この辺りには寺院が多く軒を連ねている。
近年まで主要幹線であるJR駅や在来地下鉄駅から離れており、その利便の悪さが地域発展の妨げとなっていたが、2000年の大江戸線の開業にともない、現在、街は活気を取り戻しつつある。さらに5年後、つくばエクスプレスが開通。周辺住民の行動範囲はより広がることとなった。この交通機関の充実は、難病を抱える子どもたちとその家族、そして彼らを支えるファミリーハウスの活動にも広がりをもたらしたのである。

ファミリーハウスとは

了源寺は、そんな古き下町情緒あふれる新御徒町駅から歩いて5分ほどの場所にある。境内に入ると、正面に構える本堂そして手入れの行き届いた庭のあざやかな緑が目に飛び込んでくる。ふと庭の木々に目をやれば、今度は、庭に隣接する4階建てのビルの壁の白が印象的だ。一見するとどこかの企業の持ちビルのようだが、ここは大切な「もうひとつの我が家」。そう、ここはファミリーハウスと呼ばれる、難病と闘う子どもとその家族のための施設なのだ。
小児がんや慢性心疾患等の難病にかかった子どもたちは、一刻も早く専門病院の先端治療を受ける必要がある。だが、それら高度専門病院の多くは、東京都内に集中しており、地方や海外に住む子どもたちは遠路はるばる大都市の病院にかからなくてはならない。また、これらの専門病院は、そのほとんどが完全看護体制をとっており、面会時間が終われば、親は子どもを病院に残し、病気の我が子のことを気にかけながらも、ひとりホテル等で過ごさなくてはならないのである。さらにはこれに、二重生活による経済的負担が加わり、闘病生活にともなう負担はますます大きくなっていく。
子どもと介護する家族の精神的・経済的負担を少しでも軽減するため、1991年、有志ボランティアによる宿泊施設の提供がはじめて実現した。その後、改称された「特定非営利活動法人ファミリーハウス」は、東京に7施設52部屋を提供している(2006年3月現在)。

つながりあう縁と縁

今から3年ほど前、了源寺所有地内にある4階建てのビルを持ち主が手放すことになった。長く福祉関係の仕事に関わっていた了源寺住職森下慎一さんは、「これもご縁。なにか社会的に役立てられたら」との思いからビルを購入。森下さんの先輩にあたり、一足先にファミリーハウス「おさかなの家」の運営に関わっていた魚藍寺住職山田智之さんに相談し、ビルの3階、4階部分をファミリーハウスとして提供することにしたという。部屋を提供するにあたっては、外装や水周り、果ては「気分的に明るくなるでしょう」と風呂の黒い壁を白く塗り直すに至るまで、利用される家族の気持ちを汲んだリフォームが施された。
こうして開所したファミリーハウスは、了源寺のある台東区には上野動物園があることと釈迦の母親がぞうの夢を見て懐妊したという伝説から「ぞうさんのおうち」と名づけられた。ここは、NPO法人ファミリーハウスが受付窓口、森下さん夫妻がハウスマネージャーとして利用家族の受け入れ、施設の清掃、管理という協力体制で運営されてきた。そして、一箇所に何部屋も設けられている他のファミリーハウスとは違い、1部屋1家族のみ。そこには、大人数でも個室、さながらワンルームマンションのような広々とした家に宿泊できるよさがあるという。
室内に足を踏み入れると、森下さんの友人がぞうさんのおうちのために書いてくれたというかわいいイラストが迎えてくれる。8畳に4畳半、ダイニングに洗い場のあるお風呂と、1家族が生活するには十分すぎるほどの広さ。レトルト食品や洗濯機、家具やキッチン設備にいたるまで、必要な備品のほとんどは企業の物品助成によるものだ。近年、企業の社会的責任(CSR)が注目されはじめている。大手企業を筆頭に、積極的に社会貢献活動を行うようになったため、定期的にファミリーハウスより寄付物品が届けられているそうだ。
こうした企業の協力を得ながら、「まずは利用者の支援をしっかりとしていきたい」という森下さん。なにかを一念発起して始めた訳ではない。自然の流れに身を任せ、ご縁の重なりでファミリーハウスに出会っただけだという。そうはいうものの、綺麗に整えられた室内を見れば、「利用されるご家族に気持ちよく使ってもらいたい」という森下さん夫妻のこころ配りがそこかしこにあらわれているようだ。
「ここに宿泊されるお子さんの病名は、原則、聞かないんです。プライバシーは守りたいですから」宿泊手続きの際に必要な最低限の情報以外、余計なことは聞かないのが原則。それでも「慣れない都会暮らしで、内にこもりがちな長期利用者には、リネンの交換や電球の調子をうかがうといった用事を作っては顔を見に行ったり、声をかけたりしています」決して深入りはしないけれど、難病と闘う子どもに付き添い、沈みがちになる家族の気持ちを汲んだ付き合い方は、森下さんのいう「しっかりとした支援」の一環として常に利用者を温かく見守ってくれる。そうした森下さんの視線は、利用者にも伝わっているようだ。
利用者とハウスオーナー、感謝の思いは決して一方通行ではない。ある時、臓器移植の必要がある子どもとその家族がぞうさんのおうちを訪れた。ドナーが見つかるまでの長い時間を過ごし、手術後の入退院の繰り返し。「地獄を見ながらも、前向きによりよく生きようとするその志に勇気をもらいました。多くの苦労を重ねながらも、世を拗ねずに生きるその姿勢に背筋が伸びる思いがしましたね」
難病に立ち向かい生きる姿勢は、私たち周囲の人間に勇気と感動、そして生きることへの活力を蘇らせてくれるのだ。

お寺だからこそ

ファミリーハウスを開設するにあたって、特に重要となってくるのが、交通事情である。なにか緊急の事態が起こった際、すぐに病院まで駆けつけられる距離でなくてはならない。さらに「ファミリーハウスの運営は、部屋だけでは成り立ちません。さまざまな条件がかみ合わなければなりませんし、部屋の管理や利用者の受け入れといった責任管理能力も問われます」と森下さん。
国の小児医療費の予算縮小にともない、都心の各病院でも医療費確保と経費削減に奔走しているという。病院内でのベッドの回転数を上げるために、長期入院の病児も短期で退院させてしまうのだ。そのため、長期的な通院が見込まれ、ファミリーハウスの負担と重要度はますます大きくなっている。
森下さんはいう。「ファミリーハウスをやっていくにあたって、お寺だからと仏教を前面に押し出すことはありません。ですが、お寺だからこそ、安心して使ってもらえる、信頼されることはあると思います」
"お寺だからできることがある"――それは、時として難病と闘う子どもたちとその家族のこころ安らぐ第二の我が家となること。大切なのは、子どもたちとともに歩み、責任を持って支援していく姿勢。お寺を中心とした支援ネットワークはまだまだ広がる余地が残されているようだ 。

(ぴっぱら2007年3月号掲載)
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