社会とかかわる仏教

つながりの再生をめざして ―仏教者による社会活動とは―

暑かった夏が終わろうとしています。今年もお盆の時期には、多くの会社や商店がお休みとなり、 駅や空港はふるさとへ帰る人たちであふれました。 毎年家族とともに、ふるさとのお墓をお参りする という人も多いのではないでしょうか。

30代から70代以上を対象とした、日頃の宗教的活動についてのある調査によると、「年に一回以上は墓参りをする」という人は7割近くにのぼります。

一方で、「あなたは何か信仰や信心を持っていますか」と問われると、「もっている、信じている」と答えた人はたった3割ほどしかいないのです(統計数理研究所「日本人の国民性調査」平成25年調査 による)。たいへん残念ながら、 お寺に足を踏み入れるとしたらそれは、法事やお墓参りなどのために必要性を感じて行く、といった認識の人が多いということなのでしょう

お寺はかつて、祈りの場であると同時に教育の場であり、医療・福祉の場であり、人びとが集う交流と文化創設の場でした。今ではそうした印象はすっかり薄れてしまいましたが、ご縁を活かしながら社会活動を行っているお寺や仏教者は、実は一定数存在しています。

そうしたお寺や仏教者は残念ながら広い仏教界の中でも少数派です。一体、どのような経緯で活動が行われているのか、ご紹介したいと思います。

お寺で行われてきた社会活動と言えば、まずは寺子屋に代表されるような、教育にまつわる活動が挙げられます。お寺は読み書きなどを教えるほかにも、 仏教に基づく倫理観を伝えることで人格の礎を築く大切な役割を担ってきました。

しかし、高度経済成長期以降は、次第に習い事や塾などに通う子どもが増え、それを理由に、多くのお寺で日曜学校・子ども会が休止されています。

そのような中、奈良県香芝市にある浄土宗寳樹寺では、伝統的な日曜学校のスタイルを踏襲しながらも、現代のニーズに合わせた柔軟な活動を行っています。

かつては、先々代住職が約70年前に始めた「五位堂安養日曜学校」として、月に2回ほどの子ども会活動を行っていたという寳樹寺。現住職の中村勝胤さんに指導者がバトンタッチされてからは、月に1度の土曜学校のほかに、本堂で毎週水曜日に「子ども文庫」を開催し、近隣の子どもたちを集めています。

子ども文庫とはその名の通り、子どもたちがお寺の蔵書を自由に読むことができて貸し出しも受けられるといった活動です。元々は知人が個人的に行っていたものを、35年ほど前に住職が譲り受けたのがきっかけでスタートしました。

開始当初は、たくさんの本に目を輝かせて集まってくる子どもたちが多かったといいますが、最近では、子どもたちはあまり本に興味を示さなくなってしまったそうです。代わりに、宿題をしたり、ゲーム機を持ち込んで対戦ゲームをしたり......。住職とカードゲームに興じる子どももいます。読書だけでなく、子どもたちが自由に過ごす時間となっていったのです。

ゲーム機を持ち込む子が増えた当初は「ゲーム機は持ち込み禁止!」としたという中村さん。しかし、酷寒酷暑の中を縁側で遊んでいるのを見て、「もうええわ! 入れ!」と言ってしまったと中村さんは苦笑します。「ただ遊ばせているようで、これでいいのかな?」と思ったこともあったそうですが、次第に、こんな「居場所」があってもよいのではと、考え方が変わっていったそうです。

学校に習い事に、塾にと忙しい現代の子どもたち。さまざまな事情の家庭もあります。お寺がどこよりも安心な場となっているかもしれません。

ある低学年の男の子は、住職の膝に時折ちょこんと座ったりもしています。子どもの居場所と言えば児童館でも良さそうですが、ほのかなお香の薫りが漂う、お寺という「場の力」に加えて、朗らかな〝癒やし系〟のご住職の人柄が何といっても子どもたちの安心感につながっているように感じられました。

寳樹寺は、大阪市内への通勤の便がよい場所に立地しており、近くにはニュータウンもあるなど、比較的人口の多い場所です。

寳樹寺のような都市部のお寺の活動で他に最近増えているものとしては、親子支援があります。核家族の多い都市部では、日中、乳幼児と母親だけで過ごす家庭も多く、閉塞感からストレスを抱えやすいものです。小さな子どもへの虐待が社会問題となっている中、ほんのひととき立ち寄ることができて、ほっと一息つける場を提供することは、たいへん需要の大きな活動であると言えます。

孤立がより深刻な事態につながらないための、予防的な活動といえるでしょう。

 ◆小さな「つながり」の再生を

 一方で、人口の少ない地方や過疎化が進んだ地域では、また違ったニーズが存在します。たとえば、白神山地の秋田県側の玄関口となっている秋田県藤里町は、過疎化が進む県内でも有数の「過疎の町」であり、加えて、毎年自死者が多く出てしまうことが問題となっていました。

町の誰もが亡くなった人の家族や知人、友人であり、自死の話題自体が町では長らくタブーとなっていたと、藤里町にある曹洞宗月宗寺の住職、袴田俊英さんは語ります。

そんな町の状況を変え、一人でも多くの自死者を減らしたいと、袴田さんが地域の有志とともに始めたのが、誰もがふらりと立ち寄ることのできるコミュニティカフェでした。

 「よってたもれ」と名付けられたこのコーヒーサロンは、毎週火曜日の午後、町の施設を借りて運営されています。よってたもれとは、「どうぞお立ち寄り下さい」という意味で、ルールはたった一つ。とにかく話を聞いて、会話をすることだといいます。高齢の方を中心に、年間300人ほどが利用しており、スタッフは、袴田さんを含め、有志によるボランティアです。

「よってたもれ」の効果は、目に見えて現れました。取り組みを始めた翌年には、町の自死者はゼロとなったのです。しかし、数年後には男性ばかり数人の自死者が出てしまいます。男性の中には、とりとめないおしゃべりを楽しんだり、集いに参加したりすること自体を苦手とする人が少なくないのかもしれません。

そこで袴田さんたちは、夜の時間にお酒を持ち寄って行う「赤ちょうちん『よってたもれ』」を実施します。寡黙で控えめなこの地域の男性たちも、大好きなお酒が入れば警戒心も解けて、その舌がなめらかになったと、袴田さんは語ります。

人が自死にいたる原因はさまざまですが、最も大きな要素は「孤立」だと、袴田さんは言います。孤立を解消するには、会話を生み出すことや、小さなつながりを再生することが大切で、そうした関わりが生きるための原動力となると袴田さんは続けます。「赤ちょうちん」を実施した翌年には、町の自死者は再びゼロとなったそうです。

これらの活動は、袴田さんら自死問題を考える有志で結成された任意団体「心といのちを考える会」が担っています。会長を務めるのは袴田さんですが、これは宗教者である袴田さんが立ち上げたと言うよりも、同じ問題意識を持つ地域住民同士の連携の中で生み出されたとものだと、袴田さんは強調します。「僧侶だから」という立場にこだわることなく、一住民として周囲の人と手を携え るスタンスが、地域の人たちの信頼を得ているのかもしれません。

 ◆集いの場で地域に活力を!

 袴田さんの活動とは内容も成り立ちも異なりますが、やはり人口減少が進みつつある地域で、人びとの「つながり」を再生している活動をご紹介しましょう。福島市の中心からおよそ20キロ。福島県飯野町にある天台宗五大院での活動です。

飯野町は、福島市内への交通の便がよいことから、かつてはベッドタウンとして多くの人口を抱えていました。しかし昨今では、東京方面への交通の便がよくなったことで、若い人が首都圏に流出してしまうようになりました。地域には高齢者の姿ばかりが目立つようになったといいます。

五大院は、そんな町の中心にあり、周囲には「飯野町商店街」が広がっています。五大院を「場」として、賑わいが減ってきた町と商店街をなんとか活気づけたいと、アイディアを携えて町の商工会の有志が、五大院の兼務住職で、天台宗観音寺住職の鈴木行賢さんを訪ねました。

五大院は歴史ある古刹ですが、これまでは鈴木さんや信者が時折訪れるのみだったといいます。 鈴木さんは「不動明王様が本尊なので、縁日として毎月28日に行ったらどうですか」と提案しながら、この相談を一も二もなく快諾しました。

せっかくお寺で縁日ができるのだから、単なるイベントにはしたくない──。有志はそのような想いで五大院や地域の勉強会を開くなど、準備を行いました。こうして平成13年、五大院での縁日がスタートしたのです。

縁日では、日に3回のご祈祷が鈴木さんによって行われ、その合間に、精進のだんご汁や抹茶などが振る舞われます。加えて、写真展や陶芸展、山野草展、民話の会など、毎回テーマを決めた催しで訪れた人びとを楽しませています。

催事は、地域の人が講師や出展者となることが多いそうです。これは、地域の中でさまざまな人やその活動にスポットを当てることで、ご本人の生きがいともなり、さらに住民同士の会話が弾むことを狙っているものです。

「縁日の主役はあくまでも町の方たち。私にできることは、ご祈祷をすることだけです」と、鈴木さんは語ります。一方で、「これほど時間をかけてしっかりとご祈祷をして下さるところは他にない。こういうご住職でよかった」と、役員の女性は語ります。お札などを頒布した収入は、すべて縁日の運営費に充てられ、お寺が受け取るのはお賽銭のみということです。

社会活動を行うお寺は、住職がすべての方針を決めていくところも多いのですが、このように地域の人びとが主体となり、住職が協力し「場」を提供する形で役割分担していく例もあります。互いに敬意を持ちながら手を携えることが、地域のための大きなパワーとなり得ることを、五大院での活動は教えてくれます。

 ◆求められる"草の根的活動"

 こうしたお寺や仏教者の活動を知っていただくとわかる通り、その形態は千差万別です。子どもの多い地域であれば、子どもにまつわる活動のニーズが見えてくるかもしれませんし、高齢者が多い土地柄であれば、また違う可能性があります。

また、寳樹寺や五大院のように、お寺そのものを場として取り組む方法もあれば、袴田さんのように、仏教者がお寺の外へ出て活動する形態もあります。

現在、全青協では生老病死にまつわる苦しみを抱えている方がたに寄り添う臨床仏教師の養成を行っていますが、病院や老人福祉施設など、外に赴いて傾聴やケアの活動を行う仏教者のニーズは、世の高齢化が進む中で今後ますます増えていくようにも感じられます。

お寺や仏教者の社会活動は、個々の活動としてとらえてみれば地域に根ざした小規模な活動と言えるのかもしれません。しかし、こうした草の根的な活動は、子どもの虐待やいじめ、ひきこもり、孤立、自死といった問題を未然に防ぐための、いわば予防措置ともなる重要な活動なのです。7万5000カ寺あると言われるすべてのお寺がこうした活動を行えば、この上なく大きな効果が望めることは間違いありません。

活動の可能性は身近なところにあるというのは、 ご紹介したお寺や仏教者が私たちに教えてくれます。仏教者は、まずは社会に目を向け、一歩動き出してみる勇気を出すことが必要なようです。