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−第3回のご報告−

タイ・ミャンマー “いのち”を観じる旅 
<いのちの現場をめぐるスタディ・ツアー>

当日のご報告はこちら

シュエダゴン・パゴダ (C)sister.M 日常で“いのち”を感じるのはどんな時ですか?
 タイ・ミャンマーには、戦争や貧困を乗り越え、絶えることなく受け継がれている“いのち”があります。そんな“いのち”を一緒に観じてみませんか?!


●タイのエイズホスピスでボランティア
●世界3大仏跡・パガンの見学
●メッティーラでNGO活動の見学
●ヤンゴンで瞑想体験!  etc...


★ごあいさつ
 「タイ」「ミャンマー」がどんな国か知っていますか? 私をはじめ、なんとなくは思い浮かぶけど……、という人が多いのではないでしょうか。どんな国であっても、さまざまな問題を抱えており、その問題は私たちにとっても関わりのあることです。すべてのものが持っている「いのち」をとおして、体験し、感じる。そこから自分を広げていくことができるはずです。
 私たちに何ができるのか。何が求められているのか。それを見つけ出せたらと思い、この旅を企画いたしました。
 みなさまのご参加を心待ちにしております。
           この旅の企画運営担当:ボランタス舎代表 渡部 美晴

★旅行詳細
 【日 程】2002年2月14日(木)〜21日(木) 7泊8日
 【企 画・運 営】ボランタス舎(旧・学生ボランタス)/全青協
 【主 催】(株)大陸旅遊
 【後 援】読売新聞社
 【費 用】178,000円
 【お問い合わせ】大陸旅遊(Tel 03-3376-2511)・全青協まで

★訪問する主な施設
−in メッティーラ−
 アジア仏教徒協会(ABA)/
 アジア医師連絡協議会(AMDA)/
 国際協力の会(MIS) の3団体によるプロジェクト。 
−in ヤンゴン−
 AAR Japan(難民を助ける会)
−in バンコク−
 SVA(シャンティ国際ボランティア会)
−in ロッブリー−
 エイズホスピス(プロバートナンプ寺院)

★参拝する仏跡など
●パガン(イラワジ川流域にある、世界3大仏跡のひとつ。大寺院から廃墟と化したものまで、遺跡数は3000に達する)
●シュエダゴン・パゴダ(インドで仏陀と出会って聖髪をもらいうけた商人がそれを奉納したというパゴダ。)
●ワット・ポー(涅槃寺。金箔に覆われた巨大な涅槃像で有名)
●ワット・アルン(三島由紀夫の小説「暁の寺」の舞台となった寺院)
●アユタヤ(かつては水の都とも呼ばれた都の遺跡。日本人町の跡もある)

ホスピス内にある火葬炉 (C)Ayus★エイズホスピスについて
 タイ中部、ロッブリーという街のプラバートナンプ寺院の中にある、エイズ患者が最後の時を過ごすホスピス。
 タイ人の住職アロンコット・チカパーニョ師が、エイズ患者のためのホスピスとしてタイ国内で最初に開設した。およそ130人のHIV感染者や発症者が、自分にできることをしながら、助け合って暮らしている。
 感染者だった親を亡くした孤児もともに暮らしている。敷地内には、重症患者病棟・一般患者用コテージだけでなく、毎日のように亡くなる患者のための火葬場や葬儀場もある。


★タイ・ミャンマー スタディーツアー報告記 
                    
ボランタス舎代表 渡部美晴

現地の学校でこどもたちと 2月14日から21日の7日間、ミャンマーとタイを旅した。現地NGO施設の訪問、交流会、遺跡などの観光。心から「行ってよかった」と思える旅となった。
 日本を出発してから約11時間。飛行機を降りると、空には月が浮かんでいた。細い細い三日月。弧の中心が真下にあった。周りは真っ暗。月の細さと、その美しさに感動した。私の中で、本当にこのツアーが始まった。
 ヤンゴンからニャンウーへ飛び、バスでメッティーラへ向かった。メッティーラ地方は雨が少ない。そのため、ダムを作り、稲作を行っているという。ひまわりの背丈も低い。道の左と右で景色がまったく違うのが印象的であった。

              ◆◆◆

 AMDA(アジア医師連絡協議会)は医療プロジェクトを通してアジア各国の医師、住民らとの人的ネットワークを深める活動をしている。メッティーラでの巡回医療を見せていただいた地区では、週一回金曜日にしか医者と看護婦がこない。いつもは助産婦だけである。ミャンマーは乳幼児死亡率が他のアジアの国よりとても高い。その対策としての助産婦なのであろう。

 ここでは診療費は取らず、薬代の30%の代金のみもらっている。このお金も、誰かが大きな病院にかからなければならなくなったときのために貯めておくのだそうだ。乾季には皮膚病、雨季には赤痢などの伝染病が流行するという。

 1日に約100人の患者がやってくる。あるおばあさんが、牛車で送られてきていた。「ここは貧しいけど、老人を敬うということがきちんとできているんだろうね」と参加者の1人が言っていた。

メッティーラの子どもたち 学校帰りらしい子どももたくさんやってきていた。どこでも子どもたちは元気いっぱい。外国人は珍しいらしい。近寄ってきては、声をあげて逃げていく。大人たちもにこにこと迎えてくれた。いきなり来た、わけのわからない外国人の集団なのに。とてもありがたいと思った。

 AMDAの小児病院は治療するだけではなく、保健衛生の指導も行っている。お母さんへ栄養指導や衛生管理についての指導を行い、また入り口にはエイズのことや、病気にかかったときの手当ての仕方などを書いてあるらしいパンフレットを貼っていた。ミャンマーは識字率が高いので、みんな熱心に読んでいくそうだ。字が読めない人は、隣の人に読んでもらうという。助け合いが当たり前になっているのだな、と思った。

 ここでボランティアで働いている日本人の看護婦さんは、「ここにはあまり機械がないために、ドクターが全身の感覚をつかって診察しています」と言っていた。たいした治療はできない。「エコーがあればいいんですけどね」とも言っていた。「エコーだったら安いものですよ。200万ぐらいで買えるんじゃないですか。」これは医者である参加者の言葉である。

 ……200万円が安いと言えてしまう日本。ここには買えない現状があるのだろう。買わなくてもいい風潮もあるのだろう。日本ではより高度な治療、なんとしてでも助けなければ、という風潮がある。では、ここではどうなのだろう?

 ここでの治療は、ミャンマーの宗教観に助けられている部分もある、ということを聞いたのだが、私はよくわからなかった。早く死ぬのは、前世の行いが悪かったから? だれでも必ず死ぬのだからしょうがない? また来世があるから? 仏の世界へ行くのだからいいの? ……みんな必ず死ぬ。早いか遅いかは別として。でも、幼い子どもが死ぬのはやはり切ないものだと思う。どうとも形にならない、気持ちが残った。

              ◆◆◆

パガン バガンの、シュエサンドゥーパゴダで、その上に昇り、夕日を見た。ずーっと地面が続いていて、パゴダが林立している。長い年月で崩れてしまったパゴダもある。木がある。その向こうに夕日が沈んでいく。

 日は昇り、また沈む。地球だって動いている。形が変わらないものはない。今、見ているものは、ほんの一部である。見えないものを、どこまで私は見ることができるのだろう。

              ◆◆◆

 AAR(難民を助ける会)は世界各国にちらばる難民の救済を行っている。今回はヤンゴンにある職業訓練校を訪問した。ここには事故や病気、地雷によって障害者となった人が、理容の技術や裁縫を学んでいる。自分でお金を稼いで生活できるようになるのが目標だそうだ。短い時間であったが、話をさせていただいた。ある人は、「足を失う前は軍人になりたかった」と言っていた。「今は理容師として自分の店を持って、お金を稼ぐのが目標なの?」と私が尋ねると、「ここで先生として自分が学んだことを教えたい」という答えだった。

 もし足を失っていなければ、彼は軍人になれたかもしれない。私からすれば、軍人より先生になった方がいいと思うのだが、本人としてはどうなのだろう。

 みんな仕事がとても楽しそうであった。すばらしいことだと思う。でも、ある参加者が「仕事しか楽しいことがないのかもしれないね」と言った。複雑な気持ちになった。

              ◆◆◆

 ヤンゴンからタイへと向かった。バンコクはビルが立ち並び、大きな看板が明るい光を放っていた。ミャンマーとのあまりの違いに、拍子抜けした気分になった。

 ツアー6日目、SVA(シャンティ国際ボランティア会)とドゥアン・プラティープ財団の事務所を訪問した。SVAはそれぞれの国の文化を大切にした教育、文化支援を通じてアジアと日本の架け橋になることを理念に活動しており、プラティープ財団はスラムへの支援を行っている。

 SVAの事務所で説明を聞いた後、スラムの中を歩いた。タイの近代化した部分と、スラムとの差を見せ付けられたせいかもしれないが、大きなショックを受けた。蝿が飛び回り、ごみが投げ捨てられているその傍らで、人々が狭い家を建て生活している。日本にこのようなところがあっても、私は近づかないだろう。それに気づいたこともショックだった。見ないようにしていたものを突きつけられたような気がした。

 保育園にも寄らせていただいて、子どもたちと一緒に遊んだ。子どもたちはとても人懐っこかった。保育園は貧しいスラムの子どもたちの栄養面と衛生面を見る、という役割だけでなく、子どもの親が安心して仕事ができるようにという大きな役割があるそうだ。

 SVAで、
 ・自分のことが自分でできないのは最低
 ・自分のことが自分でできるのが当たり前
 ・自分のことと、自分の家族に対して責任のもてるのが普通の子ども
 ・自分と、自分の家族と他人や社会とともに助け合って生きることができるのが人間の子ども

 という話を聞いた。スラムには、麻薬を手にしてしまう環境、売春でお金を稼がなければならない現状、それに伴うエイズの問題、虐待の問題がある。それから抜け出すため、そこから前へ進むための言葉だと、私は受け取った。そして、国、民族、国境、文化を越えて、ともに学び、共に助け合っていける人間が21世紀の人間だともスタッフの方は言っていた。私はどこまでできているのだろう。一番最初の項目でさえもできていないこともある。戒めのことばのようにも聞こえた。

              ◆◆◆

 長い移動のためのバスの中、暗い窓の外を見ながらいろいろなことを考えた。

 人は必ず死ぬ。良い死とは何だろう。よい死に方ってなんだろう? 良い死を迎えるためには、良い生き方をしなければいけないのではないだろうか? 良い生き方って? じゃあ、生きるって何だろう? AMDAの病院で亡くなる子どもは、満足に生きたのだろうか? じゃあ、どんな方法をとっても、生きさせるのがいいことなの? 死を迎えるって、どんなこと? 私は今、生きている。生きるとは・・・・・・。なんだかよくわからないけど、泣けてきた。

              ◆◆◆

 最終日、ロッブリー郊外にあるプラパートナンプ寺院のエイズホスピスを訪問した。ここには200人の患者がいる。また、この施設の近所には、1000人ぐらいの患者がいるらしい。仏教をケアのコンセプトとしていて、心と体を強くしていくケア、本人だけでなく、家族全体の魂のケアを行っている。

 スライドを見ながら説明を聞いた後、施設を見学させていただいた。まず、案内されたところは、遺体の展示室であった。ここにはエイズで亡くなった人が展示されていた。エイズの恐ろしさを伝えるために、献体されたものだという。男性、女性、子ども。みんながりがりにやせていた。どんな病気で死んだとしても、こんなには痩せないそうである。

 それから、亡くなった人の骨を保管している建物へ行った。火葬した後の骨を粉にし、それを金属の箱に収める。これをつかって、骨の博物館を作るそうだ。

 私は骨の入った袋の山を一周した。そして、その骨を抱いた。骨の感触、骨の重さが、袋を通して伝わってきた。私の抱いているものは骨である。人ではない。その時私ははっきりと感じた。私が生きていることを。私は今、生きている。なぜとか、そういうこととはまったく関係なく、生きているということだけが強く感じられた。なぜとか、理由とか、そんなものはなく、生きるとは生きることなのだ。自然に手が合わさるという意味が、初めて感じられた気がする。

 その後、病棟を見学させてもらった。患者さんの手を握りたい。ここでボランティアをしてみたい。一緒に生活したい。そう思った。

              ◆◆◆

 行きの飛行機の中で書いた自己紹介カードに、このツアーの目的を、私は「見ること、感じること、考えること、話すこと」と書いた。実際にたくさんのものを見て、感じて、考えた。そして、そのことをみんなと話した。そしてこれから、私がしていかなければならないこと。それは、このツアーで得た、まだまだよくわからないものを、私の中に取り込んでいくことだ。初めて手に入れたものを、ちゃんと自分のものにしていきたい。共に学び、共に助け合っていける人間になるために。

(ぴっぱら2002年4月号掲載)